きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.10.9 栃木県
道の駅「もてぎ」にて
 

2005.10.19(水)

 昨日、病院から帰って、今朝までほとんど寝ていました。で、朝スッキリしたかと言うと、そうではありませんでした。夜中に咳で何度か起きたせいだと思うのですがボーッとしています。これは仕事にならないなと判断して、電話で休暇を告げました。
 まったく、オレの仕事はどうなっちゃうんだろう、3日も4日も遅れて、取り返しが尽かなくなるんじゃないか、とは思いましたけど、やっぱり身体が大事です。それより何より身体が動かない…。情けない気持ですが、ヘンな仕事をしてしまうよりマシと考えて、また一日寝続けました。いつになったら体調が戻ってくれるんだろう…。悔しいです。




有働薫氏詩集『ジャンヌの涙』
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2005.8.8
東京都東村山市
水仁舎刊
3000円+税
 

  <目次>
   x
    ジャンヌの涙  10
    残夏考  14
    足は棒である。 18
    こうやって  20
    南へのバラード  22

   y
    悪の伝説――永遠に対照的なるもの  32
    羊飼いの少女  42
    フロべ−ルはなぜ嫌われるか  46
    すいかずら  50

   z
    LAMENTO  56
    お使いの川  58
    秋  62
    献月譜  68



    ジャンヌの涙

   きょうはジャンヌ・ダルクの涙を持参しました
   同席の女性が言うので
   いよいよ日本にもジャンヌ・ダルク教会が創られたのか
   仏舎利やキリストの衣のように聖遺物は
   ジャンヌ・ダルクの場合は
   涙であるのかと
   想像した

   ジャンヌのからだのものはすべて燃えてしまって
   心臓の一部だけ燃え残って川に捨てられたともいわれる

   もはやすべては伝説にすぎなく

   涙は
   赤く
   大粒で

   ジャンヌは裏切られてのち
   涙をながしたことはなかった
   とわたしは思っていた

   涙の段階はもうとうに過ぎている

   身を捧げるという美しい言葉のなんという恐ろしさ

   ジャンヌ終焉の地で
   気が遠くなるほど時が経って

   アジアの老婦人が
   先のみやげに買った
   ココアパウダーをまぶしたナッツ菓子は
   真っ赤に
   大粒

   舌の上で
   ゆっくり崩れていく

 この詩集の場合、まず装幀から紹介しましょう。「キク変形 仮綴じ本 コーナーポケット付布装保護ジャケット装」と言うのだそうです。上の写真で見えているのが「保護ジャケット」で、内側に「コーナーポケット」があって、そこに本体が収められている状態です。従って、本体は抜き差し自由。非常におもしろい造りの本で、私は初めて目にしました。詩という芸術の最先端を行く詩集には、このくらいのこだわりがあって良いのかもしれません。

 紹介した作品は、そんな詩集のタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。これ以降「ジャンヌ・ダルク」に関連した作品ばかり、というわけではありませんが、かなりの部分を占めていることは確かです。その意味ではこの詩集の象徴的な作品と云えるでしょう。
 結局、「ジャンヌ・ダルクの涙」は「聖遺物」ではなく「ココアパウダーをまぶしたナッツ菓子」だった訳です。しかしジャンヌの「涙は\赤く\大粒で」「涙の段階はもうとうに過ぎている」ものだと認識していた「わたし」にとって、その言葉の衝撃は大きかったのだろうと思います。それが「身を捧げるという美しい言葉のなんという恐ろしさ」に表出していると思います。読者としての私は最終連に救われた思いをしました。




三浦房江氏著・詩と写真集『時の記憶』
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2005.10.1
熊本県鹿本郡植木町
トライ刊
1500円
 

  <目次>
   T 季節の岸辺
   季節の岸辺 2        駅 4
   桜風 6           観覧車 8
   路地 10           潮風 12
   灯 14            始まりの予感の中で 16
   花便り 18          村祭り 20
   幻燈 22           暁闇 24
   新しい街 26         休日 28
   彼(か)の、遥かなる 30    船虫 32
   「八月十五日」という日に 34 

   U 今日、そして
   樹 38            春暁 40
   おしろい花 42        ひろば 44
   あやとり 46         今日 48
   迷路 50           草道 52
   迷蝶 54           河原 56
   村 60

   V ある街の物語
   街 62            博物館 64
   廃屋 66           時計台 68
   ステーション 70       団地 72
   岬 74   港 76      ]美術館 78

   あとがき



    「八月十五日」という日に

   その日、いつもと変わらずに時はすぎてゆく。バーゲンセールの大きな看
   板がかかった商店街。賑わう通り。墓地では花束を持ってお墓参りにゆく
   家族連れ。駅では大きな荷物を抱えた人の列。各地で催されている慰霊祭
   や平和への祈り。居間では高校野球の熱戦が続いている。

   その時刻、通りで静止した人の姿があった。直立の姿勢で肩を落とし、軽
   くうつむいた老紳士。聞こえてくるサイレン。高く、低く、遠く、近く、
   街のさまぎまな音を呑み込んで。その時、遠くで雷鳴。あたりは仄かに暗
   くなり、一瞬頭上を覆う轟音。闇の空。街は壊れ、廃墟となった中に佇む
   人の背が、白く浮かび上がった。渦を巻き、通り過ぎていく記憶の岸辺は、
   せり上がり、砕け、痙攣し、無言の言葉を波打たせながら。

   その時刻、ラバウルにいて知らされたのは二日後だったと父。青年団の勤
   労奉仕で防空壕を掘っていたと母。ポツリと語った両親は、今年金婚式を
   迎える。

   決して浄化させてはいけない事実がある。流れの底に沈めてはいけない流
   れがある。

   背負い続けて生きてきた人々の、時の重さ。繁栄の都市の土台となった光
   景の、傷口の叫び。いまだ還れずに遠い地に埋もれている、魂の涙。人の
   心の奥に潜む鬼神。広島。長崎。沖縄の、訴え。春の一日、瞳を凝らして
   観た映画「ショアー」の証言者の、沈黙の言葉・・・。

   その時刻、語りつくせない思いを語りながら、老紳士の後ろ姿は、行き交
   う人ごみの中へと呑まれていった。

 モノクロの写真に散文詩が添えられた「詩と写真集」です。紹介した作品に添えられた写真に思わず見入ってしまいました。まさに「直立の姿勢で肩を落とし、軽くうつむいた老紳士」の姿で、後姿を写しています。駅のコンコースらしく、向こうには12時1分過ぎを示している丸い大時計があり、10人ほどの通行人も見えます。通行人という動きの中で「静止した人の姿」と止まって見える時計。何度も目を奪われたのは、その動と静を切り取った写真の力によるものだろうと思います。
 詩作品としては最終連が佳いですね。「呑まれていった」という詩語が生きています。そうやって一瞬「流れの底に沈めてはいけない流れ」を止めて、また日常へ戻って行く…。写真と詩が絶妙な味を出している本です。




桃山おふく氏著ばあば 助けて
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2005.10.25
神奈川県藤沢市
武田出版刊
1286円+税
 

  <目次>
   佐渡へ ・・・・・・・ 5
   トキの悲しみ ・・・・ 41
   誤算 ・・・・・・・・ 70
   父母会の行方 ・・・・ 105
   二人の決意 ・・・・・ 147
   竜太 ・・・・・・・・ 203
   二つの故郷 ・・・・・ 240

            表紙・本文挿絵  宮本真樹



 上の表紙写真でも見えますが、帯が本著の内容を的確に表現していると思います。いじめで「死にたい」と悲鳴を上げる孫。そこでばあばは立ち上がる。学校を休ませて佐渡の旅に・・・。衝撃の結末。――ばあばと孫の奇想天外の道中≠ニ書かれています。さすが、帯というものは的確なんだなと思います。この帯にも刺激されて一気に読んでしまいました。

 小学校4年生のいじめをモチーフにした作品で、問題の解決方法の基本が描かれていると言ってもよいでしょう。著者は小学校教員を25年間経験された方で、何と私と同じ市内にお住まいです。お会いしたことはたぶん無いと思うのですが、このような作品をお書きになる人が人口4万人ちょっとの市内にいらっしゃって、鼻が高いですね。市販本なので詳しく書くことは控えますけど、いじめの問題でご苦労なさっている方、その年代のお子さんをお持ちの方はご一読を薦めます。一番薦めたいのは、実は父親諸兄です。私も含めて、父親として家族にどう接するのか、読んでおかないととんでもない失敗をするように思います、、、、って、脅すわけではありませんけどね(^^; ちょっと反省させられた本なんです。




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