きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.10.9 栃木県 | ||||
道の駅「もてぎ」にて | ||||
2005.10.2(日)
いきなり大きな画像でゴメンナサイ。今日の「神奈川新聞」に載っていた私の詩です。詩はまあ、それだけのものですが、写真家の江嶋隆さんが添えてくれる写真にいつも惚れ惚れとしています。横浜詩人会に割り当てられた「詩の画廊」の写真を一手に引き受けてくれているのですが、詩の内容をよく汲み取って写真を選んでくれています。今回の私の詩の場合はやさしかったでしょうが、ちょっと抽象的な作品でもそれに合う写真が組まれていて、写真の方がよっぽども詩的だと思うことが度々あります。 ま、こんなことも書いてますという意味で、備忘録のつもりで載せました。神奈川新聞は毎月こんな感じで詩を応援してくれています。機会がある人は神奈川新聞を手に取ってほしいですね。 |
○詩とエッセイ『さやえんどう』 | ||||
2005.9.1 | ||||
川崎市多摩区 | ||||
堀口精一郎氏方・詩の会 さやえんどう 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
追悼惜慕 いしいさちこさん
いしいさちこさんに捧ぐ 北川理音子・6
わかれ 徳丸 邦子・7
花桃/春の日に卒然として 堀口精一郎・8/9
補聴器 森 常治・10
石井さんを偲ぶ 崎岡 恵子・11
花綵飾り/無影の人 和田 文雄・12/13
遺稿詩二篇 ピエロ/囚われびと いしいさちこ・14/15
『山』へ 佐々木俊明・16
詩集紹介 いしいさちこ詩集『山』――生きた証しとしての詩 袋江 敏子・17
詩
高橋 芳子 ●水・18 枯葉・19
大貫 裕司 ●町内のバス旅行・20 ローカル線非情・21
北川理音子 ●落書き・22 日暮し・22 日向薬師へ・23
高村 昌憲 ●三月の景色・24・秘密の癖・25
長尾 雅樹 ●少年像・26 女綱渡り師・27
堀口精一郎 ●ポプラの並木・28 病院と軍隊・29
平野 春雄 ●骨・30 鳥語擬音解・31
袋江 敏子 ●神隠し・32 れくいえむ・33
崎岡 恵子 ●孤独 1静寂・34 2偽装・35
森 常治 ●炎・36
徳丸 邦子 ●どこへ・37
和田 文雄 ●片月見・38 おひよ・39
詩論 書評 エッセイ
前田美智子 ●リリシズムの風姿・40
高村 昌憲 ●新しい現在の創造者・42 齋藤氏の傘寿を祝う会・44
徳丸 邦子 ●太陽の照りつける日(六)・45
堀口精一郎 ●二〇〇四年風狂川柳忘年会覚え書き・46
高橋 芳子 ●四人の亭主・47
崎岡 恵子 ●平成十七年箱根合宿――連想詩ゲーム大会・48
編集後記・48 住所録・49 表紙デザイン 吉田定一
囚われびと いしい さちこ
看護師の巡回を まつ
医師のことばを まつ
配膳車がくるのを まつ
家族や友の見舞いを まつ
三日にわたる薬の点滴がおわるのを まつ
ぽたり ぽたり ひと滴ずつ
おそってくる嘔吐の波が過ぎ去るのを まつ
一条の光が差し込むのを まつ
薬の効き目があるように
身をちぢめて
長い夜が明けるのを まつ
朝がくれば わたしは−
白壁に囲まれた箱の中の
遅々とした時の流れに身をゆだね
わたしは ひたすらまっている
朝を 春を
からだに力がみなぎるのを
コンクリートの箱から解放される日を
迎えの馬車は
もう少しゆっくり
できれば忘れて
まちたい
未発表、平成十六年七月二十一日
さやえんどう研究会に提出
今年4月に亡くなったいしいさんの追悼特集になっていました。紹介した作品は「遺稿詩二篇」のうちの1編です。療養中の精神が「囚われびと」というタイトルにもよく出ていると思います。「迎えの馬車」は「コンクリートの箱から解放される日」の迎えを指していますが、無言での解放だったことにご本人も無念だったろうと思います。『おじいさんのうた』『山』という優れた2冊の詩集を遺した詩人のご冥福を改めてお祈りいたします。
○詩誌『驅動』46号 | ||||
2005.9.30 | ||||
東京都大田区 | ||||
驅動社・飯島幸子氏 発行 | ||||
350円 | ||||
<目次>
現代詩と「笑い」(一) 周田 幹雄 28
天上の案内 山田野理夫 1
観音崎灯台にて 長島 三芳 2
詩人と母−母という愁しさのために 舘内 尚子 6
エンゼルトランペット 飯島 幸子 10
須走蛍 他一編 忍城 春宣 12
PPK 金井 光子 18
ふる里の山 地端 一江 20
ゆきおんな(一)他一編 民話・怪談より たにみちお 22
戦後六十年 他二編 小山田弘子 25
税関吏アンリ・ルソー 他一編 星 肇 34
絶叫マシン 他一編 周田 幹雄 38
断片詩俳優座俳優・立花一男クン他一編 飯坂 慶一 40
孫・まご・悠力(ゆうり) 内藤喜美子 44
獅子吼の碑文 三沢 学人 46
サギ狂詩曲 中込 英次 48
むかし 桝井 寿郎 50
同人氏名・住所 52
寄贈詩集等・詩誌 52
編集後記
表紙絵 伊藤 邦英
サギ狂詩曲 中込英次
「アメリカでは」と古い記憶を思い出した
百ドル札を受け取ってもらえなくて困ったことがあった
三十年ほど前のことだった
百ドル札には偽物が多くババ抜きのババと同じで
つかまされた者の負け
大急ぎでほかの人にごまかして回すしかない
日本のように銀行で本物に替えたりしてくれない
だから相手は受け取ることに慎重になる
偽札づくりは製作意欲を無闇とかきたてるらしく
貨幣出現いらい絶えたことがない
カラーコピーやスキャナーが精巧になった今では
かなりいい線をいっているらしい
サギが流行っている
振り込めサギ リフォームサギ ネズミ講
手の込んだものではクレジットカードサギ
「騙すに手なし」と古くからいう
サギや騙しには防ぐ方法がない意味だ
巧妙で高度でよくあんなに頭が回るものだと感心する
あのチエを人に役立つ所に使ったらと識者はいうが
それは違う
百メートル九秒九の選手にマラソンでも勝てというと同じ
才能とはある部分でこそ輝くから才能なのだ
サギの才能は倫理や道徳や人の道の中には咲かない
サギにひっかからない方法はなく わずかに
自分は騙されないと思い込まないこと
楽して金を儲けようと考えないこと
個人情報をみだりに流さないこと
消極的だがこれしかないようだ
「あのチエを人に役立つ所に使ったら」とは「識者」ならずとも誰でも思うことなのですが、それが何故できないかという答を初めて知りました。「百メートル九秒九の選手にマラソンでも勝てというと同じ/才能とはある部分でこそ輝くから才能なのだ」という説には納得しますね。実に人間らしい回答で、本質をきちんと掴んでいると云えましょう。
それにしてもつい「三十年ほど前の」「アメリカでは」「百ドル札には偽物が多」かったというのは驚きです。「つかまされた者の負け」というフレーズに資本主義の本質を見る思いのした作品です。
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