きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
   051223.JPG     
 
 
2005.12.23 群馬県安中市
新島襄旧宅
 
 

2005.12.24(土)

 23日〜24日、群馬県に行ってきました。日本詩人クラブHPの表紙を飾っている絵の作者・故福沢一郎画伯の記念美術館が富岡市にあることが判り、一度訪れたいと思っていましたが、ようやく実現しました。

       写真が美術館の外観です。富岡市立美術博物館も併設されていますが、やはり福沢一郎記念美術館の方が圧倒していますね。「福沢一郎とそれぞれの戦後美術」という企画展になっていました。図録を求めて、福沢一郎の素描とエッセイ「美しき幻想はいたるところにあり」という本もありましたから、これも求めました。以前、1988年に群馬県立近代美術館と世田谷美術館で開催された「福沢一郎展」の図録も古本市で求めていましたので、これで福沢一郎関係の本は3冊になりました。何でも聞いてください(^^;


 今回は他に安中の新島襄旧宅(今月のTop写真参照)・旧安中藩郡奉行役宅・旧安中藩武家長屋・海雲寺、富岡の旧官営製糸場、高崎の群馬県立歴史博物館などを見学しました。群馬県立近代美術館も楽しみにしていたんですが、こちらは建替えで2年ほどの休館だそうで、残念。でも、夜は磯部温泉でゆっくりと過ごし、1時間も足裏マッサージをやってもらって、忙しい暮の中のエアポケットのような時間を楽しみました。
 だから、いただいた本のお礼が大幅に遅れています(^^; ごめんなさい。




中澤睦士氏詩集『新しいパン屋』
     atarashii panya.JPG     
 
 
 
 
榛名まほろばの詩集(2)
2005.12.20
群馬県北群馬郡榛東村
榛名まほろば刊
1430円+税
 

  <目次>
   帰郷夜       6   かわらはなび    8
   追いかけ月     10   にわか雨      12
   クリームパン    14   一周        18
   減速        22   雪と水飴      24
   寒い花       28   憧れに引かれて   32
   秋の朝       34   紅葉の中を     38
   道草        42   檸檬水       44
   雪と味噌と線香   48   新しいパン屋    52
   玉子焼きと星あかり 56   大雨警報      60
   せせらぎの意味   64   生活の匂い     68
   秋の花       72   秋晴れの空のもと  76
   秋往くうどん    80   夕食の準備     84
   しあわせの問題   88   法事の時間     92
   夏だった道     96

   あとがき      100



    新しいパン屋

   新しいパン屋が
   五月の駅前にできた

   区画整理の波の中
   新しい商業施設の一環として
   まだ作りかけの町姿を
   はにかみの胸張りで背負い始めた

   帰宅途中の学生達は その香ばしさを
   放課後の恋しさにも利用しながら
   いつしか
   思い出になってしまうような記憶を
   その棚からも買い込み合っているようだ

   玉子パンやら カスタードパンやら
   新しいパン屋では
   新しいパンを売っていて

   ショウウィンドウは
   曇りも 傷のひとつさえもなく
   訪れ来るこの夏に向けて
   希望以上みたいな挨拶を蒔く

   とは言え一年なんて
   まだまだこれからのことだ
   暑い夏を越えて後
   つらい秋を
   どう越えてゆけるのかも無論だけれど

   この新しいパン屋でさえも
   冬には 深い深い雪にうずもれるんだ
   白さの中にうずもれて
   新しいパン屋は まだ胸を張れるのだろうか
   まだまだ 恋しさを新しくいられるのだろうか

   僕等の時間は
   互いにどこか勘違いの中で
   すれ違ったり
   無駄遣いしたりなどしてしまった

   それを
   学ぶ者連 などと呼ぶのは
   当事者にとってのことじゃなかった

   僕等は 単純に幸せでありたかっただけだ
   新しいパン屋では
   新しいパンを買うという
   それだけのことでよかったんだ

   夢を見よう でも
   夢に逃げるのはやめよう

   新しい言葉と新しい時間
   僕等が置き去りにして
   そして達成できなかったその花が
   ほら 新しいパン屋の店先で
   艶やかに 焦げ目色にため息をついているでしょう

 著者の5年ぶりの第3詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみました。「新しいパン屋」の意味が、それこそ「新しい」視点で捉えられていると思います。「帰宅途中の学生達」とパン屋の組み合わせというのはどこにでもある光景だと思うのですが、それがこうやって作品化されている例は意外に少ないのではないでしょうか。ましてや「新しいパン屋」ですからね、この組み合わせだけでも新鮮に感じました。
 卒業や入学、就職など、これから何度でも「新しい」ことに出会い「希望以上みたいな」ものを持つ学生と「新しいパン屋」の出会い。その学生は「互いにどこか勘違いの中で/すれ違ったり/無駄遣いしたりなどしてしまっ」ている。良い視点ですね。この詩集の中でも出色の作品だと思いました。




松尾智恵子氏詩集『遠来の土産』
     enrai no miyage.JPG    
 
 
 
 
 
2005.12.10
京都市中京区
湯川書房刊
1600円
 

  <目次>
   遠来の土産 T
   犀  10           蟻  12
   ポスト  14         妖怪  16
   鬼  18           鬼のゆくえ  20
   鬼国  22          遠来の土産  24
   そば屋で  26

   遠来の土産 U
   特急日本海  30       青森にて  32
   白い犬  34         子白送り  36
   あかし   38        窓を開ける  42
   ウルフ・アクション  46   不遜なアリス  48
   架かる橋  50

   遠来の土産 雑
   北の暮らし  54       
Survival  56
   遼遠  58          蛇と宇宙  60
   黒潮大蛇行  62       イグアナの日  64
   鉄腕アトムの責任  66    まほろば  68
   万歳  70



    窓を開ける

   ときに人は、戻らなくていい時間を遡ることがある。
   フミコの場合は、草いきれに湿った水の匂いを嗅ぎ取った時だろうか。
   フミコは二十五年前の古びた小さな窓辺に佇む少女となる。
   ある日突然、母がフミコの前からいなくなった。小学四年生の娘に父はどんな
   説明をしたのだろう。覚えているのは、父の青ざめた顔だけで、結局、何も判
   らないまま、父とその祖父母の四人の暮らしが始まった。新しい学校にも、祖
   父母の家での暮らしにもなかなか馴染めず、あの頃のフミコは何かにつけ母の
   事ばかり考えていた。
   家は平屋建てで広くはあったが古い家で、フミコにあてがわれた四畳半の部屋
   には南と西向きに窓があった。西向きの窓は小さなすりガラスの窓だったが、
   広い庭に面している。学校から戻るとフミコは窓を開けることもなく、夕飯ま
   で一人本を読んだり色鉛筆で絵を書いたりして過ごしていた。
   そんな生活が半年も過ぎた頃だろうか、どういう訳だが一旦外へ出て、またす
   ぐに部屋に戻ったことがあった。声をかけなかったせいで、庭仕事をしていた
   祖父母はフミコが家にいないものと思ったらしく、母の話が出た。
   「房子さん(フミコの母の名だ)、元気でおるようやな」祖母の呟きに祖父は何
   も答えない。祖母は構わず言う。「先月、結婚したんやと。式はあげずじまいや
   ったらしいけど」
   葉の擦れるような音がして、祖父の歩き出すのが判った。祖母は後を追うでな
   く、ゆっくりと立ち上がったようだった。そして独り言を吐いた。
   「血が動くんや。女の血が暴れるんや、そうなったら誰にも止められんて」
   庭から二人の気配が消え、フミコは西の窓辺に近づいた。そしてほんの僅かの
   逡巡ののち、さっと窓を開け放った。
   庭は水を撒かれたばかりで、むっとするような熱気の中に、強い水臭さを放っ
   ていた。緑の葉の水滴はちらちらと光り、葉陰の土はじんわりとした柔らかさ
   に濡れていた。そして庭木の上には真っ青な雲ひとつない空がどんと両手を拡
   げ、風が更に水と葉息をないまぜにした匂いをフミコに吹き寄せた。フミコは
   大きく息を吸い目を閉じ、息を吐いた。
   母の真実を知った衝撃はだんだんに薄らぎ、むしろ、自分は疎まれて母に捨て
   られたのではないようだと判って、安堵した思いだけが残った。あの時、窓辺
   で何を躊躇い、何が窓を開けさせたのか、今も判らない。ただ、窓に手をかけ
   たまま佇んだあの瞬間を、今でも鮮明に思い出すことができる。
   窓を開け放つと、家にはない色彩や匂いや気配を目にする。それが哀しみを生
   むのか喜びを生むのか安堵を生むのか開けてみないと判らない。あの時、小さ
   な窓を開けなければ、フミコはまた違う女になっていたかも知れない。母が二
   度目の結婚をした年齢を過ぎて、フミコは祖母の言葉を喉につかえず飲み込む
   ことが出来るようになった。
   フミコは今も小さな窓を持ち続け、開けるとき閉じるときを見極めている。

 第一詩集です。ご出版おめでとうございます。
 第一詩集ではありますが、拝読すると長く詩を書いてきた人であることが判ります。短詩あり長詩あり散文詩ありで、これらの形式を獲得し、書こうとする作品がどの形式が最も適しているかを瞬時に判断するには、やはり1年2年では得られないものがあります。その力量と第一詩集の初々しさを合わせ持った佳い詩集です。

 ここでは散文詩の「窓を開ける」を紹介してみました。あとがきによると「今年の初め、短編小説で『北日本文学賞』(北日本新聞社主催)を頂き、」とありますから、散文の素養にも恵まれているようです。「窓を開ける」は、散文と詩のギリギリのところで書いており、しかし散文に堕さないところはさすがです。「あの時、窓辺/で何を躊躇い、何が窓を開けさせたのか、今も判らない」、「フミコは今も小さな窓を持ち続け、開けるとき閉じるときを見極めている」という詩句は、この新しい詩人の根幹を成すものだと思います。今後のご活躍に期待しています。




月刊詩誌『柵』229号
     saku 229.JPG     
 
 
 
 
 
2005.12.20
大阪府箕面市
詩画工房・志賀英夫氏 発行
572円+税
 

  <目次>
   現代詩展望 詩人の社会性と芸術意識         … 中村不二夫 82
    くにさだきみ詩集『訴える手』より
   少年詩メモ(1) 少年詩と児童詩           … 津坂 治男 86
   吉本隆明論(11) 若い現代詩             … 森  徳治 90
   流動する世界の中で日本の詩とは(15)         … 水崎野里子 94
    ロマン主義的ホイットマンと日本の前衛詩
   風見鶏・西岡光秋 島田陽子 諌川正臣 江口 節 笹本正樹      98
   「戦後詩誌の系譜」27昭和47年57誌追補1誌 … 中村不二夫 志賀英夫 110

   中原 道夫 声 4            佐藤 勝太 抱き枕 28
   肌勢とみ子 ずるずるべったり 6     川内 久栄 うら枯れてゆく 小部屋 30
   宗   昇 契 約 8          進  一男 答のない問 32
   北村 愛子 爪を切る 10         山南 律子 あけがたの夢 34
   大貫 裕司 初秋に 12          南  邦和 婁 海 36
   織田美沙子 秋の日の唐突 14       小城江壮智 季節風 38
   小野  肇 不意にやってくるものたち 16 上野  潤 和蘭物語 22 41
   伍東 ちか 虚空のなかを 18       岩本  健 蛍の火 44
   小島 禄琅 横浜事件再審の開始 20    檜山 三郎 八〇年回顧録 46
   水野ひかる 耀きになる 22        平野 秀哉 どろぼうの話 48
   山口 格郎 今のうちに 24        小沢 千恵 幽遠の人 50
   松田 悦子 路線バス 26         門林 岩雄 秋 他 52

   鈴木 一成  自省雑感 54        名古きよえ クマラジーヴァ 68
   今泉 協子  微 笑 56         立原 昌保 懐かしい声を聞いてしまった 70
   清水 一郎  糸とりうた 58       水崎野里子 高瀬川 72
   川端 律子  電信柱 60         前田 孝一 月下美人 74
   高橋サブロー 「辞」と「字」 ことば 62 野老比左子 笑まう陽の花を 76
   安森ソノ子  植える 64         山崎  森 薄みどり色の岬 78
   若狭 雅裕  睦月立つ 66        徐 柄 鎮 亀浦の浦 80

   続・遠 い うた 56 マイノリティの詩学      … 石原  武 100
       亡命者の肖像・不愉快な夏
   インドの詩人 アフターブ・セットの詩 5      … 水崎野里子 104
   コクトオ覚書 204 コクトオ自画像[知られざる男]24 … 三木 英治 106
   東日本・三冊の詩集 山下久樹『銀と赫』       … 中原 道夫 120
    李明淑『望 郷』   竹内美智代『切通し』
   西日本・三冊の詩集 たかとう匡子『学 校』     … 佐藤 勝太 124
    吉田博子『咲かせたい』  葛城啓子『手に手をとって』
   受贈図書 131   受贈詩誌 127   柵通信 128   身辺雑記 132

   表紙絵 野口 晋   扉絵 申錫弼   カット 中島由夫・野口 晋・申錫弼



    八〇年回顧録(思いつくまま・その7)    檜山三郎

   今から三〇年前だったのか、四〇年前だったのか定かでない。
   調べれば判ることであるが、それを調べてまで詳しく述べる気にもなら
   ない。時候といえば、それは夏の終わり、秋口にかかる季節の始まりの
   頃だったような気がする。近くに川が流れていたが、それが何という川
   名だったか、定かでない。その川のほとりに牛の屠殺場があった。そこ
   へ兄・(のぼる)が勤務していた。勤務といってもその牛殺しの場面
   で牛の鼻面をつかみ、打ちおろす鳶口の前にそれをさし出すという役を
   引き受けていたということである。一頭一頭その場面で、打ち下ろす鳶
   口が適格にその鼻面に命中するように仕向ける操作の役を引き受けてい
   たのである。「見に来るか」というの誘いに乗り、十米四方の屠殺場
   の片隅で、その必殺技を見学したわけであるが、一度経験すると、もう
   一度という見学におよぶことはなかった。二階へ導かれるその通路の途
   中、幾頭かの牛達が昇り歩廊で激しく抵抗するが、終わりには諦めて、
   その部屋に導き入れられる。鳶口の先が牛の鼻頭に刺さると、牛達は一
   様に急激に反応して前脚を折り、前方に崩折れる。「くずおる」は
   「頽」の字が当てがわれているが、私は「崩折る」を取りたい。頭部か
   ら崩折れる肢体には大柄の団扇のようなホウチョウが迅速に作用して頸
   部を切断する。血液が切断部から激しくしたたり落ちる。目を覆う間も
   なく横倒しになった腹部も二つに裂かれ、宙につるされながら次室に運
   ばれる。目を覆う場面もないままに牛の肢体は桜色の肉片と変わり次室
   に運ばれる。もうたくさん――私は先刻牛達が抵抗しながら諦めて上り
   詰めた上り道を逆に下った。をおいて帰路につこうとして通った路地
   の奥に人だかりがしていた。よく見ると、それは、小学生でもやりそう
   な小賭博だった。地面に描いた複数の円周に向けて10円玉を投げ、いち
   ばん内側の円内に入れた人が他の10円玉をものにする仕組みであった。
   いずれにしても儲けの額は知れている。10円玉の何倍かの額である。勝
   負が決まるごとに、場面は白け、また次の勝負が始まるようなのであっ
   た。なんだか余計に川風が身に泌みるようであった。

 まず最初に兄上のお名前がテキストで表記できないことを謝らねばなりせん。最近のパソコンは漢字の表記が10年前に比べるとずいぶん進みましたが、さすがに固有名詞まではカバーし切れていません。やむなく画像にして貼り付けた次第です。見苦しくて申し訳ありません。
 それはさて措き、作品には圧倒されました。そうやって命を奪って私たちは生きているのだなと改めて思います。終盤に出てくる「小学生でもやりそうな小賭博」は「牛の屠殺場」で働く人たちの手慰みだったのでしょう。そうでもしないと精神の安定が保てないのだろうと感じました。それを見ている「私」の「なんだか余計に川風が身に泌みるようであった」という思いがよく伝わってきます。奇麗事では済まない人間の一面を考えさせられた作品です。




詩誌『インディゴ』34号
     indigo 34.JPG     
 
 
 
 
 
2005.12.24
高知県高知市
文月奈津氏方・インディゴ同人 発行
476円+税
 

  <目次>
   
文月奈津 節気/花占い/マジック/寒菊  2
   
萱野笛子 花野/笛子の道中旅姿(7)    9
   
木野ふみ 彩色/黒豹/文房具、好きですか 16
   
あとがき                 23



    花野    萱野笛子

   どこかで戦(いくさ)が続いているのか
   そうでなければ
   華奢な少年の背に
   秋の七草の刺青など
   襖絵描きの父親がほりつける必要などないのだ
   戦のさなかに行方知れずになった時の目印のために
   七草の絵など幼気ない肌にはりつけなくていいのだ
   戦は少年にとって痛みだった
   痛みだから身を守る術を悟るのだった

   刺青の華奢な少年はなにかのはずみで
   戦の街から逃れて
   山懐のあたしの村に降り立った
   どこに住んでいるのか誰も知らなかったが
   子供たちが群れ遊んでいると必ず少年が中にいた
   風のように自然に中にいた

   少年が川遊びで裸になって泳ぐと
   川底が七草の花野になって
   薄の穂が光をまとってゆっくり揺れ
   青紫の桔梗が溶け
   女郎花が流れ流れて
   藤袴の淡紫が匂い立ち
   葛は水流にからみつき
   萩は零れて水面に浮かび
   撫子は少年の背にしなだれて
   水底の花野に子供たちが戯れていると
   向こう岸で少年の口笛が聞こえるのだった

   満月の夜
   広場で影踏み遊びをしていると
   華奢な少年もどこからか現れて
   少年の影を踏もうと近づくと
   影と見えるのは秋の七草の花野で
   少年が駆けると影も動いて
   いつのまにか広場は花野になっていた
   あたしたち子供は花を摘んで花束にした
   どこかで痛いよう
   少年は泣いていたのだ

         ○

   狐の嫁入りと古老のいう日照り雨の中を
   あたしは村境の丸太橋を渡っていった
   少年が橋の真中で赤い番傘をさして手招きしている
   少女のあたしは少年と向きあった
    愛するって痛いことなのだ
    ただ痛くなるばかりだ
    痛くなるために愛するのかもしれない
    底なし沼に沈んでいて

   少年は年老いた男の顔で歯軋りする
   あたしは年老いた女の顔で俯いている

   気がつくとあたしひとり赤い番傘をさして
   日照り雨がやんだ橋の上に立っていた

   あたしは今でも
   愛という言葉で振り向くとき
   赤い番傘に
   刺青の華奢な少年と少女のあたしが
   向きあって立っていて
   赤い番傘しか映っていない相手の目を
   痛そうに見詰めあっているつらい時間が見えるのだ
   吹き付ける風で日照り雨にびっしょりぬれて
   二人の素足に水が流れる

 ちょっと長かったのですが全行を紹介してみました。大人の童話とでも謂えばよいでしょうか、誰の心の中にでもある遠い少年の日を思い出しますね。○以前と以後とではガラリと雰囲気が変わるところも面白いと思います。前半には少年愛にも近いようなお伽話があり、後半にはちょっとしたエロスがあって、「花野」というタイトルともよく合っていると云えるでしょう。萱野詩の世界を堪能させていただきました。




   back(12月の部屋へ戻る)

   
home