きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.10.9 栃木県
道の駅「もてぎ」にて
 

2005.10.12(水)

 とうとう体調が崩れて、病院に行ってきました。いつも通り7時半に出勤したものの、咳が止まらず頭がボーッとしてきました。誰もいない会議室で休んでいましたけど、辛抱堪らず8時半には休暇をとることに決定、そのまま県立病院へ行きました。送ってあげようか、タクシーを呼ぼうか、と職場の人には言われましたけど、なんとか自分で運転できると判断して、制限速度も出せない状態で運転(これって交通違反に問われますよね、法律には体調不十分で運転してはいけないって書いてあったと思います)。10km離れた病院にやっと辿り着いた次第です。

 レントゲンを撮ったら「肺炎が治った跡がある」。CTを撮ったら「肺に小さな腫瘍がある」。入院する必要はなさそうで、気管支を広げる薬をもらってオシマイ。もひとつオマケに「煙草は止めろ」。はいはい。なんのこっちゃ、この咳と痰で苦しいのは何で? と聞きましたら「喘息の初期かもしれない」。おー、オレも立派なトシヨリになったのかと納得しましたね(^^;
 家に帰ってひたすら寝て、咳き込んで、また寝て…。我ながら驚くほど寝入りました。やっぱり50も半ばを過ぎると疲れが溜まっているのかもしれません。静養させてもらいました。




個人詩誌空想カフェ12号
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2005.10.7
東京都品川区
堀内みちこ氏 発行
非売品
 

  <目次>  エレジアック
   エッセイ 悲歌詩人と魔術師メルラン 吉田軍治     ・・・ 2
   エッセイ アポリネールの小説    堀内みちこ    ・・・ 9
   詩    洗濯船          堀内みちこ    ・・・ 10
   エッセイ スクリーン        堀内みちこ    ・・・ 12
   詩    ダンス          ノンプリュ・ゲール・・・ 20
   詩    水密桃          堀内みちこ    ・・・ 22
   エッセイ ティータイム       堀内みちこ    ・・・ 24
   詩    生活の実験室       堀内みちこ    ・・・ 26
   あとがき                       ・・・ 32

   表紙写真 一九六六年 冬のパリ エュッフエル塔
              photo by Michiko Horiuchi



    洗濯船    堀内みちこ

   べニンの鳥は絵を描いていた
   詩人は恋人のマリーとお喋りしていた

   べニンの鳥は知っていた
   未知の世界があることを
   だからいつも画風が変わった

   詩人も知っていた
   未来は無限だと
   だから挑戦しつづけた

   シャンソンになるのを知らないで
   詩人は死んだ小さなベッドで
   マリーは泣いただろうか
   別れた恋人の死を

   詩人より長生きした
   べニンの鳥も死んだ
   マリーも死んだ

   みんなを乗せて
   洗濯船は宇宙を航海している
   星の港に立ち寄りながら

   詩人の願いどおりに
   東洋の女が聴いている
   ミラボー橋というシャンソンを

 「詩人」はアポリネール、「マリー」はマリー・ローランサン、そして「洗濯船」はピカソなどが住んでいたパリのアトリエ、で良いと思います。今はみんな死んで、「みんなを乗せて」「星の港に立ち寄りながら」「洗濯船は宇宙を航海している」。この描写が佳いですね。時代の流れを感じさせます。最終連になるとその時代を超えて「ミラボー橋というシャンソンを」「詩人の願いどおりに/東洋の女が聴いている」わけで、ここで詩的宇宙が繋がっていることが判ります。時間も地域も越えた詩の拡がりを感じさせる作品です。




詩誌『撃竹』60号
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2005.9.30
岐阜県養老郡養老町
冨長覚梁氏 発行
非売品
 

  <目次>
   畏怖の雨あるいは・・・ ……………… 北畑 光男 2
   冬の梢 …………………………………… 中谷 順子 6
   無 題 …………………………………… 中谷 順子 8
   小さい手紙を …………………………… 石井真也子 10
   はつなつの風 …………………………… 石井真也子 12
   人と亀 …………………………………… 伊藤 成雄 14
   桜 ………………………………………… 斉藤  央 16
   フライアウェイ ………………………… 斉藤  央 18
   霧小舎まで ……………………………… 若原  清 20
   最後の遮断機がいま …………………… 若原  清 22
   レクイエム ……………………………… 頼 圭二郎 24
   死者からの鎮魂歌−Yの死に ………… 前原 正治 26
   青くそよぐ ……………………………… 前原 正治 28
   こぼれる砂 ……………………………… 堀  昌義 29
   陸橋に立って …………………………… 堀  昌義 30
   草原の帆船 ……………………………… 冨長 覚梁 32
   真っ白な便り …………………………… 冨長 覚梁 34

   郁達夫と父との交友 …………………… 冨長 覚梁 36
   撃竹春秋 ………………………………………………… 42



    真っ白な便り    冨長覚梁

   冬の小鳥を遥かに眺めながら
   言葉の養生をしていた女性詩人から 届いた
   一通のハガキ
   裏返すと 雪の原野のように
   何ものにも汚されていなかった
   真っ白な便り

   そのハガキを三十余年たった今宵
   庭の雪はすでにやんだようだが
   三十余年の間そのままの
   木机の上に置いたハガキには
   あの日と同じように
   詩人の夢の紡いだ結晶した雪が
   降りやまず
   窓の外に積もった雪よりも すでに深い

   吃るように生き 吃るように書くようにと
   訓された雪の原野の果てのことばが
   今宵
   ハガキに積もっていく雪のなかから
   文明の血祭の汚れをも 浄化する力で
   響いてくる

   その響きが 深い眠りに触れたのであろうか
   裸で眠っていた幼い子も
   目覚めて
   雪の積もった原野の 部屋で 微動して
   私の老臭を 嘔吐させる

 勘違いをして書き忘れて投函したものなのか、意味があって「真っ白な便り」だったのかは判りませんが、その白と雪の白とが「三十余年」の時空を経て「木机の上に置」かれているという作品で、まさに「文明の血祭の汚れをも 浄化する力」を感じます。「言葉の養生をしていた女性詩人」「詩人の夢の紡いだ結晶した雪」「吃るように生き 吃るように書くように」などの詩句にも魅了されています。冨長詩のひとつの境地のようにも思いました。勉強させていただきました。




隔月刊詩誌『鰐組』212号
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2005.10.10
茨城県龍ヶ崎市
ワニ・プロダクション 発行
300円
 

  <目次>
             〔連載〕
      愛敬浩一●詩のふちで/いつも、数歩さきに15
     村嶋正治●詩のホスピス/出発することとしないこと7
   山中真知子●マイ・パフューム/反響し、また反響する。25
             〔作品〕
         弓田弓子●われわれ U8
          福原恒雄●よおっ!10
          村嶋正治●桃色吐息2
          小林尹夫●棲息20 14
          平田好輝●おや?3
           山佐木進●礼18
           坂多瑩子●歯車12
         佐藤真里子●未来探し20
         仲山清●べろのとんぼや22
     服部たく●イトーヨーカドー東久留米店4
    山中従子●死体を下げて九十八/真夜中の食卓16
          今号の執筆者/作品募集



    よおっ!    福原恒雄

   ホラー映画に浸かってもへろへろ笑っていたのに にんげん本体の
   暴虐の駒がくりかえし眼中に張り詰めると 痩せた我慢は
   傘などいらないよとまちなかへとびだす
   白昼
   目が慣れてくると
   路やビルの照り返しから吐きだされる極彩の揺れは
   わあ 妖怪だったわぁ
   古典をうたっていた子どものころ纏わりついていた奴だ
   でも猫でも鼠でもろくろっ首でも小僧でも入道でもない
   どこかにくっついているふがいない目をしまいこんで
   踝から涎のようにひきずっている怨嗟の臭いが
   黙りこくって光る
   ああ こんなに明快に出会ってもいいの
   あいさつのつもりだったのに
   なに言ってんだよいつも背後に我慢していたのにとばかりに
   ぬんめりと
   目礼を懐にねじこんでいく

   目が渋いほど慣れてくると
   すぐわきに大型のトラックのような車体があって
   見上げた荷台のうえのマイクを握った軽装の男たちが
   みじかく交替で口説調整正攻ぶりの泡を放射する
   何のつもりか鉢巻きをして何かの旗を振る女や男が取り巻いて
   車体の壇上だけに向いている
   電気のながれる音響に動揺したのか
   懐の目礼が大音響で跳び上がり
   いなかの屋外の暗い便所の戸を開けたときのように
   見えた気がしたのに
   周辺に妖怪はいない
   それどころか
   スーパーストア金満屋の大皿に山盛りで売りつけるコロッケが好きな
   隣のおばあちゃん−いつも、これ男爵いものコロッケと言っていた
   −もいない
   それをもぐもぐ入れ歯を入れない□で食べるおじいちゃんも
   いない

   この炎暑 手染め手拭い腰にして
   みんないっしょに
   舞い上がり
   せっせと空を磨きに行ったのだろうか
   使いさしではあるが近ごろはこんなのもある日焼止めと
   残っていたぼろぼろの『冒険だん吉』を携えて探しに行こうか
   懐はきついが
   我慢しないで
   出会ったらこんどこそ「よおっ!」とこえ出してみるつもりだ

 第1連の「いつも背後に我慢していた」「妖怪」は作中人物を守る背後霊と採ることが出来ました。第2連は右翼の街宣車か政治屋の演説を思い浮かべましたが、おそらく前者でしょう。大事なのは、この「周辺に妖怪はいない」というところです。そして「隣のおばあちゃん」も「おじいちゃんも/いない」ということ。
 それらを受けた第3連で、思わず「そうだったのか!」と声を出してしまいました。「みんないっしょに/舞い上がり/せっせと空を磨きに行った」んですね。死とは書いていませんが、私はそう受け取って、死とはそういうものかと納得しました。そして「出会ったらこんどこそ『よおっ!』とこえ出してみるつもり」なのは妖怪でありおばあちゃんであり、おじいちゃんが相手だと思います。それに加えて『冒険だん吉』を読んでいた頃の自分も居るのではないでしょうか。作中人物の生きてきた過程がギュッと詰まった作品で、福原恒雄詩の新たな境地を見た思いを強くしています。
 それにしても、どこかで遣ってみたい。「よおっ!」。




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