きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
   051009.JPG     
 
 
2005.10.9 栃木県
「ツインリンクルもてぎ」にて
HONDA CB250
 

2005.11.18(金)

 昨日も今日も休暇。これで今週は月曜日しか会社に行かなかったことになります。こんなことは胃潰瘍を患って以来ですから20年振りのことです。我ながら驚きます。それにしてもよく寝たなあ。枕に忍ばせる匂い袋をいただいたので、その香りに包まれながら毎日、泥のように眠り惚けていました。




個人詩誌Quake16号
     quake 16.JPG     
 
 
 
 
2005.11.25
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

  <目次>
   楽園        一
   かすみ目      五
   母校        八
   ねぎまのくしざし 十一



    かすみ目

   たまに目が かすむ時がある
   老人でもないのに
   すぐ 目の前に居て
   動いている 子どもの姿が
   ぼんやりと ぼやけて 遠くなる
   ベールのようなものに覆われて
   私一人だけ ちがう次元を生きてるような
   そんなきもちに おそわれる
   なんだか
   自分が自分でないような気がして
   とても心もとない
   そのくせ なつかしい
   やさしい あたたかい気持ちになって
   ふと
   アラスカの森の茂みの中で
   ラズベリーを食っている
   小さなクマを 思い浮かべたりするのだ
   目頭が熱くなってくるくらい
   クマの体温を間近に感じ
   せつなく いとしくなってくるのだ
   なぜだろう
   私自身が今
   自分が生きて 動いて 息をしている
   その確かな実感すらないのに
   どうして
   アラスカの小さなクマだけが
   私を呼ぶのだろう
   私に知らせるのだろう
   すえたような 果実の汁に濡れた
   鋭いかぎ爪のあるクマの手
   極寒の中に白く吐き出される
   クマの熱い吐息
   写真でしか見たことのない その世界が
   手にとるように
   私の視界の隅々にまで 満ちて来る
   ああ ここにいるよ!
   小さなクマと目が合い
   次の瞬間 ふと すぐ そらす
   互いに 恥らいながら
   クマは 茂みにもぐってゆく
   黒い背中が 静かに遠ざかる
   そして 私も背中を丸め
   二〇〇五年の東京の人ごみの中に 入ってゆく

 「クマは 茂みに」、「私も背中を丸め/二〇〇五年の東京の人ごみの中に」という対比がおもしろく、奏功している作品だと思うのですが、違う観点にも注目してみました。最後の1行だけが現実で、あとは全て夢想の世界として読みました。すると最後の1行が非常に重要だと思うようになりました。夢想の世界から現実の世界に引き戻す1行。別の言い方をすればこの1行が作者と読者の橋渡しをしているとも云えるでしょうか。奥野祐子詩を読むキーがここにはあるような気がします。そんなことを感じた作品です。




詩誌『山形詩人』51号
     yamagata shijin 51.JPG     
 
 
 
 
 
2005.11.20
山形県西村山郡河北町
高橋英司氏編集・木村迪夫氏 発行
500円
 

  <目次>
   詩●立ちし、来らしも/佐野カオリ 2
   詩●窓の下ではサイレンが/高啓 7
   詩●十一月の詩/平塚志信 12
   詩●無言歌/大場義宏 16
   詩●正常すぎる/高橋英司 18
   詩●凹/佐藤伝 20
   評論●超出論あるいは転回視座 ――吉野弘詩集『自然渋滞』論/万里小路譲 22
   詩●どじょう・被告/近江正人 30
   詩●独白/阿部宗一郎 35
   詩●秒針/菊地隆三 39
   詩●ざ・さん/山田よう 42  
ラブソング
   詩●なつかしいなあ――わが田園哀歌――木村迪夫 45
   論考●承前 風土性について(13)
            

     ――黒田喜夫に観る風土/大場義宏 50
   後記 57



    無言歌    大場義宏

   日ざしのなかを娘が自転車を漕いで通り過ぎていった
   まぶしい一瞬のできごとだったが
   そのあいだにふた揺れみ揺れしたたわわな胸が
   ぼくの胸にゆだねていったものがある
   形をなさないものなのになにか忘れ物のように

   今メンデルスゾーンの「無言歌」OP・109を聴いている
   《チェロとピアノのための》――
   ぼくのなかには、ようやく
   しかしもう手渡してあげられるまで形をなしてきたが
   さきほどの娘はどこにいったか分からない
   どこのだれかさえ
   いつか最期の床に横たわった日も
   たゆたうままにゆったりとその胸に抱いたままでいい
   それは大切な詩だったということも娘は知ることがない

   そのように生まれ、そのように消えていくから
   詩はうつくしい

 あぁ、そうか、詩とはそうものだったのかと納得させられる作品です。「手渡してあげられるまで形をなしてきた」「大切な詩だったということも娘は知ることがない」。だから「詩はうつくしい」という思いは、詩を書いてきた人たちには共通のものでしょう。モノを見たり社会を見たりしているうちに久しく忘れていたものを思い出させてくれました。これからも「まぶしい一瞬のできごと」を大切にする感性を忘れちゃいけないなと気付かせてくれた作品です。




文芸誌未知と無知のあいだ24号
     michi to muchi no aida 24.JPG     
 
 
 
 
 
2005.11.25
東京都調布市
方向感覚出版・遠丸 立氏 発行
250円
 

  <目次>
   散文詩二編……………………………浜野春保 1
   遠くて近い記憶‥‥‥‥・‥‥‥…本田徹夫 2
   通信簿のこと…………………………有賀完次 3
   藤牧義夫に寄せて……………………武田敦史 4
   一杯のコーヒー………………………村山精二 5
   「私」への問いかけ…………………吉岡三貴 7
   歌曲「愛の思い出」をめぐって……貞松瑩子 9
   萩原葉子さんと矢川澄子さん………小沢基弘 9
   秋いろいろ……………………………吉田章子 11
   遠丸立著『野川物語』を読んで……倉田 茂 12
   「うつくしい」とは?………………遠丸 立 13



    散文詩二編    浜野春保

     

   部屋は静寂に包まれている。異様な気配に冷気が背筋を走る。スタ
   ンドの鈍い光が壁に君の影を映している。
   ああ弟よ、君はなにを語ろうとして遠い海を渡り、わが机辺にあら
   われたのか。六十一年前のきょう十月二十四日、君は爆弾に五体砕
   かれ、火焔に焼かれて、艦とともに海の底に沈んだ。死の一瞬に凝
   縮された無量の思いを語ろうとして、ようやく海を渡り、わが机辺
   にあらわれたのか。そうであるなら、弟よ語れ。それは戦後ずっと
   わが胸中にあって、あいつはいったいどんな思いで死んでいったの
   か、心にひっかかっていたことなのだ。しかし、影はなにも語らな
   い。
   風が鳴った。影が消える。この闇のなかを風に乗ってどこへいこう
   とするのか。
   まっすぐ故里に帰れ。君を勝手に合祀している九段の社はまやかし
   だ。故里には君が安らかに眠ることができる墓がある。故里の墓地
   にまっすぐ帰れ。父や母や兄が待っている。
   母は君が戦死したことを納得できないでいた。夜、風が雨戸をたた
   くと、君が帰ってきたのではないかと目が醒める。そんなことが幾
   度あったかしれなかったという。君がどこか小さな島に流れついて、
   生きていて、いつかひょこり帰ってくるのではないか、そう思って
   いたのだ。六十一年もの長いあいだ、暗黒の海の底で水にさらされ、
   冷えきった君を、母はきっと温めてくれる。大好きだったぼたもち
   もあるだろう。
   ひょうひょうと風に乗って、まっすぐ故里の墓に帰れ。

 「散文詩二編」として「墓」「影」が載せられており、いずれも「艦とともに海の底に沈んだ」「弟」をうたったもので、ここでは後者を紹介してみました。私たちは「弟よ語れ」と訴える作者、「戦死したことを納得できないでいた」母の思いが「六十一年もの長いあいだ」変わらずあることをもう一度認識する必要があるように思いました。「君を勝手に合祀している九段の社はまやかしだ」、「君が安らかに眠ることができる墓」は「故里の墓地」だとする感情はほとんどの遺族のものでしょう。戦後60年、改めて戦争の意味を考えさせられた作品です。
 今号では拙文「一杯のコーヒー」を載せていただきました。東京・大森駅近くの昔風の喫茶店に入ったときの話です。機会のある方はお読みいただけると幸いです。




   back(11月の部屋へ戻る)

   
home