きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.10.9 栃木県 | ||||
道の駅「もてぎ」にて | ||||
2005.10.13(木)
今日も休暇をとって臥せっていました。相変わらず咳が止まらず難儀しています。ゲホッ。
○詩誌『花』34号 | ||||
2005.9.25 | ||||
埼玉県八潮市 | ||||
花社・呉 美代氏 発行 | ||||
700円 | ||||
<目次>
作品 ただそれだけの一日 原田暎子 4 ふしぎな距離 山寄庸子 5
枯れ渡る 平野光子 6 海ほおずき 峯尾博子 7
予兆 田村雅之 8 春風 湯村倭文子 10
ハナダイコン 水木 澪 11 波打際で 鈴切幸子 12
雀の学校 菅沼一夫 13 記憶 宮崎 亨 14
アレクサンドリア物語 山田賢二 15 秋の海岸 柏木義雄 16
埼玉の土橋治重−甲州と武州を結ぶ絹の道を越えた詩人− 秋谷 豊 18
鎌倉の頃の土橋治重さん 筧 槇二 20
評論 詩人としての三島由紀夫と抽象芸術(下)佐久間隆史 22
訳詩 わが死・わが生 ドリン・ポパ 宮沢 肇 訳 26
作品 無人駅・2 飯島正治 28 浜で 都築紀子 29
夏の終りに 坂口優子 30 さくら 坂東寿子 32
少年のカマイタチ 高田太郎 33 夏は元亀の遠い空 中村吾郎 34
蟇蛙 川上美智 35 松群ら 和田文雄 36
臍をまげる 石井藤雄 37 縄文の丘 青木美保子 38
薬売り 佐々木登美子 39 メッセージ 酒井佳子 40
水の上の音楽他一篇 天路悠一郎 42 大正生まれの俺達は 馬場正人 44
襲撃 林 壌 46
私の詩法 その言や心音し 狩野敏也 48
「風」土橋先生、先輩に学ぶ 飯島正治 50
作品 枯れないお花 篠崎道子 52 介護日記余白 鷹取美保子 54
マウス一つで 鈴木 俊 56 虞美人ほくそ笑む 狩野敏也 58
臨月 秋元 炯 60 夏・海の縁 山田隆昭 61
キレル 丸山勝久 62 花落とし 宮沢 肇 64
天秤棒かついで 菊田 守 66 枇杷の実 呉 美代 68
書評 新・日本現代詩文庫30『和田文雄詩集』評 禿 慶子 70
狩野敏也詩集『二千二百年の微笑』評 田中眞由美 74
柏木義雄詩集『客地黄落』評 鈴木哲雄 72
「花」33号同人会の報告 水木 澪 25
「風忌」報告 秋元 炯 75
受贈詩集 78 編集後記 79
襲撃 林 壌
土手の散歩道から川原に降りると
中州は小石ばかりが集積して草も生えていない
川では鮎釣りの老人が長い竿を繰っている
と、突如
ギキー、ギキーとけたたましい鳴き声をあげて
白い鳥が突進してきた
危うく頭を突っかけられそうになって
しゃがみこんでしまった
鳥は旋回するとまた襲ってきた
私の目の前数十センチのところで身を翻す
縄張りを侵した奴を狙っての攻撃行動だ
石川原に舞い降りた鳥を見ると
コアジサシである
真っ白い姿態に黄色い嘴
頭頂には黒い帽子を被って
妙に色気のある鳥である
少し離れたところにもう一羽いる
そうか、営巣しようとしているのだ
むき出しの中州は雨が降れば水没するよ
鮎釣りはこれから盛況だ
とても子育てにはむかない所だよ
と話しかけたがまた襲ってくるのだ
一日置いてコアジサシを探したが見つからない
日曜日とあって釣り人が多い
川の上空をカルガモ一家が田圃の方へ渡っていく
対岸の土手の草むらでは模型ヘリコプターが
白い煙を吐きながらひっくり返ったまま飛び廻る
操縦する男の影は見えない
「コアジサシ」の「営巣しようとしている」所に紛れ込んで「攻撃」を受けた、という内容ですが、最終連に注目しています。飛ぶ鳥の仲間で「カルガモ」が出てくるのは判るのですが、なぜ「模型ヘリコプター」?と考えて、これも飛ぶものであることに考え至りました。自然から人工へと見事に転調しているわけで、そう考えると面白い連だなと思います。そして「操縦する男の影は見えない」。人工の「模型ヘリコプター」は見えているが、それを操る人間の姿は見えないわけで、ここに現代の「川原」の喩があると思います。作者の意図とは違うのかもしれませんが、読者として見方を変えると、そう読めるという典型のような作品と云えましょう。
○竹内美智代氏詩集『切通し』 | ||||
2005.10.15 | ||||
東京都千代田区 | ||||
花神社刊 | ||||
2300円+税 | ||||
<目次>
T
切通し 8 浜 12
浜昼頻 16 とんぼ 20
雪でも降りそうな 24 小春日和の島で 28
馬頭観音 32
U
波 36 挙手の礼 40
次太郎兄上様 44 爪 48
夕暮れのラジオ 50 笛吹きケトル 54
木食虫 58 目 62
縁切り 66
V
桜は桜でも 70 オットット 72
な・ま・え 74 種子 78
あぶないひと刻 80 切る 84
雨がほしい 88 生きている 92
かくれんば 96
跋 伊藤 桂一 101
あとがき 106
切通し
漁師町の切通しに
大きく枝を広げた桜の古木がある
その下で潮焼けした老人が日がな一日海をみつめている
にぎやかな港に湧く大漁の声や
たくさんの船を見送った遠い日を
ときどきひもとき目に浮かべているのだろう
砂浜では赤錆びた廃船が舳先を沖に向け
船腹や船底に小さな雑魚や貝の死骸を
びっしりとこびりつかせている
海からの蒸し暑い風が吹きあがると
貝の死骸からボーと顔の輪郭が浮いてくる
海で命を落とした人の亡霊が立ち上がるのだ
よそ者を極端にきらった薩摩のこの貧しい港町では
結婚相手はむかしからほとんど土地の者
おかげでみんな馴染みの一族 似た顔の人も多い
屋号や親の名前を言っただけでおおよその性格まで分かる
仏間に飾られたセピア色の写真が物語るが
漁師の家には海で亡くなった人が多い
船腹や船底から彼らは抜け出してくる
いま海から帰ってきたかのように
漁師町の人々に重なり乗り移って歩いている
潮の香りと貝殻の音をかすかにさせて
今日も老人は花吹雪のなか
青年のまま遭難してしまった息子を待っている
春の光を砕いては波がかがやき
待つことにもすっかり馴れて沖はゆっくり暮れていく
詩集のタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。著者の生まれ故郷「薩摩」が描かれていて、著者にとっての詩の原点とも呼べる作品でしょう。「老人」の扱いが巧いですね。特に第1連は「日がな一日海をみつめている」という客観的な情景の後に「ときどきひもとき目に浮かべているのだろう」という老人心境に入っていて、この展開が作品の性質を決めているようで見事です。第3連の「海で命を落とした人の亡霊が立ち上がる」も幻視とは思えない現実感があります。最終連の「待つことにもすっかり馴れて沖はゆっくり暮れていく」も締めのフレーズとしても適切で、著者の精神の在り様がよく見える詩句と云えましょう。穏やかな抒情の行間に著者の勁い意志が読み取れる詩集でした。
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