きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.12.23 群馬県安中市
新島襄旧宅
 
 

2005.12.19(月)

 会議、会議の1日でした。10時から午前中いっぱい。13時半から15時まで。15時半から17時まで。その合間に本来の仕事をしている有様。ま、会議も仕事ですからね、そう邪険にはできませんけど…。実験室にこもって好きな実験をやる、そんな恵まれた日はもう来ないのかもしれませんね。




長久保鐘多氏詩集『二十世紀と二十一世紀の間に』
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2005.9.15
福島県いわき市
詩季の会刊
2000円+税
 

  <目次>
    T
   二十世紀と二十一世紀の間に 10    二十世紀よ! 16
   さようなら、二十世紀(プラハの春)20  ぼくらは二十世紀人 T(戦争編) 28
   ぼくらは二十世紀人 U(平和編)34   二十一世紀の「新しい戦争」T−自爆するイスラーム− 40
   二十一世紀の「新しい戦争」U−アフガニスタン・テロ戦争− 48
   二十一世紀の「新しい戦争」V−多発するテロリズム− 54
   二十一世紀の「新しい戦争」W−イラク戦争− 62
   国境の視線 70            社会主義モダニズム 74
   戦争と伽排 78            ヒンドウーの花々 82
   ある遣唐使の死 86          やせたカラス 92
   シンガポールからマレーシアヘ、ようこそ 96
   ジョホール・バルの思い出 100

    U
   畑の草 106              星の行列110
   煙の影 114              阿修羅のように 118
   雨の朝 124              ぼくの人生論 128
   ホームレスの定義 134         人間ドック 138
   朝の眼差し 144            盲目の絵画 150
   フロントガラスの虫 154        鳴呼 二つの作品 158
   蜘蛛の巣の門 162           ぼくの枯れ葉 166
   定年退職 170             ビルのなかの蟻 174
   人生のプラン 178           盂蘭盆(うらぼん)の集まり 182
   他者 186               森と風の定義 190
   カフスボタンの思い出 194       汽車よ 198
   年老いた蝶 202

    V
   時間の外出(その三) 206       automatic writing etude with my personal computer 216
   我が
Linux人生 250

   初出一覧 234             あとがき 238



    二十世紀よ!

   時代はすでに二十一世紀に入ってしまったのだが
   ぼくはまだ二十世紀のことが忘れられない
   正直言って二十一世紀を生き延びるよりも
   ぼくは二十世紀をやり直したい気分でいるのだから

   今年(二〇〇一年)の元旦の分厚い新聞をくまなく読み
   ながら
   二十一世紀において人類はこうなるであろうか
   といったようなその特集の底に
   ぼくは時代の忘れ物を探し始めてしまうのだ

   人生の半分以上を生きてしまったぼくに
   新しい世紀など本当は必要ないのだ
   たとえば地球市民なる概念がある
   それは結局誰をも具体的には意味してはいないのだ

   我々人類は全員が宇宙船地球号の乗組員である
   たった一つかけがえのない地球の市民である
   この言明によって民族問題は乗り越えられるのだろうか
   今まさに発射されようとしている弾丸を止めることなど

   もう一度二十世紀をやり直そう
   ぼくが生まれた一九四三年七月十八日からでも良い
   その時すでに戦争は始まってしまっていて
   前年の六月五日ミッドウェー海戦で転機は訪れていた

   ぼくらの町を掠めて行ったB二十九の編隊の爆音と機影
   灯火管制の暗い夜泣き止まなかっただろうぼくの泣き声
   空襲警報発令と共に逃げ込んだ防空壕
   母か隣の娘さんの背中で感じる汗と恐怖の匂い

   近くの大日本炭鉱に落とされた焼夷弾
   翌朝父は子供の玩具にでもと拾ってきた破片の変形
   艦砲射撃のたびごとに悲しく震え続ける窓ガラスの音
   県境の山から打ち上げられた風船爆弾

   国防婦人会は校庭で竹槍の訓練
   生きて虜囚の辱めを受けずの倫理観
   神風特別攻撃隊の決して凱旋のない出撃
   一九四五年八月六日広島と八月九日長崎の原子爆弾

   どこからやり直せば良いのだろうか
   戦争と貧困の幾重にも重なった歴史の層の中で
   人間一人の生命は地球よりも重いのだ
   二十世紀よ!ぼくらと一緒に生き延びよ

 「二十世紀と二十一世紀の間に」と名づけられた壮大な詩群の中から巻頭作に続いて載せられてた作品を紹介してみました。詩集の中では「U」「V」にも優れた作品があるのですが、ここは詩集タイトルに近い詩を集めた「T」の方が詩集の性格を語るだろうと思います。
 第1連に置かれた「二十世紀をやり直したい気分でいる」という詩句は詩集全体に通じていると云えるでしょう。「時代の忘れ物を探し始めてしまう」というのは私たちの年代(私は1949年生)に共通のものかもしれません。「地球市民なる概念がある/それは結局誰をも具体的には意味してはいないのだ」というフレーズは慧眼だと思います。そんな中途半端な概念≠ェ21世紀には無くなってほしいものですね。示唆に富んだ詩集を堪能しました。




原田克子氏詩集シュールダンスをあなたと
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21世紀詩人叢書・第U期15
2005.12.15
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2000円+税
 

  <目次>
   シュールダンスをあなたと
   シュールダンスをあなたと 8   マリーナ壱番館 12
   1005便21H 8・6 16     三月十三日の翌日にデュラスを読む 20

   (ハン)の途上
   恨(ハン)の途上 26        卓上石 32
   輪を辿る 35           頭蓋を見た指 38
   凍気の記憶−新聞紙− 42

   青のこ
   青のこ 48            フタゴムシ 51
   紅 54              あやし唄 58

   疲弊する憂鬱
   疲弊する憂鬱 64         疲弊する憂鬱 2 67
   疲弊する憂鬱 3 71       壊心 76
   壊心 2 80           壊心 3 84
   壊心4 長沼町に陽が沈む 87   壊心5 蝸牛 89
   壊心6 懐 94

   桃の節句に生まれたわたし
   桃の節句に生まれたわたし 100   市毛小学校を訪ねた日 105
   ジュリの店から木馬は見えない 110 赤手の空白−K・揚さんへ− 115

   初出一覧 120           あとがき 122



    シュールダンスをあなたと

   子どもたちが赤い風船をもっている
   手に手に幸せを詰めた風船をもっている
   遠足の日の朝雨だったこと
   おもいがけず徒競走でビリにならなかったこと
   思い出せる長い時間などなかったはずなのに
   もう これからのことは考える必要がないかのように

   遠くから大きなおとこがやってくる
   静かに静かに靴音をならすこともなく
   黒い木の実を入れた
   堅い鞄をさげて
   みたこともないお伽の國への地図を抱え
   みんなで行こう と誘いにくる

   ダンスを踊りましょう
   蛇のようなリズムにのって
   ステップを踏みましょう
   羊のように並んで

   あなたの暖かい指先がわたしの胸元をすべる
   わたしの青い爪があなたの喉に刺さる
   あなたの緑の涙がわたしの子宮に注がれる
   わたしの凍った心をあなたは食べる

   子どもたちは赤い風船を離す
   上っていく風船に込めた思いを追いかけることもせず
   二度と 戻らないもの
   また 戻ってくるもの

   大きなおとこはゆっくりと近づく
   開いた地図のうえには
   まんまるに太った蜘蛛の影がうつり
   糸を張る楽しい呪文がきこえてくる

   お伽の國はいつも祭り いつでも祭り

   ダンスは
   回転木馬にまたがるように
   ステップは
   離した風船にとどくように

   わたしはあなたの筋張った手を握る
   あなたはわたしの括
(くび)れを探す
   重なり 回り 回り 重なり
   回り 重なり 重なり 回り

   けして 隙間 を作らぬように

 タイトルポエムを紹介してみました。「シュールダンス」は造語で、シュールリアリズムとダンスを結びつけたものと考えてよいでしょう。「大きなおとこ」の喩をどう捉えるかが大事だと思うのですが、文字通りの大男でもよいでしょうが、私には時代≠ニいう大きなものを感じてしまいました。そういう読みもおそらく許されるだろうと思います。
 もうひとつのポイントは性≠ナはないかと考えています。直接的には「あなたの暖かい指先がわたしの胸元をすべる」や「あなたはわたしの括れを探す」などのフレーズにそれを感じます。現実と超現実、まさに「シュール」な作品ですが、100年前のシュールリアリズムとは一味も二味も違う作品に仕上がっていると思いました。




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