きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.12.23 群馬県安中市 | ||||
新島襄旧宅 | ||||
2005.12.31(土)
今年も終りますね、、、と書く白々しさ。今日は本当は2006年2月22日です(^^;
とうとう2カ月も遅れてしまいました。ようやく私の2005年が終ろうとしています。実際にアップできるのもあと2〜3日掛かるでしょうが、ま、なにはともあれホッとしています。
恒例の2005年にいただいた本の集計です。
詩集等(冊) | 詩誌等(冊) | 計(冊) | |
1月 | 8 | 37 | 45 |
2月 | 9 | 35 | 44 |
3月 | 8 | 50 | 58 |
4月 | 17 | 55 | 72 |
5月 | 16 | 43 | 59 |
6月 | 29 | 31 | 60 |
7月 | 25 | 38 | 63 |
8月 | 23 | 45 | 68 |
9月 | 24 | 51 | 75 |
10月 | 27 | 40 | 67 |
11月 | 32 | 51 | 83 |
12月 | 27 | 54 | 81 |
計 | 245 | 530 | 775 |
改めて、すごい数だなと思います。月平均で65冊。毎日2冊は拝読していることになります。7月以降の半年に限れば月平均73冊、毎日2.4冊の計算になりますね。どうりで感想文が遅れるはずだ(^^; 早期退職しますので5月からはペースが守れると思います。これが職業になりそうです。職業=読書!(^^;;;
○國中 治氏著『書く場所への旅』 | ||||
2005.12.31 | ||||
東京都新宿区 | ||||
れんが書房新社刊 | ||||
2000円+税 | ||||
<目次>
T ある日本語教師〈韓国〉
1.窓際の言葉たち 8 2.マイナス16度の朝に 20
3.冬の飛行機雲 33 4.盛夏・初夏・晩夏 39
5.花と銭湯 59
U 墓碑と壷〈古代ギリシア〉
1.石の握手 82 2.キーツの見た壷 91
U 書くために必要なもの
1.夏の計画 104 2.書く場所への旅
111
3.<新しき文章語>を求めて 122
W 詩人たち・体験と方法
1.正岡子規と赤の女神 128 2.正岡子規「病の窓」を読む
135
3.白秋の林檎 160 4.啄木の青空
173
5.海辺の時間――三富朽葉と徳冨蘆花
188 6.阿波野青畝の瞬間芸 198
7.廻廊の時間――三好達治と仏国寺
201 8.高見順の草 212
9.太宰治と老大家 226 10.燈火の領分――大木実『柴の折戸』
228
11.前衛詩人・立原道造 238 12.人生を肯定する方法――辻邦生の創作態度
240
13.谷川俊太郎――地上と雲と 242 14.三つの問題・三つの葛藤――中村不二夫『詩のプライオリティ』
251
15.<別を夢みた>詩人の全容――『永塚幸司全詩集』
259
16.松浦寿輝の小説 270
あとがき
272 初出一覧 274
実は、この手紙を書き始めて間もなく、僕は自分が何も問題を解決しないままに、言葉だけで
進路を手探りしていることに気づきました。こういう無理な姿勢で、それでも、解決の糸口だけ
でもほの見えないかという期待に縋って書きつづけてきたのは、この進路が手紙の展開を導くば
かりでなく、韓国で生活する日本人としての自分の、いわば背骨の部分を形作ることになるかも
しれない、と考えたからでした。
しかし、進路は一向に見えてきません。僕は書きあぐねるたび、日本からもってきた森有正の
エッセイを読み返していましたが、彼の考え方に即していえば、結局僕は〈体験〉を無闇に身に
纏っているだけで、内部に〈経験〉を育てていないことになるのでしょう。いままで〈経験〉と
いう言葉を使わなかったのはそのためです。
1987年から2001年までに『詩と思想』『愛虫たち』『火箭』『詩学』などに発表した詩論やエッセイをまとめた著作です。時間的には一昔前というものですが、内容は決して古くはありません。取り上げた書物、事物の掘り下げ方によると思います。表層的な感想でモノを書けば、それは時間とともに古くなる、しかし事象の底の底まで降りて行くと、そこにはモノの本質が現れ、それはたとえ千年経とうが真実として私たちの目の前に提出される。そういうことをこの著作は教えてくれているように思います。
その端的な例が紹介した一文です。「T ある日本語教師〈韓国〉」の「2.マイナス16度の朝に」にありました。韓国の大学に一年間、日本語教師として赴任したときのエッセイです。この前段には日本からの独立を記念して建てられた「独立記念館」を訪れたことが描かれています。私は訪れたことはありませんが、日本人にとってはかなりショッキングな記念館のようです。そのショックの一端が「僕は自分が何も問題を解決しないままに、言葉だけで/進路を手探りしていることに気づきました」という文章に表れているのかもしれません。
さらに私にとって重要だったのは「結局僕は〈体験〉を無闇に身に/纏っているだけで、内部に〈経験〉を育てていないことになるのでしょう」という部分です。〈体験〉と〈経験〉は違うのだということを教えてくれました。単に〈体験〉するだけのことは誰にでも出きるけど、それを「内部に〈経験〉を育て」るまで高めないと意味はないのだと言っていると思います。そこにこの著作の深みが端的に現れていると感じました。この一例を採っただけでもこの著作の重みが判ってもらえるのではないでしょうか。お薦めの一冊です。
○詩誌『飛揚』42号 | ||||
2006.1.7 | ||||
東京都北区 | ||||
飛揚同人・葵生川 玲氏 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
特集・祭り
●作品
まつり――北村 真 4 遠花火――みもとけいこ 6
植樹祭――葵生川玲 8 沈黙のあとに――土井敦夫 10
白い馬――青島洋子12 風鈴――くにさだきみ16
秋の詩 四つ――伏木田土美 21 蘇る国家総動員の足音――岡本達也 24
●編集後記 26 ●同人刊行詩書 2 ●同人住所録 27
装幀・レイアウト――滝川一雄
まつり 北村 真
大きな幹の
しだれ桜のある広場で
男が舞踏している
津軽の音楽が聞こえてくる
通りすがりの人が集まってくる
男は
カセットを操作する
演目の変わり目で着替える
曲がった木枝と厚紙で作った三味線を持っている
もちろん主役であり、演出家であり
まつりごとのすべてを取り仕切っている
僕らは
男をまあるく取り巻き
日傘を差したり
ビデオカメラを向けたり
口をあけたりしながら見ている
ときおり
僕らは
津軽の稲穂であったり
海辺の岩の道だったり
冬の山並みだったり
向こうの人が何の役なのかわかるのだが
自分が何者かは誰も知らない
回り灯籠のように
真ん中で踊っている男の影が観客に投影される
古いカセットから三味線の音が聞こえる
光源は春の太陽である
特集「祭り」の中の一編で、巻頭作品です。「主役であり、演出家であ」る「男」と、観客である「僕ら」の関係がおもしろいですね。「僕らは/津軽の稲穂であったり/海辺の岩の道だったり/冬の山並みだったり」するところに臨場感を覚えます。「向こうの人が何の役なのかわかるのだが/自分が何者かは誰も知らない」というフレーズは作品としての視点が変わって、ここはなかなか描けないところだろうと思います。そして最終連の「光源は春の太陽である」が活きていると思いました。
○個人詩誌『進化論』4号 | ||||
2006.1.1 | ||||
大阪市浪速区 | ||||
佐相憲一氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
美学
詩活動記録
新詩集『永遠の渡来人』作品人気投票 途中経過その2
詩集『永遠の渡来人』を紹介して下さった新聞・雑誌・HP
受贈詩誌等紹介(御礼)
受贈詩集等紹介(御礼)
新年のごあいさつ
美学
俺たちはサルだから
まずは食う
食うためには働かなくてはいけないし
協力して実を得たときは喜びだ
まさか必要以上に獲ったりしないし
家畜に共食いさせて病気になったりしないし
自然を産業侵略したりしない
ましてや失業借金ホームレスなんてないはずだ
俺たちはサルだから
走るのが好きだ
足で駆けるだけでなく
手で言葉の森を駆け抜ける
(詩なんてものも書いている!)
檻は嫌いだ
どこまでも自由の地平へ
まさか自由はアメリカ基地じゃないし
ましてやヤスクニのことじゃない
俺たちはサルだから
コミュニケーションはDNA本能だ
群れるな なんて言わないし
こどもはみんなで守るし
誰が親かで世界は決まらない
おお けんかしながら いたわりあいながら
厳しい条件も共に乗り越え
俺たちは天然のコミュニスト
まさか愛を嘲笑したりしないし
ましてやソ連のことじゃない
俺たちはサルだから
着飾ったりしない
生物誕生には知的計画があったなんて言わないし
アジアは汚い とか
ニッポンジンならミヤビを とか
いまどき九条平和運動なんて とか
言うわけがない!
俺たちはサルだから
道具を使う
考えることはいいことだ
遊び心でアイディアどんどん
さっそくみんなに伝えなきゃ
(それで詩なんかにハマツテイル!)
間違ってもミサイルなんかつくらないし
ましてやスパイ網なんてつくらない
こうして俺たちは
絶望しないで生きている
何しろ四十六億歳の星が愛してくれるし
恩返しはこれからだし
世界にはまだまだドラマがあるから
俺たちは
二〇〇六年の地球ホモサピエンスという
ごく普通のサル
キー キー キー ウハウハウハウハ ・・・
本当に「ごく普通のサル」なら良かったんですけどね。「必要以上に獲ったり」「家畜に共食いさせて病気になったり」「自然を産業侵略したり」、挙句の果ては「失業借金ホームレス」ですからね…。
こうやって反語でモノゴトを考えてみると、「俺たち」のやっていることがよく判ります。これから先も「絶望しないで生きてい」けるかどうか、考えこんでしまった作品です。
○詩と批評『POETICA』45号 | ||||
2005.11.30 | ||||
東京都豊島区 | ||||
中島 登氏 発行゜ | ||||
500円 | ||||
<目次>
ヒラヒラするのは よしかわつねこ 506 高原の秋深く 植木 信子 510
秋の音は 植木 信子 512 生きる 中島 登 514
しののめ 中島 登 518
しののめ 中島 登
「烏の買い物、からかさ一本」
を覚えるために
幼いこどもたちは一年有半を要する
かれらは成長して どんな人間になるだろうか
そして『正法眼蔵』を読み解くために
人は一生を賭けなければならないだろう
いやなお それでも足りない
ぼくらの髪の上に未完の霜がおりる
木枯らしが吹き荒れ 水が凍てつき流れが止む
漂白の魂に病葉がたえまなく重なっていく
森は深閑として眠っている
かなたに消えていくぼくらの世紀
新しい星雲が東の空でかれらを待っている
かれらはやがて夜明けの扉を開く 光あれ 光あれ
「そして『正法眼蔵』を読み解くために/人は一生を賭けなければならないだろう」というフレーズにドキリとさせられました。さらに「いやなお それでも足りない」と追い討ちをかけられ、「ぼくらの髪の上に未完の霜がおりる」ととどめを刺された感じです。でも、「ぼくら」はそうかもしれませんが、「かれらはやがて夜明けの扉を開く」んですね。「かれら」とは「幼いこどもたち」のことですから、ここに作者の心の広さを感じました。「ぼくらの世紀」は「かなたに消えていく」けど、かれらには「光あれ 光あれ」。私もそう願っています。
○個人詩誌『犯』28号 | ||||
2006.1 | ||||
さいたま市浦和区 | ||||
山岡 遊氏 発行 | ||||
300円 | ||||
<目次>
横須賀チャッキー 2 禁秘 6
つれづれに(エッセイ) 10 よさこい節外伝 14
法のランチ 16 黒い蕾あつめて 21
雨上がりの殺意 24 後記 26
法のランチ
やがて 一段高い扉が開き
コック二名が待つ清楚な厨房に
黒づくめのシェフが現れる
腰紐と手錠を解かれた食材は
シェフを見るなり極限まで萎縮する
だがかれは絶滅寸前の世界最小民族タロン族ではない
住所不定 無職の
やせ細ったジャパニーズ・チキンである
厳粛なるシェフは本日
すでに
「殺人罪」のビーフに懲役十二年
「公衆に著しく迷惑をかける暴力的小良行為の防止に閑する条例違反」者
すなわちチカンのチキンに懲役六ケ月執行猶予三年
覚醒剤不法所持違反者のポークに実刑二年四ケ月の
栄養のバランスのとれた
法の食事を完成させている
さっそく次のメニューの調理が始まる
辛口好みのコックは
冒頭陳述による下ごしらえをおこなったあと
その反社会性と累犯前科に
電話で聞き取った被害者からの処罰感情を加え
香辛料を頭の上から
執拗に振りかけている
−あんたの言う通りおれは前科十一犯だ−
屈辱的なレシピに
四十八歳の被告はふてぶてしく頭上を仰いだ
まるで
塞がる天井の
はるか彼方にある空に
一縷の抜け穴を探すかのように
姿婆苦も忘れ、ただ公園のベンチでまどろんでいた。そこへ密告の電話が鳴ると動
き出すオオトカゲがやってきて、職務質問の舌を突き出してきた。その舌はスルスル、
とマルエツのビニール袋の中に包んであった刃渡り十八センチの包丁をひきづりだし
た。
銃砲刀剣類所持等取締法達反の皿に求刑懲役一年が盛り付けされる
包丁は、自治会のご婦人たちのバーベキュー・パーティがガレージに忘れていった
ものを護身用に拝借した。この頃はホームレスの縄張り争いが多いからね。それに一
度、湾月の夜に薄気味悪い奇声をあげる少年たちにサッカーボールにされたことがあ
る。その時の踵の骨折は、未だに治っていない。時々、紫の酸性雨に晒して、自然治
癒ってやつに挑んでいる。
−寛大なご処置を−
もう一人の甘口コックが弁論する
ホームレスになってから十年。足を踏み出せばどこまでも落ちてゆきそうなひび割
れた大地の上で、それでも糞真面目に乞食をやってきた。好きなようにすればいい。
だがその前に一度でいいから、あんた方の机の隅で寝そべりながらオレを見物してい
るその分厚い六法全書を、MRI・全身ドツグにかけてくれないか。きっとスライス
投影されたレントゲン写真には、夥しい無力の血を吹き瀧す血管動脈瘤の裂けた口が
映っているだろうよ。
少し遅れたランチタイム
このナゲットは
確実に判決を待つ胃袋に押し込まれるだろう
胃袋すなわち刑務所
押送をおおせつかった看守が
うたた寝から立ち上がる
十分後
再び法廷を覗いてみる
厨房では
食用油の煮えたぎる巨大フライパンの上
今度は
返り血を浴びた
二頭のマトンが
高く 高く
吊されていた
まったく、面白い発想をするものだと感心しました。「法」と「ランチ」がこんな風に結びつくなんて思いもしませんでしたね。それがまた見事に合っていることに驚かされています。「密告の電話が鳴ると動き出すオオトカゲがやってきて、職務質問の舌を突き出してきた」なんて、対象をきちんと観察しているんだなと呆れるやらふき出すやら…。山岡遊詩の真骨頂というところでしょう。
でも、書かれている内容は怖いですよ。「法」の本質をしっかりと捉えていると思います。
(12月の部屋へ戻る)