きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.12.23 群馬県安中市 | ||||
新島襄旧宅 | ||||
2005.12.16(金)
午後から関連会社の社員が訪ねて来ました。電話でアポがあったのは直前でしたから会議室が取れず、構内の喫茶室で打合せを持ちました。これが意外に良いんです。
私のところは会議室で煙草が吸えません。お客さんが来ると以前はコーヒーかお茶の接待がありましたけど、最近はお茶しか出ません。それも自分で注げ…。経費節減なんでしょうが味気ないですね。
それに比べれば喫茶室は天国です。煙草は吸えるしコーヒーも飲める……、もっとも、自腹ですが(^^; でも、ゆったりとした気分になります。話も弾む、仕事はどんどん進む、、、と思います、、、たぶん。ま、成果を期待しましょう!
○秦 恒平氏歌集『少年』 | ||||
2006.1.8 | ||||
東京都杉並区 | ||||
短歌新聞社刊 | ||||
667円+税 | ||||
<目次>
菊ある道……………………… 五 跋………………………秦 恒平 八五
山上墳墓………………………一〇 初原に触れる…………上田三四二 八八
東福寺 ………………………一四 根の哀しみ……………竹西 寛子 九四
拝跪聖陸………………………一九 母と『少年』と………秦 恒平 九九
光かげ ………………………二五 解 説………………田井 安曇 一〇四
夕 雲………………………三四 秦恒平略年譜……………………… 一一〇
弥 勒………………………四一
あらくさ………………………五〇
歌の中山………………………六○
迪 子………………………六六
華 燭………………………六九
保谷野 ………………………七五
日本ペンクラブ電子文藝館館長・秦恒平氏の歌集です。タイトルの「少年」は、15歳からの作品を集めたことに由来します。この暮に古希を迎える著者の15〜20歳が主で、27歳までの220首ほどが収められていました。初版は29歳のときに私家版として出版し、39歳時に湯川書房より再出版、42歳時には不識書院より新書版箱入りで再々出版し、この度文庫となったようです。おそらく纏った形での短歌はこのシリーズしかないと思います。27歳からは小説に取り組んでいますから、小説家に至る15歳から27歳までの文学的軌跡を証明する貴重な歌集だと思います。
私は短歌はまったくの門外漢で、恥かしい話ですが15歳の少年が書いた作品でさえ鑑賞し切れない歌が多々ありました。そんな中でも多少は鑑賞できるという作品を紹介してみましょう。
うす雪を肩にはらはずくれがたの師走の街にすてばちに立つ
1953年17歳のときの作品で、雪も払わず「すてばちに立つ」ところに若さを感じます。ああ、オレもそうだったな、という思いは一回り以上も年下の私にもあります。
ときのま
瞬間のわがうつし身と覚えたり青空へちさき虫しみてゆく
こちらも17歳の作品。小さな虫が青空に滲みて行くのが自分の映し身のようだと捉える感性は、その後の秦さんの小説を読むと良く判ります。秦文学の核心のような歌と言ってもよいでしょう。
た あさい
閉てし部屋に朝寝してをり針のごと日はするどくて枕にとどく
これも17歳の作品。今ではあまり見られませんが、雨戸の節穴から差し込む「針のごと日はするどくて」、想像力を掻き立てられたものです。ここでは美的なセンスを感じました。ことによったら秦文学の美意識の解明に必要な歌かもしれません。
偽りて死にゐる虫のつきつめた虚偽が蛍光灯にしらじらしい
生きんとてかくて死にゐる虫をみつつ殺さないから早くうごけと念じ
二首ともまたまた17歳の歌です。死んだフリをする虫をうたったものですが、小さなものに対する基本的な姿勢が読み取れます。
偶然に17歳時の短歌ばかりを紹介してしまいましたが、その早熟ぶりに驚きます。中学生の頃からこんな文学的なセンスを持っていたのでは、とても私などが太刀打ちできるものではないということがよく判りました。幸いにもペンクラブでご一緒させていただいていますから、あとは盗むしかありませんね。委員会でも言動もおもしろいので、今度はちゃんとメモを執っておこうと思います。
○隔月刊誌『新・原詩人』3号 | ||||
2005.12 | ||||
東京都多摩市 | ||||
江原茂雄氏方 新・原詩人事務所 発行 | ||||
200円 | ||||
<目次>
『この詩』T 朝露のようなプロメテウスのような 萩ルイ子 1
読者の声 2
詩のページ
私の体の国連総会 3 ウダウダ/どっこい生きている 橘安純 3
憲法改悪 山田塊也 3 友では まつうらまさお 4
気だるい日 墨 微 4 祭囃子 神 信子 4
きれいな山 川はらさえか 4 あるとき 井之川けいこ 4
ヘルダーリンを偲ぶ 大地の巡礼 一心 5 <<ロンドンから僕らへ>> 竹内 元 5
侵略者とハチの話 江原茂雄 5 国会議事堂 伊藤真司 5
せんりゅう 4
広告/事務局より 6
傷ついた霊魂のために 高静煕(コジョンヒ)
傷ついた葦でも 空の下では
季節中 たっぷりと揺れるだろう
根さえ深ければ
根っ子が切られても 新芽は萌え出るだろう
思いっきり揺れよう 傷ついた霊魂よ
思いっきり揺れて 苦しみを嘗めよう
根浅く揺れている浮草の葉でも
水がたまれば 花は咲くだろう
この世の中 どこにでも小川は流れて
この世の中 どこにでも明かりは点るように
行こう 苦痛よ 肌を合わせて 共に行こう
孤独だと思い込んだら どこにも行けないだろうか
行こうと命を賭ければ 沈む陽が問題だろうか
苦痛と悲しみの土地をさっと通り過ぎて
根の深い野原に立とう
二本の腕で防いでも風は吹くように
永遠の涙というものは無いのだ
永遠の悲嘆というものは無いのだ
真っ暗な夜でも 空の下では
相携える手 ひとつ 来ているであろう
(萩 ルイ子訳)
今回から始まった『この詩』シリーズのトップバッターです。高静煕は1948年生、1991年事故で没した韓国の女性詩人ですから、私と同年代ですね。翻訳の良さもあるのでしょうが非常に格調高く、日本の同年代の詩人とはちょっと違うものを感じます。意味として繰り返される「根さえ深ければ/根っ子が切られても 新芽は萌え出るだろう」というフレーズは、韓国の置かれた歴史的な位置を抜きには鑑賞できず、ここは同世代でも我々には決して書けないところでしょう。その上「行こうと命を賭ければ 沈む陽が問題だろうか」と問う前向きな姿勢に感嘆します。韓国にとっても我々にとっても惜しい詩人を亡くしたのだなと思います。
○詩の雑誌『鮫』104号 | ||||
2005.12.10 | ||||
東京都千代田区 | ||||
鮫の会・芳賀章内氏 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
鮫の座 岸本マチ子――表紙裏
[作品]
子供の目で見ていた 仁科 龍 2 風生 井崎外枝子 5
冬の裏声 飯島研一8 深秋の迷路 前田美智子 10
剥離 芳賀稔幸 12 画廊にて 高橋次夫
16
[高橋次夫『篠竹』特集]
苦悶する記憶 吉川 仁 18 記憶を現代のミュトスに編みあげる 大河原巌 21
[作品]
あなたの家に帰りたい 大河原巌 22 いざ、草をむすぶ(ゆるしに 原田道子 24
風鈴色 松浦成友 26
望郷のバラードは もう 聞こえてこない いわたにあきら 28
防人の詩 岸本マチ子 32 遺恨 今駒泰成 34
イコン 35 挽歌 芳賀章内 37
[謝肉祭]
マグダレン修道院 今駒泰成 40 遊たい・む 前田美智子 42
「脅威」と「伴侶」 原田道子 44
[詩誌探訪]原田道子 45 編集後記 表紙・馬面俊之
子供の目で見ていた(戦後抄 T) 仁科 龍
日本海一の港があるその街から アメリカの進駐軍の姿が消える
前後の頃の記憶が にわかによみがえってきた
酷暑に息づまる日々の中でも 木っ葉や紙クズが風に舞う晩秋の
肌寒い日々の中でも ぼくらはそれを見ていた
欠損だらけのアスファルト道に ひざまずいて物乞う人たち 片手
なく義手をつけ ひざ下の足なく義足つけ 顔面がつぶされて目だ
け見えるように包帯がまかれた異形の人たち 仲間のかなでるアコ
ーデオンの音大きく 何事か叫んでいるのだが 意味がわからない
ひたすら大地に頭をおしつけて 道行く人に物乞いする人たち 破
れをかがった軍帽をかぶり 白衣とゲートルで身じまいをして 顔
うつむけて ただただ小銭を乞う人たち 駅の出入口にも 街中の
道路の片スミでも 終日それらの人たちの五体投げ出した姿が見ら
れた 後になって傷痍(しょうい)軍人だと教わったかの人々 あれは一体何だ
ったのだろう
地方都市の小学校を終える前後のぼくら子供には 何もわからなか
ったのだ
住まう街には時おり 欠けた木の椀を手にいくつもの風呂敷包み
を背負った女の人が 家々の勝手口で頭を下げて食を乞い 断わら
れたりした姿を見たし バイオリンを持ち 陽やけした白髪の男の
人もさまよい歩き たまに何かの曲など弾く姿を何度も目にしてい
た記憶がある 投げられた小銭のおひねりで日々の飢えをしのいで
いたのだろうか
ワルガキ仲間のぼくらは 物乞いする女の人をきくさ≠ニよび
バイオリン弾く老人を太郎さ≠ニよんで その人たちが来るたび
に 周りをとりかこみ からかい ひやかし悪たれついていたもの
だ 身よりなく食を乞う女の人だったのだろう ほかに生きるすべ
のない音楽家の老人であったのかもしれない
あの白衣・ゲートルの異形の人たち 彼らこそまぎれもなき帝国
軍人 戦場にあって砲弾で足をふきとばされ 機銃でうでをひきち
ぎられた人であったにちがいない おそらくは軍刀をきらめかせ
肩いからせて 大陸の荒野に血しぶきをあびて 叫んでいた人たち
かも知れないだろう 絶望的にしがみついた誇りも粉砕され この
上ない屈辱の谷底へ転落した内面のカオスが 破壊された肉体を大
地にひざまずかせていたのだったろうか
陽にやかれ アカにまみれた太郎さ≠熈きくさ≠焉Aその後
どのようになったことか誰も知らない かの人たちがそのようにし
て過ごさなければならなかった日々とは一体何だったのだろうか
成人するまで 学校では一切教えられることはなかったが 子供
の目で見ていたあれが戦争なのだ
私も作者に繋がる最後の世代のようで、「傷痍)軍人」を記憶しています。1959年頃に住んでいた静岡市で。戦後15年ほどですから、おそらく最後の光景だったのかもしれませんね。「アコーデオンの音」「破れをかがった軍帽をかぶり 白衣とゲートルで身じまいをして」いた姿を今でも鮮明に覚えています。確かに「子供の目で見ていたあれが戦争」だったのだろうと思います。
「太郎さ≠熈きくさ≠焉vは今につながる問題のように思えてなりません。ホームレスなどとカタカナにされると印象は薄められてしまいますが、「かの人たちがそのようにして過ごさなければならなかった日々」は何も変わっていないように思います。
敗戦後から現代までを一連の歴史として考えさせられた作品です。
○季刊詩誌『ゆすりか』67号 | ||||
2006.1.1 | ||||
長野県諏訪市 | ||||
ゆすりか社・藤森里美氏 発行 | ||||
1000円+税 | ||||
<目次>
◆巻頭詩
川べりと書いて 新川 和江 夢は 木村 孝夫
◆作品(1)
水馬(あめんぼ)抄 片岡 文雄 6 サムライ 根本 昌幸 16
草笛 森 常治 8 桜道/秋彼岸 北原 溢朗 18
物語 松尾 静明 10 宇宙としての自分 荘 柏林 20
十姉妹 國峰 照子 12
(今辻和典訳)
無言 瀬川 紀雄 14 シャンプー 木村 孝夫 22
◆作品(2)
風韻 陳 千武 24 夕焼け 丸本 明子 32
鐘 金 光林 26 踊る骨骨 小池 豊一 34
三井の晩鐘 相馬 大 28 桑の実の甘さよ 進藤 玲子 36
要らない 倉岡 俊子 30 老い・三題 小坂 太郎 38
◆エッセイ(1)
南米チリに出逢った日 白石かずこ 40 サクラ読本の原典(六) 杉原 潤 48
不思議な気配の源泉をもとめて 三田 洋 43 試論 脱近代化社会における 添田 邦裕 51
◆作品(3) 人間意識の変革
雨上り 天彦 五男 58 夢 みうらひろこ 64
欧化の花 小島寿美子 60 早春賦 卜部 昭二 66
霊魂 山中 年行 62 自虐 秋田 高敏 68
◆作品(4)
スクリューペイパー 森井 香衣 70 秋の雨だれ 長田 秀夫 78
神の水 能登 金作 72 遺作展顛末記 竹村 照代 80
一周忌 吉原 路子 74 日本よどこへゆくのか 篠田味喜夫 82
はげまし 下ア 一男 76 木曽路の雪 藤森 里美 84
◆作品(5)
祈り 長田 秀夫 87 旅はへだたり 小池 豊一 93
父と母の写真帳 北原 溢朗 87 眺望 わたなべえいこ 94
時間よ 荘 柏林 88 花瓶/ふるえながら 木村 孝夫 95
ひらがなと漢字とカタカナ/てがみ 根本 昌幸 89 明けの月/溜り水に写った秋空 小島寿美子 97
朝 吉原 路子 90 しゃぼん玉 丸本 明子 98
一人旅/剥製 秋田 高敏 91 ホタルの夢 佐藤 敏 99
父の見た月 進藤 玲子 92 郭公/すぐりジャム 山中 年行
100
◆テーマ詩(旅)
萬物塔 金 光林
101 旅路 能登 金作
107
望郷 長岡昭四郎
102 G線上のアリア みうらひろこ
108
わが峠 小坂 太郎
103 わが旅路 竹村 照代
109
日に向って 木村 孝夫
104 夜盗虫(チョッキリ虫) 高林 正英
109
旅の声 下ア 一男
105 これから旅立ち わたなべえいこ
110
<旅>エトランゼ 卜部 昭二
106 そんななんでもないものに 佐藤 敏
110
旅 吉原 路子
107 シンドラーのリスト 荘 柏林
112
◆エッセイ(2)
ふるさとの土蔵 落合 純子
113 聞けわだつみの乱声・補記 宮崎 宜義
122
ほうとうムスメの医学部日記(3)
杉原 正子 117 平野威馬雄さんのこと 長岡昭四郎
126
私の東横線/最良の日 伊東 美好
120 開通百周年に寄せて 三井 利朗
129
◆『源氏物屯巴つれづれ(四) ◆時 評
−小野の草庵と浮舟− 相馬 大
134 頻発する企業買収問題とその解決策 五味秀雄
137
◆現代詩時評
コミュニティ喪失と現代詩 「放鷹」をめぐる史的研究
−詩論集『<現代詩>の条件』に 相馬 大
140 −「さいとりさし声を中心に− 相馬 大
151
専ら人を死から見る 千曲川を白い雲が渡る
谷口謙詩集『切畑から』覚え書 片岡 文雄
142 −石井健次郎詩集『透琴集』に− 相馬 大
153
◆風情・あとがき
154 ◆同人名簿
158
物語 松尾静明
いま見ている夢のなかの風景
あれは どんな女と男の物語なのだろう
春の川辺に座った女は 笑いをおさえることができない
男のズボンの裾が川水に濡れるので
あの 若い女と若い男が
若い母と若い父だとすれば
どんな老いた女と老いた男の物語を終えたのか
二人は まだ知らない
貧しかったが たっぷりの時間のなかで
丘のトウモロコシ畑のカマキリのように
たくさんの息子をもうけたが
大きな戦いがあって
たくさんの命令があって
ながい飢餓と禁欲があって
いくつもの白い柩が庭先へ並べられた
終わってみれば
敵も味方も背広を着ていた国 そこで
どんな老いた女と老いた男の物語を終えたのか
二人は まだ知らない
いま見ている夢のなかの風景
風が若い女の髪を捲きあげる
桜の花片が若い男の肩へ散り若い女の手がはらう
あの 若い女と若い男が
若い母と若い父だとすれば
何も知ろうとしない若々しさ
時間を見えなくしているいまの戯れ
疑い深くない想像力
すべすべした予感
なによりも
隣人が旗をあげれば一緒に旗をあげるやさしさ
そのために
たくさんの息子たちがどんな物語を終えたのか
老いた女と老いた男はどんな物語を終えたのか
二人は まだ知らない
最初にお断りしておきます。最終連の「時間を見えなくしているいまの戯れ」の「いま」にはルビ点が付いています。html書式では綺麗に表現できないので省いてあります。強引に付けると、
・・
時間を見えなくしているいまの戯れ
のようになります。作品の中では非常に重要なところなのですが止むを得ません。そのように読んでください。
さて、この「物語」の謂わんとしているところはすぐにお判りですね。現在(いま)の時点から見ている「若い母と若い父」の時代です。その怖さを最終連ですべて書いています。「何も知ろうとしない若々しさ」の果てに「大きな戦いがあ」りました。それが過去のことでなく現在に続いている、繰り返されようとしていることを訴えています。声高に反戦を唱えるのも必要なことかもしれませんが、父母の若い時代という身近なものに引き寄せて表現する手法に私は惹かれます。
この「物語」の方向を変えたいものだと思った作品です。
○木村孝夫氏詩集『あれから ひとり』 | ||||
2005.3.19 | ||||
長野県諏訪市 | ||||
ゆすりか社刊 | ||||
1492円+税 | ||||
<目次>
序・・・あれから ひとり 9
*あれから
納骨 12 寂蓼 16
美しさとは 18 震える手 20
沈む 24 曲 26
永遠 28 日曜日 30
日めくり 32 挨拶 34
赤い財布 36 スーツ 38
秋刀魚 40 暮秋 42
黄昏 44 晩秋 46
見送る 48 一年忌 50
節分 52 記録 54
*ひとり
手 58 葬送 60
秋雨 62 染まる 64
問答 66 バネ 60
月夜 70 三日月 72
位置 74 恋心 76
くつろぐ 78 砂時計 80
人間ドッグ 82 風邪 84
告別式 86 街角 90
果樹園 94 ひととき 98
森 102 けもの道 104
あとがき
106 表紙絵 横田 昌蔵
扉 絵 相馬 大
裏表紙 藤森 里美
秋刀魚
僕は この頃秋刀魚を上手に焼いたことがない
昔は 七輪と一握りの炭と魚を焼く網があれば
上手に焼けた
煙が もうもうと立ち上がる中で
大根おろしが間に合わない勢いで食いつくから
上手下手もなかったが
いまは スーパーのラップに包まれて秋刀魚は焼きあがっている
味も素っ気もないが
電子レンジで暖かさだけは保証される
秋刀魚が
高級魚と言われるようになった頃
僕たちは出会った
一方的な求愛だとあなたは言っていたが
ひとりの寂しさから逃げるように ふたりになった
ときが過ぎ 時代も変わったが
秋刀魚は相変らず高級魚で
いまも焼くコツが難しい
七輪からレンジの時代に変わり
ふたりから ひとりになった
時代を追いかけても何も変わらない
と いうのは嘘で
いまだ上手に焼けないものばかりが身近にある
秋刀魚が悲しい魚だと言った
詩人の心境がわかるようになってきた
少し遅すぎたが
2003年に奥様を亡くして『眠るのはまだ早いよ』を出版し、それに続く詩集です。「秋刀魚が/高級魚と言われるようになった頃」に出会って、「七輪からレンジの時代に変わ」った今、「ふたりから ひとりになった」。秋刀魚が上手い素材として使われています。しかし「いまだ上手に焼けないものばかりが身近にある」という思いがあり、「秋刀魚が悲しい魚だと言った/詩人の心境がわかるようになってきた」が、それは奥様を亡くすという経験のあとで、「少し遅すぎた」と締めるところに素材を越えたものを感じます。うたわなければならない、うたいたい、という詩の根源を成す作品であり詩集であると思いました。
○金敷善由氏詩集『花、一枚、一枚。』 | ||||
2005.11.27 | ||||
東京都新宿区 | ||||
土曜美術社出版販売刊 | ||||
2000円+税 | ||||
<目次>
T
うつろう花へ 8 収縮する花 12
花、一枚、一枚 14 アサガオ 18
共犯者 22
U
嵐の街から 26 巷の白鳥 30
冬の櫟林 32 雪の心理 36
闇のなかの白まだらの蛇 38 白いけもの 40
V
八月の闇はしたたかに 44 ガラスの魂 46
彼岸に辿り着く女 50
W
サライ芸術論 58 公園をさまようホームレス 60
ハートをいだく片翼の天使 64 季節はずれの蝶が 68
蝶の死粉 74
V
海鳥はもう居ない 78 子連れ狼と魚狗(かわせみ) 80
人間狩り 84 驟雨 86 眠れない夜 90
あとがき 94
花、一枚、一枚
ある日、わたしの中で灼き尽くされた花が零れた。花
がのけ反って露地に抱かれていた。花が露地に抱かれて
いたからと言って世界が幾らかでも変わるわけではない。
それどころかわたしの住む街が、血をながして顫えなが
ら何かを呟いているのをわたしには解るのに、世界はか
すれ声一つ出さずに非情に包まれていた。わたしが今、
世界に向かって激震すればする程、たとえばわたしを暴
くおんなも暴かれるわたしも、阿片のように横流しされ
て、気がついたとき、わたしはもうそこには灰となって
不在としか言いようがなかった。窮地に陥ったわたしが
やがて還れるところは何処にもなかった。わたしはベッ
ドから半身を起こしながら、昨夜の中に辞書に挟んで置
いた押し花をほどいて見せるのだ。花の皮膜から死に切
れない痛みが吹き出してわたしの胸明かりを刺す。その
一枚、一枚の花片が死に文字となってねぶかく悲しくも
果てるまえのわたしの命をかき立てて辱めたのだ。そし
て世界は嵐。わたしの髪の毛は何と悲惨なほど白くなっ
ていた。それでもわたしはその残り毛を剃るどころかこ
れ見よがしに髪油で撫でつけていた。残りの血汐をまさ
しく花にささげて修羅となり、わたしはいそいそと庭に
降りていた。気色も失せ、わたしの身がしだいに宇宙か
ら消されて解け始めていた。のら猫が何かにおどろき勢
いついた弾みにわたしの横丁を、走り抜けていった。
そして重い辞書をひらくとそこにナマのまま扼殺され
た花たちの命が、白い小さな汽船のように柔らかい光を
放ちながらいつまでもわたしの狼藉を呻いていた。
タイトルポエムです。私が密かに金敷節≠ニ名付けている喩を楽しませてもらいました。「花」は何と捉えても良いのでしょうが、私には女≠ナあり、そして言葉≠ニ読み取れました。「昨夜の中に辞書に挟んで置/いた押し花」の「一枚、一枚の花片」を、双方にダブらせながら鑑賞しました。
やはり最後が佳いですね。「そして重い辞書をひらくとそこにナマのまま扼殺され/た花たちの命が、白い小さな汽船のように柔らかい光を/放ちながらいつまでもわたしの狼藉を呻いていた」と締めていますが、この「狼藉」が良く効いていると思います。また新しい金敷節≠フ世界を堪能させていただいた詩集です。
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