きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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夕焼け 2005.1.2 神奈川県南足柄市

2006.1.9(月)

 月刊誌『詩と思想』の新年会が東京・南青山の「NHK青山荘」で開催されました。恒例の「詩と思想新人賞」は中村純氏の作品「子どものからだの中の静かな深み」に決定し、その授賞式が主です。中村さんは詩集『草の家』で2005年度の横浜詩人会賞も受賞され、ダブル受賞でした。おめでとうございます。

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壇上でお祝いを述べる参加者と話す中村純氏
 
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こちらは会場スナップ。大阪・京都からの参加者も多く、120名ほどの盛会でした。

 二次会は、これも恒例の近くの「鳥良」。今年はわめく人もおらず、平穏だったなあ(^^;
 帰路は東京駅に出て、新幹線の時間調整で八重洲の「初藤」に行って、「獺祭」を呑んで帰りました。おとといに引き続いての「獺祭」。うれしかったですね。



月刊詩誌『現代詩図鑑』第4巻1号
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2006.1.1 東京都大田区 ダニエル社発行 300円

<目次>
中本 道代 到来 …………………………3  高澤 靜香 ビアンカビアンカ …………24
坂井 信夫 <日常へ>――19 ……………6  枝川 里恵 口琴 …………………………28
岡島 弘子 その先に何かがありそうに…10  結城 富宏 そんな午後 …………………32
高木 護  栓 ……………………………14  高橋 渉二 ディスパラテスをわたる …35
櫻井 良子 カキクケコキャベツ ………16
佐藤真里子 冬のヴァイオリン …………20  表紙画 …………来原貴美『牧場の聖母子』



 <日常>ヘ――19/坂井信夫(さかい のぶお)

六角橋の露地をさまよっていると
いつも突きあたりに出くわしてしまう
どこかへ抜けると思われた道が
どん詰まりのときは ひき返すほかない
もうこの先には家は建てられないと
そう感じられる所まで人間が棲んでいるのだ
たとえば故郷の飯田へむかうとき
各駅停車の窓からみえる山裾のあたりに
あるいは長距離バスの車内から眺める村にも
こんな所まで人は家を建てるのかと
胸苦しくなる風景に接しながら ぼくは
五〇年まえの記憶めがけて遡行してゆくのだ
けれど記憶は つねに沈黙となって
そのままぼくの現在へと戻ってくる
プールのある六角橋公園のすみっこには
ひとりの男がコンクリートの床と庇に挟まれ
じっと空をみあげている――かれは
すでに絶望からさえ見放されている
だから自殺する理由すらないのだ
夕方になると落ち葉をかきあつめて
黄色い蓑虫となって横たわり
ほんとうは求めてもいない眠りを待っている
公園にはむきだしの水道がひとつあり
渇きだけはどうにか充たされるけど
絶えまなくやってくる飢えと夢想だけは
すべてを失った男でも追いはらえない
五〇年まえの焼跡にむかって走るバスの中で
なぜぼくはこんな光景をひきよせているのか
いや 遠くにみえるのは家だけではない
もうこれ以上は水を張れない棚田や
天にとどくまで耕された畑が
黄昏のなかで ゆっくり沈んでいく
人間は生きるという刑を科されているのだと
そんなふうに感じた瞬間 
くぎおとこ
つぎの停留所に立っていた釘男が
穴のあいた両手をあげて合図した――だが
バスはそれを黙殺して
故郷へとひたすら走りつづけるのだ

 シリーズの第19作のようですが、独立した作品としても読めると思います。洗練された言葉に惹かれます。「かれは/すでに絶望からさえ見放されている/だから自殺する理由すらないのだ」「人間は生きるという刑を科されているのだ」などのフレーズが特に佳いですね。終盤の「釘男」は不明で、シリーズを読んでこないと判らないのかもしれませんが、作品としての違和感はありません。「ぼく」の化身として読んでみました。



詩誌Griffon18号    
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2005.11.30 広島県呉市 川野圭子氏他発行 300円

<目次>
メールの向こう/吉田隶平 1
相談したわけでもないが/川野圭子 2
白化/横山 昭 3



 相談したわけでもないが/川野圭子

甘茶は咲いたし
風蘭の根は紅色の先っぽを伸ばし始めたし
誰に相談したわけでもないが
昨夜は久しぶりに赤ん坊を産んだ
スルリと産んで
手のひらに乗せて
軒下で乾かした
おっぱいは潮のように満ちてきたし
赤ん坊はぐんぐん吸い取った

おむつがすぐに濡れるので
それだけは慌てたけれど
生なんだからしようがないよね
とあきらめて
どこへでも連れていった

ライオンを連れた男が
ウロウロしていたので
皮のペンケースに入れて
ふたをしておいたら
何とおとなしくしていたことか!

時々のぞいて
息をしているかどうか 確かめると
まっ黒い目を見開いて
うわ目使いにわたしを見たのですよ

 作者の詩集『かいつぶりの家』でも感じたのですが、発想がユニークな作品だと思います。「昨夜は久しぶりに赤ん坊を産んだ」「ライオンを連れた男が/ウロウロしていたので/皮のペンケースに入れて/ふたをしておいた」なんてフレーズがどんどん出てきて、詩心をくすぐられています。
 作品を拝読すると、すぐに何の喩だろうと考えてしまう癖がありますが、川野詩に関してはあまり意味がないのではないかと思います。繰り広げられる世界をそのまま受け入れる、楽しむ、という姿勢が大事なように感じられます。そうやって川野作品をたくさん読んで、ある日、ハッと気付く、そんな予感に捉われています。その、ハッと気付く日がいつになるか、楽しみな詩人です。



詩誌『帆翔』37号
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2005.12.25 東京都小平市
<<帆翔の会>> 岩井昭児氏発行 非売品

<目次>
公園/吉木幸子 1             強風の日・他二篇/岩井昭児 2
祭りが終った/坂本絢世 4         背中の夜/茂里美絵 6
ハンモック/小田垣晶子 8         小春日和/渡辺静夫 10
私は忘れない/大岳美帆 12         晩夏の影法師/長谷川吉雄 14
或る日/三橋美江 16            嵌められた罠/荒木忠男 18
鮒・高千穂鉄道/八木昭二郎 26
随筆
津軽詣でのじょんがら節/長谷川吉雄 21   「小さな客人」/坂本絢世 22
手向草(八)/三橋美江 24         モルサよ/小田垣晶子 28
記憶の底に/茂里美絵 29          『沈黙は金』/渡辺静夫 30
勉強歌の話(X)/岩井昭児 32
短編小説・緑の追想/赤木駿介 35
  *  *  *
※受贈詩誌・詩集等紹介 2〜        ※あとがき/同人連絡先  表紙の三



 背中の夜/茂里美絵

歩いていると
背中のあたりにすこしばかり
夜が食い込んでいた
それは痛みのようでもあり
風のようでもあった

ひとびとも夜の中を歩いている
一方向に流れるように
あぁそうか
みんな家へ帰る途中なんだ
何だかおかしくなり
すこし笑った

鍵で開けた玄関の内側に
指をすべらせ
パチリと電気を付ける
それがこの家の最初の明かり
背中の夜が
風のように思えたのは
このためだったのだ

あわててドアを閉め
夜を追い出した
煌々とした明かりのなか
バスタブに湯が満ちるあいだ
はだかで部屋を移動する
ひとりで暮らすシアワセ
を感じるってこういうとき

皿に食べ物を盛り
マグカップには
暖かいミルクをなみなみと
そして 食べながら
バスタブのなかへ

しゃぼん玉と
忘れてしまいたい混濁のなかで
ゆっくり目を閉じる

 タイトルが佳いですね。まさに詩語と云えましょう。「背中の夜が/風のように思えた」というフレーズも佳いと思います。
 作品の本質からは外れるかもしれませんが、「はだかで部屋を移動する/ひとりで暮らすシアワセ/を感じるってこういうとき」には女性の心理を見た思いをしました。私だけかもしれませんが、男にはこういう感覚はありません。そんなことも教えてもらった作品です。



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