きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.10.9 栃木県 | ||||
「ツインリンクルもてぎ」にて | ||||
HONDA CB250 | ||||
2005.11.1(火)
午前中の仕事が終って、さあメシだ!と玄関を出ようとしたら携帯電話が鳴りました。嫁さんのパート先からで、「奥さんがクルマに撥ねられて病院に行っているので、すぐに向かってほしい」とのこと。えーっ! それは大変! すぐに病院に、、、でも、昼メシ食ってから、、、じゃ、マズイよな(^^;
で、行ってみると同僚の女性が付き添ってくれていて、まあ、大事はなさそうでした。信号のない交差点の横断歩道を渡り終る直前で軽自動車が突っ込んできて、そのはずみで転倒して頭を打ったというものでした。CTでも問題ないので帰宅可、2週間の自宅静養という診断でした。でも本人は、眩暈がする、吐き気がすると苦しがっていましたけどね。加害者の50ちょっと前ぐらいのオバサンも見舞いに来たし、保険会社とも連絡が取れたし、とりあえず家に連れて帰りました。
しかし、夜になって苦しみ出して再び病院に連れて行きました。当直は眼科医…。特に異常は見られないけど専門医じゃないから、と言われて、そりぁそうだ。帰宅して明日の朝まで様子を見ましょうということになって、すごすごと帰宅。まあ、気休めにはなったかな。明日は休暇を取って連れて行かねばならないようです。
○個人詩誌『夜凍河』4号 | ||||
2005.10 | ||||
兵庫県西宮市 | ||||
滝 悦子氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
密猟 滝 悦子
密猟 滝 悦子
いま
埠頭を離れる貨物船
見送っているのは
夜更けに目覚めた人で
空になったコップと
握り潰された煙草の箱
着信を告げる点滅
くぐもった汽笛に混じって
ピシリ
乾いた唇が切れる
テーブルの下で
薔薇の実がはじけ
積み込まれたコンテナの中では
ラバの塑像も割れるだろう
見つめているのは
夜更けに目覚めた人で
脱ぎ捨てた上着と
残っただけのダーツの矢
壁に一枚きりの銅版画
寝返りをうてば
ピシリ
右の耳が欠ける
薔薇の実からこぼれた
言葉を集めては
背中に向かって
版画の夜を打ち明ける
聴いているのは
夜更けに目覚めた人で
滑り落ちる新聞と
投げ出されたままの <ゆうパック>
再び汽笛が鳴って
すべてのドアにロックがかかり
椅子がひかれ
コップに水が満たされる
ハードボイルドタッチのわくわくするような作品ですね。「夜更けに目覚めた人」は、これから何をするのでしょう。その答がタイトルの「密猟」にあると思います。何を「密猟」するのか、おそらく「積み込まれたコンテナの中」の「ラバの塑像」と関係あるのでしょう。いやいや、そう散文的に考える必要はないのかもしれません。この世では常に「密猟」しなければ生きていけない、そんなことを感じさせた作品です。
○詩とエッセイ誌『槐』4号 | ||||
2005.11.1 | ||||
栃木県宇都宮市 | ||||
矢口志津江氏他 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
詩 知らせ 峰岸 了子 ……… 2
化石の花 矢口志津江 ……… 6
編む 矢口志津江 ……… 8
笹の原 峯尾 玲子 ……… 10
痩せ馬の背分け 峯尾 玲子 ……… 12
エッセイ 突然の海外デビュー 齋藤 令子 ……… 16
舘岩の家一 峯尾 玲子 ……… 20
動詞 矢口志津江 ……… 22
編集後記 ……… 24
表紙・カット 空木 海
題字 栗原 郁子
編む 矢口志津江
赤い糸が
編み棒を通過して
模様入りのセーターになってゆく
一・二年で小さくなってしまうセーターに
わたしの時間を編みこんでゆく
ていねいに ていねいに
「あれが父さんの造った橋だよ」
ビルや橋を造った男たちは
誇らしげに子供たちに言うだろう
歴史に残る建物
地図に載る橋
男たちの仕事に比べて
糸を引っ張るとたちまち解けてしまう
ちっぽけな私の仕事
それでも
間違えては編みなおし
目数を数えながら
あなただけのために
わたしの時間を編みこんでゆく
男の仕事、女の仕事と区別する必要はありませんけど、それでも男は「ビルや橋」、女は「模様入りのセーター」という現実があります。それに反発した時期もありましたが、最近はそれはそれで良いのではないかと思うようになりました。「ビルや橋」は着れないし「模様入りのセーター」には住めない、渡れないと思うのです。それぞれの役割で世の中は成り立っているわけで、そこに貴賎を持ち込むから話はややこしくなるのでしょう。「ビルや橋」に「わたしの時間を編みこんでゆ」けないわけではないけど、その密度と想いが違う、ということもこの作品では言っているように思います。そして橋を造った「父さん」と「ていねいに ていねいに」「わたしの時間を編みこんでゆく」母がいて「子供たち」は育つのだと思うのです。
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