きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
夕焼け 2005.1.2 神奈川県南足柄市 |
2006.1.12(木)
定時後から職場の新年会が開かれました。部単位ですから参加者は100名を越えていたでしょうか。今年4月からは部の統合が計画されていて、現在の部としては最後の新年会になります。その割には参加者が少なかったなと思います。4月から大幅なリストラも予定されていますから、それへの反発もあったかもしれません。私は進んで手を挙げた口ですけど、そういう人は少ないようです。ま、去年の新年会とは様変わりしたということですね。
○『関西詩人協会会報』40号 |
2006.1.10
大阪府交野市 金堀則夫氏方事務局・杉山平一氏発行 非売品 |
<目次>
関西詩人協会総会 1
講演会『「荒地」の秘密』 2
第四回「詩で遊ぼう会」 3
会員の活動・イベント 4
今号では、総会で古い委員が勇退したとの記事が目を引きました。協会発足当初から、なんと12年も運営委員を続けてこられた方が7名もいらっしゃったんですね。関西詩人協会は人数が多い割にはまとまっているという印象を持っていましたが、作品は言うに及ばず、事務能力にも長けた詩人たちが引っ張ってきたのだなと改めて思いました。
それだけではなく、勇退した7名の委員に代わって新しい委員もすんなりと選ばれたようです。組織の新陳代謝は意外と難しいものですが、その面でもスムーズに行っている様子が記事の行間から読み取れました。関西詩人協会の益々のご発展を祈念しております。
○個人詩誌『息のダンス』6号 |
2006.1.21 滋賀県大津市 山本純子氏発行 非売品 |
<目次>
■ 詩
夏 2 男の子が三人 4
電車の窓から 6
*
角 8 あんぱん考 10
どこかへ 12
*
大徳寺あたり 14 大徳寺あたり 18
枯山水 20 風景 24
■ エッセイ 詩の朗読に関するエッセイ
「よのなか」のレッスン 28
「よのなか」のこと 34
あとがき 38 題字、挿絵 ルイコ
男の子が三人
男の子が三人
向こうからやってきて
こんにちは
こんにちは
こんにちは
って、通りすぎるから
私も
こんにちは
こんにちは
って、通りすぎたら
ぼくの分が足りない
というつぶやきが聞こえた
こどものころ 母が
すいか、とか
ようかん、とか
おいしいものを切るとき
私の分は
って、いつも見つめた
こんにちは、も
きっと
おいしいんだ
昨年の第55回H氏賞受賞者の個人詩誌です。初出は昨年7月29日の朝日新聞(東京版)だそうです。こういう詩が新聞に載るというのは良いですね。みんなに判ってもらえ、詩でしか書けないところも理解してもらえるでしょう。こういう詩がどんどん新聞に出るようになれば、詩の読者も増えていくと思います。それにしても「こんにちは」が「おいしいんだ」へ転化するところはお見事です!
○詩誌『EOS』8号 |
2005.12.31 札幌市東区 EOS編集室・安英晶氏発行 500円 |
<目次>
昆虫の書(一一)(一二)*橋渉二/2
観覧車*安英 晶/8
耳は一月の坂へ*小杉元一/14
題字・表紙絵 橋渉二
表紙絵:2004年ルーヴルでみたもの
観覧車/安英 晶
花粉のようなものがこぼれている
なんだか奇妙な感覚だった
電動鋸歯のような円盤が垂直に夜を切り取っている
ひとの息遣いを消して
ゴンドラのかすかな機械音がゆらり昇っていくようだった
夜の観覧車の暗い箱では誰もがひっそりうつむいている
(そう/ひっそり/鏡面の奥を覗いてしまったかのように/ひっそり と
深夜の観覧車はきまって片側だけが満員で 満員であっても
どのゴンドラもまるで規則でもあるように乗り合わせているものはいなく
(その人たちは どこかもうひとつの場所で眠っているらしいのだが
(切れ味がよくない ねむりの
(ああ 今朝の 火を通しすぎたハムエッグ あれのせいだ
また/きている の/ね
その朝 初潮をみた痩身の少女が
あおじろい顔で、ぼーっと、うつむいて
ときどき反対側の座席に座ったりして、落ち着かない
歪に反り返ったグロリオサの波打つあかい花被片
卵形したおだやかな曲線の葉の先端から
巻き育ってゆく半蔓性の未生
(ずいぶん邪魔だから 刈り取って ゆく(仮トッテ (仮象の(生を
(刈リトッテ ユク
あかい花被片が強く波打ちます
暗い箱のなかに閉ざされた
どこか奇妙な生活感(ひとつひとつ(一個一個の(ヒト ヒト の
//から
花粉のようなものがこぼれています
(朝食のハムエッグは焼かれはじめる
(きっと 焼きすぎになる/はず
(トーストにはポーチドエッグがやさしかったかしら なんて
(首をかしげながら誰かが
(卓上のガラスの花瓶から花粉がこぼれ
(ああまた、ブラウスに付くと取れないのよ
(なんて誰かが
深夜 ゴンドラのゆるやかな回転が頂上まで到達すると
鏡の奥にすい取られるように
暗い箱の内部で人影が消えるという
ゴンドラの数の耳片が
どこかの森で生えるのだという(新鮮な耳茸みたい(に
いそいでいます
いまちょっと いそいでいます
百年生きると 約束しましたが たしかに百年
わたしは 生きるんですが それは たしかなはずですが
(せいめい線が手首のあたりまでのびているんですもの
いそいで いるんです
いまは ちょっと
夜の空中を
未生の領域に消えてゆく
中空で いきなり 掻き消える のだ
/次々と吸い込まれてゆくように//消え去ってゆく/のだ
刈り取ッテユク(仮トッテ (仮象ノ(生ヲ
(刈 リ ト ッ テ ユク
まるであちら側のような空域に/耳の森//耳だけが 部分体として
林立し繁っている しめって繁っている(森の耳が呼吸する
深夜の観覧車は
片側だけが満員で 満員ではあっても
(そう/ひっそり/鏡面の奥を覗いてしまったかのように/ひっそり と
(影体に薄れながら(あれは(なにかから選ばれてしまったものたち(が
半裸体のうっすらと透きとおった魂//ポーチドエッグの
/付け合せには/茸のソテーが/似合っている?
花粉のようなものがこぼれてくる
〈常識〉に照らして意味を探ったり、解釈しようとすると良く判らないということになってしまいそうですが、そういう読み方をしては駄目なのだと思います。言葉の片々を拾って、全体の流れを捉まえて、その上で読者がもう一度自分の頭の中で組み立てる、そういう作業が必要なのでしょう。私は「深夜の観覧車はきまって片側だけが満員」という詩語に触発されています。そこから一枚の絵を組み立てています。
もうひとつ思うことは、詩とは何と自由なものなんだろう、ということです。この世界は散文では書けません。おそらく抽象画としても描けないのではないでしょうか。言葉が醸し出す世界を味わっています。感想にもなりませんが、そんなことを感じた作品です。
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