きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.12.23 群馬県安中市
新島襄旧宅
 
 

2005.12.7(水)

 休暇を取って県立病院へ行ってきました。先月のCT結果を医師と一緒に画像で確認しましたけど、右肺上部の腫瘍は1ヵ月経っても大きくなっていないので、まあ、悪性ではなさそうです、大丈夫でしょう、ということでした。続いてパソコン画面の説明を見たら「神経原性腫瘍の疑い」ですって…。なに、それ? 医師は「私は肺の専門医ではないので判りません」ですって…。なに、それ?
 彼はすぐに肺の専門医に電話で連絡をとってくれて、来週診断を受けることになりました。また来週来るのかよ!と思いましたけど、まあ、骨休めだと考えて承知しました。いったい私の身体はどうなっちゃったんでしょうね。体調はかなり快復していて自覚症状はありません。ヘンな病気でなければいいんですけど…。




詩誌『ひを』5号
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2005.11
大阪市北区
三室 翔氏 発行
286円+税
 

  <目次>   ルート
   滝 悦子  R171     2
         帰り道       4
   三室 翔  海より      8
         group     10
   古藤俊子  花のためのメモU 14
                V  18
   後記             20



    帰り道    滝 悦子

   夜、
   運動場の暗がりで
   ふうわり
   バスが停まっている

   降りた人は
   とうにテニスコートの角を曲がった頃で
   窓からあふれた明かりの量だけ
   明るさとなり
   待っていたのは
   乗車する人より
   定刻より
   いまもまた無理な右折をしてきた 私

   そういう納得のしかたもあって

   すれ違った最終バスに
   
Thanks
   の、
   短いハザードを送ったりする

 情景を把握するのがちょっと難しいのですが、おそらく「私」はクルマを運転しての「帰り道」だろうと思います。最終連がそれを暗示していますけど「すれ違った最終バスに」が不明です。追い越したり、他のクルマとの間に入れてもらったりした時にお礼のハザードを点灯させますが、「すれ違った」相手には見えないので不要ではないかと思うのです。もちろん詩作品ですから実際の生活とは関係なく精神的に「
Thanks/の、/短いハザードを送った」≠ナも構わないわけですが…。

 そういう俗な見方はそれとして、詩的におもしろいのは第3連にたった1行置かれた「そういう納得のしかたもあって」というフレーズです。これは何処を受けているかと考えると、第2連の「いまもまた無理な右折をしてきた 私」だと思います。かなり飛躍していて、理屈の上では辻褄が合いません。しかし、そんな理屈を越えたものを感じます。強引に組み合わせれば「無理な右折」という「納得のしかた」かもしれませんね。ここはそんな組み合わせを楽しめば良いと思います。俗な鑑賞を越えた作品だと思います。




詩とエッセイ『沙漠』240号
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2005.12.10
北九州市小倉北区
沙漠詩人集団事務局・餘戸義雄氏 発行
300円
 

  <目次>
      ■詩
    岩下 豊 3 こぶ               餘戸義雄 4 日々
    菅沼一夫 5 ゆうれい             麻生 久 6 お元気で!
  柳生じゅん子 7 じゃがいもの芽          平田真寿 8 Xmas Eve
    大谷明美 9 向日葵              横山令子 10 八十三歳の友
    秋田文子 11 冷え込んだ日           中原歓子 12 妖怪
   椎名実知子 14 行合の空             原田暎子 15 梅漬け
    藤川裕子 16 鉄塔               坪井勝男 17 気配
    福田良子 18 種                坂本梧朗 19 潔癖
    宍戸節子 20 ちょっと違うだけで (4)パン   光井玄吉 21 不条理
    風間美樹 22 ある日 突然に         犬童架津代 23 居間
   木村干恵子 24 不思議な詩人           河上 鴨 25 対生の僧侶

      ■エッセイ
    光井玄吉 27 「やきもの」考(7)

      ■詩集評
    麻生 久 28 河上鴨詩集「海辺の僧侶」評
  柳生じゅん子 30 幸松榮一詩集「会話」を読む



    梅漬け    原田暎子

   電話。
   〈ハラダさんは、福岡に来るたびにあの梅を五、六個持って来てくれたら
    それだけで、県詩人会の仕事なあもせんでもいい
   〈来年漬けるときに、あなたのショウサンを憶えていたら、あげるよ

   あのとき
   鬼が笑っていたに違いない
   あなたの頭上で鷲掴みの手をかざしていたに違いない
   来年のことなど言わねばよかった

   一キロ多く、その来年の今年は
   十一キロ漬けた
   一キロはあなたのだよ
   特大南高梅が紫蘇色に漬かった 破れるほどに柔らかく

   あなたがあっという間に
   頬張り食べてしまった梅おにぎりも
   作ってあげる

   二〇〇四年十一月七日
   だあれもいない早朝の八代湾の入り江
   二人で小石を夢中で投げっこしたね
   そんな二人をよそ目に
   入り江から腕をでっぱらせた岩の先端に止まったまま
   前方をじっと見詰めていた大きな黒い鳥。
   あの鳥までぜったい届かんよね、なんて言い合って
   ときどきいたずらっぽく鳥に向かって投げたりした

    ナンダッタングロウ。アノ鳥ハ。夢中ニナリナガラモ、チラッチラッ
    ト見テイタンダケド。ニンゲンニ動ジナイネエ、ナンテ言イナガラ。
    ゼッタイ石ガ自分ニハ当タラント思ッテルヨネ、ナンテ言イナガラ。
    何度目カノチラットノトキ、息ヲ呑ンダ。アッ、鳥ガイナクナッテイ
    ル。ハバタキの音ハ聴カナカッタ。一瞬。空白ニナッタ一点を見詰メ
    タママ、フタリノ間ニ沈黙ガ生マレタ。デモマクスグニ小石投ゲニ夢
    中ニナッタ。

   鳥まではとても届かなかったけど
   海面に向かってあなたの投げる小石は三段跳びをして
   岸から遠くへ遠くへと離れていく
   何度投げてもわたしのは一段飛びしかしてくれなくて……
   あなたにも届かない
   追いつけない

   だから
   取りにおいで
   あなたから
   取りに来て

   ガラスの壜に今年の梅漬けを入れて
   待っているから
   ご飯も炊いて待っているから

        二〇〇五年九月十三日 杉 眞理子さん逝去
        
その死を悼んで

 最初に表紙の写真について。画面ではちょっと判り難いかもしれませんが、電車の中で二人の女子小学生が本を読んでいます。手前は男子中学生でしょうか、携帯の画面を見つめています。この写真は麻生久氏撮影で、タイトルは「読書週間」。そう、中学生が見ているのは携帯の小説か漫画なんでしょうね。タイトルが生きていて、思わず微笑ましくなりました。

 さて、紹介した詩作品ですが「
杉 眞理子さん」という方を悼んでのものです。私はお会いしたことはありませんけど、杉さんという人間が良く描けていると思います。「あなたがあっという間に/頬張り食べてしまった梅おにぎり」、「海面に向かってあなたの投げる小石は三段跳びをして/岸から遠くへ遠くへと離れていく」などの具体が絵のようです。第6連のカタカナ書きも、杉さんご逝去の伏線として成功しています。最終連、その前の連と、作者の悼む気持がよく伝わってくる作品だと思いました。




季刊詩誌GAIA14号
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2005.12.1
大阪府豊中市
発行:上杉輝子氏方・ガイア発行所
500円
 

  <目次>
   崩壊               竹添 敦子 4
   明日香の坂で/どしゃぶりの雨   水谷なりこ 6
   海への道/秋           横田 英子 8
   文楽人形             上杉 輝子 10
   岬                海野清司郎 12
   エノラゲイ            小沼さよ子 14
   小さな来訪者/(エッセイ)暮らし  熊畑  学 16
   老い/まなざし          国広 博子 18
   せみしぐれ/教えて下さい     佐藤 アツ 20
   カレーの話            立川喜美子 22
   十二月のイルミネーション     春名 純子 24
   円型の坐石/           団上 裕子 26
   (エッセイ)続・あしや川      寺沢 京子 28
   ひたすら/孫に聞かせる昔話    猫西 一也 30
         B29が長崎市に原子爆弾を投下した
   その手が見えない         平野 裕子 32
   人工衛星と/わざわい       中西  衛 34

   同人住所録                  36
   後記               中西  衛



    崩壊    竹添敦子

   人は老いると部屋が崩壊する
   祖母も伯母も多くの知人も
   それまでの人格を否定するほど
   雑然とした部屋に座っていた

   ものが捨てられないのは
   思い出が捨てられないから
   周りにものを置くのは
   動くのがおっくうだから
   明確な理由は個別あるのだろう
   そんなふうに思っていたが

   仕事をこなし
   家事をし
   さまざまな役を抱え込んで
   それでも
   週末には床を磨き
   窓を拭き
   戸棚や抽斗、天袋まで
   整え、入れ替え、分類し
   布を裁ったり、刺繍をしたり
   それが自分だと信じていて
   ふと気づいた
   祖母や伯母や多くの知人と同じように
   雑然とした部屋に座っている自分を
   週末になっても
   仕事を終えることができず
   一日一日先延ばしにしている自分を

   明確な理由など何もなかった
   以前のようには仕事をこなせない
   たったそれだけのことだった

 ああ、「老いる」ということはこういうことなのかと感じました。「祖母も伯母も多くの知人も」という具体例は無いんですが、納得できる話です。最終連の「以前のようには仕事をこなせない/たったそれだけのことだった」というフレーズも説得力があると思います。私はまだ50代ですが、近い将来への心構えができたように思った作品です。




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