きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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夕焼け 2005.1.2 神奈川県南足柄市

2006.1.5(木)

 午前中雪が降って3cmほど積もりましたが、午後からはすっかり消えてしまいました。
 お正月休みの最終日の今日、午後から県立病院に行ってきました。暮に撮ったMRIの結果が出ていました。やっぱり神経原性腫瘍があって、大1個・小2個とのこと。しかし悪性ではないようで手術をするかどうかは経過次第とのこと。しばらく様子を見ましょう、ということで次回の診断は何と7月(^^; おいおい、それまで生きているかどうか分かんないゾ、と思いましたけど、要はたいしたことではないと解釈できて、まあ、一安心かな。特に自覚症状もない(これがヤバイんですけどね)ので、気にはしつつも捕われないで生活していこうと思います。



北岡武司氏著『「銀河鉄道の夜」の世界』
みずのわ文庫3
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2005.12.15 神戸市中央区 みずのわ出版刊 1400円+税

<目次>
プロローグ  5
第一章 『銀河鉄道の夜』の世界  10
第二章 黄泉と「いま」  41
第三章 幸福のパラドクス  59
第四章 終着駅  75
第五章 信じることと祈ること  89
エピローグ  106
あとがき  112



 タイトルと目次で判りますように、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』を論じた著作です。非常に丁寧に論じられていて、『銀河鉄道の夜』を通しての幸福論と云えましょう。宮澤賢治研究には必要な一冊だと思います。
 私は宮澤賢治を研究しているわけではありませんから、そんな大雑把な言い方しかできませんけど、「エピローグ」が面白かったので紹介してみます。ドイツのアーヘンからケルンに向かう列車に乗っていたときのことです。コンパートメントで同席したネオ・トミストと呼ばれる4人の神父たちと哲学論争になりました。

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 カントは物理神学的証明が証明するのは、世界建築師ではあっても世界創造者ではないといっていた。たしか『純粋理性批判』でそんなことを書いていたと、私は漠然と思い浮かべていた。しかしなぜカントがそういっていたのかは思いだせなかった。私は思いつくままに、こんなふうにいっていた。
「ハイデガー曰(いわ)く、世界はけっして有るのではなく、世界は世界する」
 彼らは私の言ったことが聞き取れなかったのか。それとも私の発言があまりにも話のコンテキストからそれすぎていたのか。一人の男が私に尋ねた。
「いまなんと言われた?」
 今度はもっと大きな声で発言しようと思って、私は大きく息を吸い込んだ。が、声をだすまえに、澄んだ女性の声が聞こえてきた。
「この日本人は言ったのよ、ハイデガー曰く、世界は決して有るのではなく、世界は世界するって」
 私の前で本を読んでいた若い女性だった。ネオ・トミストたちは今度はその女性に向かって問いを投げかけた。
「あなたは哲学者なのか?」
女性は本を見つめたまま言った。
「私は哲学者じゃないけど、哲学なんて、ホビーでできるわ」

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 「哲学なんて、ホビーでできるわ」という言葉に驚き、思わず笑い出してしまいました。私は哲学の何たるかを良く知りませんけど、救われた思いをしましたね。もちろんホビーでできるほど単純だとは思いませんが、そういう感覚が大事なんでしょう。
 そして、このあとに著者の言葉が続きます。「神は生きている。死んだのは哲学者たちの神だけだ」。宮澤賢治論を読み終えたあとにこの言葉に出会って、ストンと胸に落ちました。お薦めの一冊です。



詩誌『鳥』9号
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2006.1.15 さいたま市大宮区
力丸瑞穂氏方発行所 500円

<目次>

孫の手………………………田嶋純子 2    名残の夏・昼寝……………………八隅早苗 4
ほのぼのと・知床半島……倉科絢子 6    五月のバラより輝いて・バナナ…山本陽子 8
蘇生、気になる黒づくめ…早藤 猛 10    神田川2・3………………………金井節子 12
染み・私の時間……………力丸瑞穂 14    短詩四つ……………………………菊田 守 16
エッセイ
この一篇――土橋治重……菊田 守 18
小鳥の小径 ………………………… 20
□倉科絢子 □菊田 守 口金井節子
□力丸瑞穂 口早藤 猛 口山本陽子
□八隅早苗 口田鴫純子
表 紙 ………………………西村道子     編集後記



 神田川 2/金井節子

叔父さんの幻覚は
突然 恐いものを見たかのように
ポマードのビンを障子に投げつけた
障子が破けた
おぜんを蹴飛ばした
茶碗や皿がいちどにくだけた

祖母は大急ぎで毛布を放り投げ
叔父さんは毛布を被り
闇の中に蹲った

散らばったお皿やガラスの 切っ先を
梅雨のあい間の太陽が
ギラ、ギラ照らして

ギラギラは日に刺さる それが
引きがねになり また発作が出たら
息を殺して叔父さんを見ないように
私も大急ぎでガラスの破片を拾い集めた

「もう少しの辛抱じゃ」
泣き顔の祖母は何度も洟をすすった

破れた障子の穴から恐る恐る
飼い猫の「たま」が 戻ってきた
増水した神田川に溺れ
叔父さんが網で掬い助けた「たま」だ

 この作品のあとに「3」が続き、そこで「叔父さん」がヒロポン中毒だったことが判ります。敗戦直後にヒロポンは薬局で普通に売られていて、その後禁止になったようですから、時代背景をそこに求めることができると思います。
 飼い猫の「たま」が上手く使われていて、それを通して「叔父さん」の人間像が浮かび上がっていると云えましょう。それにしても「祖母は大急ぎで毛布を放り投げ/叔父さんは毛布を被り/闇の中に蹲った」というフレーズは印象的ですね。中毒患者の心理が見えるようです。



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