きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.10.9 栃木県 | ||||
道の駅「もてぎ」にて | ||||
2005.10.30(日)
この土日は『詩と思想』12月号詩集評の原稿を書いて、同誌から求められた2005年「ベストコレクション」の推薦を出して、あとはいただいた詩誌・詩集を読んで過しました。体調は、まあまあです。
○詩誌『修羅』44号 | ||||
2005.7.1 | ||||
静岡市清水区 | ||||
福田 寛氏方・詩社「修羅」 発行 | ||||
400円 | ||||
<目次>
詩作品 望月はる子 ゆずり葉 02 流木 04
岩崎 和子 ほんとうの味 06 身代わり 08
福田 寛 手 10 れんげしょうま 12
萩原 里美 ギャロップ 14 投影 16
佐藤 光江 リセット 18 さくら 20
吉永 正 死んだいとこ 22 隻裸像 24
岡村 直子 鵯 26 六月の朝 28
散 文 水野 浩道 後で 30
あうん 34
身代わり 岩崎和子
切除した大腸を残して
やっと病院を背にした
日差しや萌え初めた野原
風も春そのものなのに
四十日ぶりの我が家の周りには
冬がそのまま居残っていた
「待ちくたびれたよ……」
玄関先の金柑は
すっかり萎えていた
皐月は と見ればどの鉢も呼吸不全
蕾のまま変色した白の侘助は
ムンクの絵を真似た叫びの表情
「水は 俺がかけるよ!」
あの日から
息子の申し出に託した水かけ
なのに植木たちは
間もなく察知したのだろう
水にこもっている息子の雑念
慌ただしい通り雨のような
ほろにがーい水の味を
風のない薄曇りの日
庭すみでひとり 弔いをした
身代わりになった鉢植えの花木が
腕をからめ
絡まり崩れては燃えていく
血を流した私の分身が
一緒に燃えていくように
「切除した大腸を残」すというような大きな手術をした「私」の「身代わりになった鉢植えの花木」を描いていますが、感覚の鋭さに驚きます。「四十日ぶりの我が家の周りには/冬がそのまま居残っていた」、「水にこもっている息子の雑念」などのフレーズは、入院という非日常があったから研ぎ澄まされたものなのか、作者本来が持っているものなのかは、この作者の作品をあまり多くは読んでいないので判りませんが、記憶にある何篇かを思い出すとおそらく後者でしょう。
自分の主張を声高に叫ぶのではなく、静かに現象を見て、その裏にあるモノたちの声に耳を傾ける、モノたちが持っている本質的な姿を透視して抑えた言葉で表現する、そういうことが出来る詩人だとこの1編から感じました。
○詩誌『環』118号 | ||||
2005.10.23 | ||||
名古屋市守山区 | ||||
若山紀子氏方・「環」の会 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
さとう ますみ 螺旋の時
神 谷 鮎 美 バック
菱 田 ゑつ子 立つ ユリ
加 藤 栄 子 北京の青い空
東 山 かつこ 運び屋
高 梨 由利江 球のゆくえ
森 美智子 神の留守
若 山 紀 子 暮色
安 井 さとし 拘泥
<かふえてらす>
菱田ゑつ子 加藤 栄子 神谷 鮎美 森 美智子
<あとがき> 若山 紀子 表紙絵 上杉 孝行
神の留守 森 美智子
こんな私でも時折
詩の神様がするすると降りてきて
苦しまなくてもスラスラと作品が
出来るときがある
最近どうしても作れなくて
「出来ない 詩の神様が来ない」
と嘆いていたら
「十一月は神様が全部出雲に
行っているから誰も来ないのよ」
と俳句を愛する娘がのたまう
えっ十一月だけ
私のそばには一年中
神様いないみたいだけど
今の世の中
想像を越えた悲惨な事ばかり
もう神などいない、のではと
思えることが続いて
歴史の皮膚を剥がし ちきゅうびと
出来た痂に塩をすり込むのは地球人
夜明けに新聞を取りに庭にでる
空には 身と心を見事に切り分ける
冷たい下弦の月が
「詩の神様」のみならず、「一年中/神様いないみたい」な「今の世の中」が続いていますね。「想像を越えた悲惨な事ばかり」で、人間の想像力がどこまで行くのかが試されているような時代だと思います。もともと「神の留守」どころか神などいなかったのだ、と言ってしまうと身も蓋もありませんけど、そう嘆きたくなる昨今です。
作品としては最終連がよく効いていると思います。「身と心を見事に切り分ける/冷たい下弦の月」がそのまま現代を現していると言えるでしょう。
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