きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.8.5 長野 | ||||
戦没画学生慰霊美術館「無言館」 | ||||
2005.9.24(土)
午後2時から群馬県榛東村の現代詩資料館「榛名まほろば」で第16回まほろばポエトリーステージがあり、行ってきました。題して「中上哲夫と愉快な仲間たち」。釣、登山を主とした「アウトドア・シンポジウム」とも銘打っていました。
写真はシンポジウムが終って、二次会までの休憩時間を利用しての出演者撮影。左から2人目が中上さん。他のメンバーは川端進、関富士子、金井雄二、伊東唯、茂本和宏の各氏。総勢6名のパネリストというわけで、壮観でしたね。口の悪い、某井上敬二が中上哲夫と不愉快な仲間たち≠カゃねえか、なんて言ってましたけど、そんなことはありません。二次会で一緒にお酒を呑みましたけど、正真正銘・愉快な仲間たちです。 シンポジウムの内容は釣の話が多かったですね。正直なところ、私は釣に興味がないのでよく判らない点もありましたけど、登山の方は興味津々。特に山中でのトイレはどうするかなど、現代だなと思いました。一昔前なら問題にならなかったことですが、今は環境保護の観点からもご法度。難しい時代になったものです。 |
中上さんとお会いしたのは2年ぶりぐらいかな? 一時痩せていたように思うのですが、今日はふっくらとして以前の顔つきに戻っていました。それにしても還暦を過ぎて、そろそろ70の声を聞く人とは思えない若さです。見習えるものなら見習いたいですね。
○詩誌『AUBE』47号 | ||||
2005.7.25 | ||||
東京都武蔵野市 | ||||
鈴木ユリイカ氏 発行 | ||||
600円 | ||||
<目次>
〈詩〉
雲に泳ぐ ……………………………………………… 月村 香 …… 2
そこにいるあなたに ………………………………… 入江由希子 …… 4
菜の花レンズ ………………………………………… 志村喜代子 …… 8
約束の雨 ……………………………………………… 中島 登 …… 10
うそ …………………………………………………… 寒川 靖子 …… 12
誰がわたしの ………………………………………… 原 利代子 …… 14
桜明かり ……………………………………………… 佐野 光子 …… 16
過ぎていく …………………………………………… 原田 悠り …… 18
窓を開ければ ………………………………………… 松越 文雄 …… 20
茗荷谷日乗(1)青空のもとに …………………… 遠藤めぐみ …… 22
〈房内はるみの世界〉 ……………………………………………………… 26
「文旦とパウル=ツェラーン」「春の農婦」「そこにあるもの」
六十年 ………………………………………………… 鈴木ユリイカ … 34
〈面白詩(49)〉記憶と伝統 …………………………… 鈴木ユリイカ … 36
「名」渡辺みえこ 「Trails一踏みあと」江口 節
〈AUBE面白詩の会 報告〉 ……………………… 志村喜代子 …… 42
〈AUBE面白詩の会会員住所〉 …………………………………………… 44
〈お知らせ〉 …………………………………………………………………… 46
〈あとがき〉
そこにあるもの 房内はるみ
白い建物を背に バスを待っていた
きょうも 深海の魚のようにだまる少女の心に
言葉は とどかなかった
伝えなければならないことが たくさんあるはずなのに
なかなかそれを 思い出すことができない
気がつけば わたしだって 目をあけられない魚だ
バスが通りすぎる
何台も 何台も
乗るべきバスが止まっていくけど
わたしはどのバスにも乗らなかった
時刻が来ればバスが来るという 確実な未来を壊すことで
わたしは 何かを見つけたかった
最終バスが通り過ぎると
わたしは 暮れかけた道を歩きはじめた
冬枯れの桑畑が 闇にとけていく
賑わいはしまわれ
背後で 落日が町をのみこんでいく
わたしは 何を見つけようとしているのだろうか
今度は 乗用車が猛スピードでわたしを追いこしていく
とり残されている
夕暮れから 世界から
足もとの影と夜のまざりあった暗がり
そこにあるもの
今でも感じることがある
幸せな日の夕食の準備をする私の背後で
あの道が 突然ひかりはじめるのを
今号では「房内はるみの世界」として3編が載せられ、ミニ特集のようになっていました。紹介したのは3編目の作品です。「そこにあるもの」とは「時刻が来ればバスが来るという 確実な未来を壊すことで」「見つけたかった」「何か」と解釈することが出来ます。「何か」とは「わたしは 何を見つけようとしているのだろうか」というフレーズがある通り、ここでは明確にされていませんが、それで良いのだと思います。私たちの心の内にあり、時折「感じることがある」もの。その、表現できないけど確かに「そこにあるもの」を描いた秀作と云えましょう。
○詩誌『二行詩』14号 | ||||
2005.9.15 | ||||
埼玉県所沢市 | ||||
伊藤雄一郎氏方編集連絡先・二行詩の会 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
川のほとり 他 安部慶悦 1
昆虫抄(3) 布谷 裕 2
詩作のためにことば戯れ歌 大瀬孝和 2
ゲストコーナー 青柳 悠 3
二行連詩の試み 4
エッセイ 私にとっての「二行詩」 高木秋尾 6
暮らしの妖怪(踏み月) 高木秋尾 7
戦場の村 伊藤雄一郎 7
創作私感 8
後書きに代えて―二年目への挑戦― 8
後書き 8
安倍慶悦
川のほとり
列車 鉄橋 沈黙 月
旅をする 夜に案内されて
ひとり旅
経験に照らし出された道
夕暮れの 細い道が続いている
悩み
ため息ばかりためている
血液の循環が乱れてばかりいる
期待
不安よりも遠くない距離に咲く花
揺れる信仰のように咲いている花
のぞみ
不安の右隣に棲んでいる
悩みの左隣に棲んでいる
二行詩は実験中の形式ですからまだ定まった形など無いのですが、紹介した作品を改めて見るとこれがひとつの定型のように感じるから不思議です。今回はありませんが総タイトルがあって、サブタイトルに続いて二行詩がある、それが数編続く…。サブタイトルはどちらかと言うと関連したものが望ましい…。今回の作品では「川のほとり」「ひとり旅」が関連したグループ、「悩み」「期待」「のぞみ」はもうひとつの関連グループと云えるかもしれませんね。この1年間の『二行詩』誌を見ていて、そんなことを感じた次第です。
上の作品では「のぞみ」に最も魅かれました。「のぞみ」とは「不安の右隣」と「悩みの左隣に棲んでいる」なんて、良い点を突いていると思います。
○さき登紀子氏詩集『どこにもない系図』 | ||||
詩学選詩集3 | ||||
2004.10.30 | ||||
東京都文京区 | ||||
詩学社刊 | ||||
1200円+税 | ||||
<目次>
T
10 てのひら 14 大雨洪水警報
18 柩 22 合わせ鏡
26 妄想画のソネット 28 湯
32 どこにもない系図
U
38 紙鍵盤 42 引き潮
46 盾 50 空
52 蜩(ひぐらし) 56 初霜
60 風の童(わらし) 64 夢涼み
68 春宴
V
72 番犬 76 帰らない日
80 続・帰らない日 84 風化
88 地蔵風景 92 半鐘
W
98 海の不燃物 102 一音子守歌
106 クルス幻想 110 ラジオ
114 悲しい箱 118
夜のハンバーガーショップ
122 晩餐
126
あとがき
どこにもない系図
阿弥陀の光背の
一本一本に釘打たれ
ジグザグに続く家系図
記録の外の
数限りない縁者たち
図の奥に見え隠れしながら
陰陽師からの名指しを待っている
阿弥陀くじの
落ちていくところは一つ
見慣れた自分の名まえ
光背の線に挟まって
妙に納まっている
私の居場所は
案外カランとして
足もとが寒かった
私はここにいる
そして通過点になって
少しずつ何か薄まりながら
手を繋いで波を繋いで
どこまで続くのだろう
近くにある
突然途切れた一つの流れ
やむなく終わった一つの流れ
私の流れの先にも
光の最後の一本があるのだろうか
岸辺へ辿り着く波
連なって来た人たちの
波頭を追いながら
その一人一人の過去帳を
尋ねてみたくなった
どこに行けば
置いてあるのだろう
私一人が
過去からずっと連なっている
長い長い成長記録
第一詩集です。この詩集で第41回福岡県詩人賞を受賞しています。今後が期待される大型新人の登場と言ったところでしょうか、多くの佳品が収録されている詩集です。紹介した作品はタイトルポエムで、この詩人が生来持っている「私はここにいる」という感覚が端的に表出した作品と云えましょう。その感覚は、あるいは「私の流れの先」と言っても良いかもしれません。それは「ジグザグに続く家系図」という意識から来ているのだろうと思います。
「柩」「一音子守歌」なども佳い詩です。さすがは福岡県詩人賞を受賞しただけのことはある詩集で、福岡県詩人会の見識の高さが証明されたと云えるでしょう。今後のご活躍を祈念しています。
○利岡正人氏詩集『早起きの人々』 | ||||
2005.9.15 | ||||
茨城県龍ヶ崎市 | ||||
ワニ・プロダクション刊 | ||||
1000円+税 | ||||
<目次>
猶予 8 潜伏 10
母語の行方 12 制空権 14
言葉になって 16 注視 18
悪条件 22 家族 26
早起きの人々 32 工事中 36
筋道 40 錯誤 44
明晰な傷 48 生涯 50
思考 52 空調 56
季節はずれ 58 人生の目標 60
悪条件
およそ外の仕事はつらい
初めての土地で日が暮れるまで働き
困ぱいして家路を辿ると
地に足がついていないのがよくわかる。
見慣れた町並でさえよそよそしく
建物や人の顔の輪郭もぼやけて見える
そのくせ撮影に適した場所を探し回ったり
焦点を合わすことには無関心だ。
誰にも邪魔されたくない
なるべく早く帰るのが日課になっている。
子供のころは親近感から被写体にもなれた
それなりに背景にもとけ込めていたのだろう
世話好きな姉はよく写真を撮ってくれた
肝心の出来は聞けずじまいだったが
弟をうまく一枚の絵のなかに収めた。
たとえ喧嘩した直後でも
家の外に出た弟について来てはカメラで写した。
だが、姉がシャッターを押し続けるかぎり
家に帰ることはできない
それをあなたはわかっているのか?
理由もなく帰れなくなるということを。
カメラのファインダーから覗くように
すべてが遠い
昨年結婚して今でも世話好きな姉も遠い。
年月の流れに狙いを定めても
焦点がはずれて写るのが現実で
自分が見ているようにしか撮れないのか。
それはむしろ望んだことである
ここ数年ずっと視力が下がりっぱなしの
この目で見たものは現像には不的確だ。
何ひとつ納得せぬまま
早く家に帰りたい。
まだ20代という若さの著者の第2詩集です。紹介した作品からはプロのカメラマンのように受け取れますが、それは作品とは関係がないので措いておきましょう。「およそ外の仕事はつらい」という最初と、「早く家に帰りたい」という最終行が印象深い作品です。皆そう思っているんでしょうが、こう面と向かって書かれたというのはあまり無いと思います。そこがまず評価できる作品と云えましょう。
「困ぱいして家路を辿ると/地に足がついていないのがよくわかる」、「この目で見たものは現像には不的確だ」などのフレーズも佳いですね。コトの本質を感覚的に捉える能力があると思います。これからの活躍が期待できる詩人です。
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