きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.12.23 群馬県安中市
新島襄旧宅
 
 

2005.12.8(木)

 真珠湾攻撃から64年目の冬ですね。もちろん私は生れていません。史実として知っているだけですが、毎年この日は気になります。緒戦の勝利には有頂天になるけど、負け戦ではとんでもなくやけっぱちになるという我が日本民族の本質が露呈した、その取っ掛りの日ですから…。私の性格にも多分にその傾向はあります。自分を戒める意味でもこの日が気になっているんでしょう。持って生れた性格はなかなか直りませんけど、それを意識することで少しは修正が効くのかなと思っています。




会報『新しい風』6号
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2005.12.25
川崎市川崎区
卜部昭二氏方・川崎詩人会 発行
非売品
 

  <目次>
   詩と画と書と造形 エコール・ド・川崎展開催 1
   2005「エコール・ド・川崎展」私的感想 金子秀夫 1
   エコール・ド・川崎展余話 卜部昭二 2
   エコール・ド・川崎展作品点描 <詩・短歌>
    川崎今昔 禅馬三郎 3     統一への夢/在日六十余年 朴 貞花 3
    健介・暁男 渡辺暁男 3    鳩 金子秀夫 3
    戦後六十年 許 育誠 4    一本の木 高地 隆 4
    戦後六十年 俳諧詩       林の中で 黒田佳子 4
     ゆすらうめ 福田美鈴 4   こぼれ落ちるもの 錦 連 4
    碧空 藤田 実 4       鏡 新井知次 4



    川崎今昔    禅馬三郎

   線路脇の道を
   足ばやに行く
   出勤の人たち
   おはよう諸君
   みんな元気で働いている
   安心だ 君たちがいれば
   大丈夫だ
   さようなら
   あとを頼んだぜ
   じゃ元気で――

   僕は川崎の街にくると なぜか高見順の「電車の窓の外は」
   の詩を思い出す
   高見順が一九六三年(昭和三八)十月
   北鎌倉から乗った横須賀線電車が川崎を過ぎる時の
   車窓風景に触発されて書いた詩だ
   働く人たちに日本の未来を託する思いが伝わってこないか
   千葉大学付属病院で食道がんの手術を受ける当日だった
   この詩を残して二年後に彼は亡くなった
   左翼文学運動に関わり 逮捕・転向の苦い挫折を味わった彼
   文壇デビュー前の一時期、川崎の日本コロムビアレコード会
   社に勤めていた
   かくいう私は高見がこの詩を書いた頃 前後四年川崎で働い
   ていた
   朝 川崎駅ではき出されるおびただしいサラリーマン
   歩いて行くのは駅周辺の工場の人だ
   バスに乗るのは臨海地帯の工場で働く人
   南武線に乗り換えて沿線の工場へ向かう組もある
   工都川崎といわれていた時代
   競輪と競馬の両方があり ギャンブルの街ともいわれていた
   六〇年安保≠フ嵐が去り
   池田首相の所得倍増$ュ策に庶民は踊らされ
   大工場は増産!増産! 三交代が当たり前だった
   競輪場や競馬場は明け番の人でにぎわっていた
   仕事帰りにホルモン焼とドブロクで疲れをいやす人
   あの頃は川崎球場で初優勝した大洋ホエールズの活躍に市民
   は熱狂していたっけ
   煤煙と騒音 排気ガス……
   公害が社会問題になり 政治問題になっていた
   京浜運河で四十一人の死者を出したタンカー衝突炎上事故
   久末の住宅地灰なだれ事故では死者二十四人
   川崎駅前のビル火災で家族・従業員十二人が焼死
   タクシー労組委員長刺殺事件は迷宮入り……
   私がいた四年間はやたら変な事件が多かった
   横浜 東京 横須賀と続く革新自治体の波が
   川崎にも押し寄せようとしていた
   公害発生企業の労働組合幹部も革新政党の議員として活躍し
   ていた
   だれもが公害対策を口にしていたが 多くが会社から手当て
   をちゃっかりもらっていた
   漫画のような話だ
   そして煙突の煙を美化する市歌がまだ学校で歌われていた
   そんな川崎だったが 何かを変えようとするエネルギーが町
   のあちこちにみなぎっていた

   あれから四十年
   別の都市のようにきれいになった川崎
   物乞いの傷痍軍人がいた地下道は
   しゃれた地下街に生まれ変わり
   密造のドブロクの臭いがふんぷんとしていたホルモン横丁は
   今はりっぱな焼き肉レストラン街
   川崎映画街はチネチッタ これはイタリア語だ
   私がいた頃にはまだ教育文化会館さえなかったのに
   西口にはミューザ川崎シンフォニー・ホールなどという腰
   をぬかすような大音楽ホールができた
   今は公害の街≠ナなく 音楽の街≠セと胸をはっている
   そうだ 最近は労働者という言葉を聞かなくなった
   「労働者諸君!」なんて言葉は懐かしの「寅さん」映画でし
   か聞けない
   京浜安保共闘会議の看板はどこへ消えたのか
   昔の川崎の街は赤旗がよく似合った 実に似合った
   日本を動かしそうな労働者の汗と血の匂いがあった
   今は汗の匂いでなく 朝シャンの匂いだ
   腰弁のかわりにケータイ
   組合活動よりもNPOやボランティア活動
   それもよいだろう
   しかし……
   「君たちがいれば、安心だ」なんていう言葉は
   どうも私からは出てきそうもない
   やはり齢か

 懐かしい作品です。私が時折川崎に行っていたのは1970年代ですから、まだ「京浜安保共闘会議の看板」などがありましたけど、今はすっかり変わったのでしょうね。「今は汗の匂いでなく 朝シャンの匂いだ/腰弁のかわりにケータイ/組合活動よりもNPOやボランティア活動」というのは川崎に限らず全国的な傾向ですが、やはり川崎は「赤旗がよく似合った 実に似合った」街というイメージが強いです。それが今では「ミューザ川崎シンフォニー・ホールなどという腰/をぬかすような大音楽ホールができた」街なんですね。いずれゆっくり散策してみたいと思います。それにしても迫力のある作品で、ここにこそ川崎を感じます。




詩とエッセイ『焔』71号
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2005.11.30
横浜市西区
福田正夫詩の会 発行
1000円
 

  <目次>
   
   故郷       保坂登志子 4   「ネット」         山崎 豊彦 5
   尺八       古田 康二 6   私のかっての生の二つめの場 布野 栄一 7
   京都・哲学歩道  錦   連 8   出勤途上の車の中は     上林 忠夫 9
   二本のつる    高地  隆 10   ドア            平出 鏡子 12
   鴉2       古田 豊治 13   ひまわりへのオード     水崎野里子 14
   ある夕方     五喜田正巳 15   ペニスのモダン・ダンス   宇田  禮 16
   反覆       小長谷源治 18   作り話           福田 美鈴 20
   煩悩       阿部 忠俊 23   詩人の名前/母の鏡     濱本 久子 24
   戦後六十年    許  育誠 26   トランジスタラジオ     新井 翠翹 27
   繰り返し     植木肖太郎 28   ふたたびこころよ      瀬戸口宣司 30
   ひるがえる日々  伊東二美江 31   タケという女        北川 れい 32
   が*お*か    森 やすこ 33   海との対話         金子 秀夫 34
   少年の墓     亀川 省吾 36   福田正夫の詩・夏の詩情   阿部 忠俊 37
   <台湾詩>
   キリストの顔/落葉/離れてゆく/疲れはてた人々/酔いて問う/   喬   林 38
   人間の形/灯芯/勘定/空気/流浪                 錦  連訳
   井上靖の詩の英訳(3)                      水崎野里子 42
   福田正夫賞発表                                45
      中村明美 詩抄   受賞のことば
      選評 亀川省吾・瀬戸口宣司・傳馬義澄・金子秀夫
   連載 万歩計の旅 <二十九>                     工藤  茂 56
      知らない昨日、未知の明日                  宇田  禮 58
   追悼 萩原葉子さん                        福田 美鈴 63
   散文 貝沼隊とタレキ                       錦   連 70
      台風夜の憶い出                       許  育誠 76
   「焔」二十周年記念に代えて
      冬いちご正夫悔いなく                    金子 秀夫 78
      「冬木立」あとがき抄                    福田 美鈴 88
   書評 「フロンティアの文学」                   鈴木 章吾 93
      『トゥイ・キオウの物語』を読んで            なんば・みちこ 96
      工藤 茂著『姨捨の系譜』                  小関 一彰 99
      超現実のオブジェ解説本を読解                金子 秀夫 103
   詩集紹介                             金子 秀夫 107
    飯田保文/高橋修宏/中村純/高澤静香/石原武/
    門田照子/宗美津子/伊藤芳博/北岡淳子/筧槇二
   編集後記
   題字、表紙画、扉版画                       福田 達夫
   カット                              湯沢 悦木



    詩人の名前    濱本久子

   表向きは
   もう詩を書くのはやめる と言ったが
   本当は
   もう詩がかけなかった

   硬直した感性
   黙る感動
   霧散していく記憶
   ペンは無精をきめる
   思いは沙漠のミイラになった

   詩を書くのはやめたと
   自分自身に宣言したのに
   書店に入ると
   習慣が詩のコーナーへ連れて行った

   そこで見つけた「現代日本 女性詩人85」
   晶子や 芙美子 須磨子と一緒に
   恩師の町田志津子の名前

   著名な詩人は飛ばして
   町田志津子の詩一篇だけを
   何回もむさぼり読んだ

   懐かしい詩との唐突の出会いが
   恩師への思いを蘇らせて
   詩へのノスタルジアを煽った

   その夜 ためらうことなく
   私は今日の心を詩にした。

 「町田志津子」という懐かしい名前を拝見しました。町田さんが亡くなって、もう20年ぐらい経つのかもしれませんね。確か沼津で『塩』という詩誌を発行していたと思います。誌名を忘れて申し訳ないのですが、毎号送っていただきました。お会いしたこともなく、まだ30代だった私にどうして送ってくれるようになったのか今だに不思議です。
 それはそれとして、紹介した作品にはギクリとさせられました。私は「もう詩を書くのはやめる」とは宣言していませんが「本当は/もう詩がかけなかった」と、いつ言うようになるかと不安です。不安の中身は第2連の通りです。特に「硬直した感性/黙る感動」というフレーズは身につまされますね。やはり「何回もむさぼり読」む作品に出会わないといけないのかもしれません。




詩誌『蠻』143号
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2005.12.20
埼玉県所沢市
蠻詩社・秦健一郎氏 発行
非売品
 

  <目次>
  【詩作品】ロスタイム    山浦 正嗣 2  禁じられた時間   山浦 正嗣 5
       わたしの椿花 いわたにあきら 8  薔薇と刺    いわたにあきら 12
       花を育てて    穂高 夕子 15  くれなずむ・街   佐藤  尚 18
       清和文楽     井上 勝子 20
  【短歌日記】                           穂高 夕子 22
  【俳 句】自選俳句二十句 『秋思多々』              川端  実 24
  《エッセイ》正岡子規(2) 子規改革虎の巻            川端  実 26
        深沢七郎論(13)『風流夢辞』(その2)        浜野 茂則 38
  【同人随想】土壇場サヨコのプログ日記               月谷小夜子 44
  【童話】  夢有ちゃんと岬ちゃん                 穂高 夕子 52
  《連載小説》蒲桜残映(22)                    中谷  周 56
        沈黙の太陽(5)−聡太郎の山荘日記−         秦 健一郎 77
  【受贈御礼】                                 87
  【詩作品】案山子       近村 沙耶 88  臨終       藤倉 一郎 90
       二羽のカラスの対話 藤倉 一郎 93  秋雨       月谷小夜子 96
       梨         月谷小夜子 98
  【編集後記】おじぎ草・同人住所録                       100
  〈表紙題字〉故 難波淳郎画伯  〈装幀〉佐藤 尚



    案山子    近村沙耶

   夏の厳しい暑さがやっと通り過ぎると
   秋の柔らかな日差しは病んだ心に染みてゆく
   ときおり心地良い風が
   短くなった私の髪をそっと撫でて
   見渡す限りの稲の海原をゆったりと揺さぶる

   ぽつぽつと彩り始めた樹木
   ふと足を止めて深呼吸する その先に
   色褪せた絣の着物をまとった案山子
   ほうかぶりした道化者は私を睨んでいる
   立ち止まれないほど歩いて歩いてここまで来た
   心が押し潰され壊れていっても
   抱きとめてくれるあなたの掌はない

   案山子は素晴らしい実りを守って次年へと引き継ぐ
   ただ片足でぼーっと立っているだけではない
   役割は立派に果たすだろう
   私はこれからも立ち止まれないほど歩いてゆくだろう
   畔道に真っ赤な彼岸花点々と咲いて
   案山子と私の会話を体を振りながら聞いている

 「立ち止まれないほど歩いて歩いてここまで来」て、「これからも立ち止まれないほど歩いてゆく」その道すがら出会った「案山子と私の会話」。非常に象徴的な作品です。「心が押し潰され壊れていっ」た「私」は、「ただ片足でぼーっと立っているだけではな」く「素晴らしい実りを守って次年へと引き継」ぎ、「役割は立派に果た」している「案山子」に精神的に救われているのが判ります。
 最終連の「畔道に真っ赤な彼岸花点々と咲いて/案山子と私の会話を体を振りながら聞いている」というフレーズが佳いですね。視点の変化と「真っ赤」という色彩が印象的です。




高原木代子『夕暮れの厨房』
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2005.12.10
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2000円+税
 

  <目次>
   とむらいの日 6    厨房から 10
   風鈴 14        サクラ 18
   やじろべえ 22     冬の厨房 26
   偏頭痛 30       日常(一) 34
   日常(二) 38      或る日の思い 42
   夏点描 46       冬日 50
   梅雨どきの朝に 54   沙羅の花 58
   手紙 62        夕暮れの厨房から(鰹) 66
   穴惑い 70       或る日 74
   宿り木 78       あじさい後日譚 82
   男と女の物語 84    竹田さんのこと 88
   母の章 94

    あとがき 98



    冬の厨房

   しらしらと夜が明けるとき
   母の夢をみた
   重い腕で寝返る痛みで
   ひとりにかえったわたしを
   布団のぬくもりがだまって包んだ

   夜 冴えかえっていた空だったのに
   ひそかなだまし討ちのように
   夜明けに雪が降り積もっていた
   戸をあけると
   明るんでくる山なみに
   空の企みが星をつれて消えた
   わたしは雪をふみしめて離れ家を出る
   泊り客の立て混んでいる母屋への道を急ぐ

   まだ誰も起き出してこない厨房は
   手にふれるものが何もかも冷たく
   ストーブに火を入れ客の朝茶の湯を沸かす
   湯気が立ち少しずつ寒さがゆるむ
   棚に並んでいる包丁を手にすると
   身がひきしまってくるのだけれど
   朝食膳がすべてととのう頃
   老いを感じるのだ

   後始末がすんで
   夕方の予定などお茶を飲みながら話し合ったあと
   ふと今朝がた夢にみた母の姿を思う
   ぼんやりかすんでいる白内障の眼で
    「今日はおまえがはっきり見える
     とてもきれいだ」
   病室でそう言った母
   それから数日して鬼簿に入った
   勘のようなもので針仕事をしていた老いの思いを
   どこにおいていったのだろう

   さめかけたお茶を飲み干す
   さてとわたしも
   片道の切符がすでに切られているかもしれない
   気合いのようなもので働いている日々
   父亡きあとのすがしく生きた母に
   ひっそりとすりよってみる

 2001年刊行の前詩集『山繭』の紹介でも触れたことですが、著者は旅館か民宿を経営しているようです。今詩集タイトルの「夕暮れの厨房」や紹介した作品「冬の厨房」からも判る通り、厨房から見た世界が重要な素材になっています。私などは泊まって深酒して寝るだけですけど、「手にふれるものが何もかも冷たく」なっているところから「湯気が立ち少しずつ寒さがゆるむ」頃まで働いて、「客の朝茶の湯」を準備してくれている人がいるのだなと改めて思います。
 「朝食膳がすべてととのう頃/老いを感じるのだ」というフレーズは実感なんでしょう。私も50半ばを過ぎましたから、20代30代とは違う「老い」を感じています。具体的な「朝食膳がすべてととのう頃」という事例が生きているフレーズです。第1連と最終連の「母」も重層的に「老い」を考える効果を出している作品だと思いました。




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