きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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夕焼け 2005.1.2 神奈川県南足柄市

2006.1.17(火)

 明日から小田原市のアオキ画廊で始まる第10回「西さがみ文芸展覧会」に出品するため、休暇を取りました。午前10時に会場に出向いて、飾りつけをちょっと手伝って来ました。私は以前、神奈川新聞に載せた「居酒屋」という詩を手書きして、それだけではちょっと寂しいので、宮崎大学の若い学生(男です)と呑んでいる写真を貼り付けて、居酒屋の雰囲気を出したつもりですが、どんなもんですかね…。後日の反応が楽しみというところです。

 さて本日は、拙HP誕生7年目の日です。恒例によって、この7年間で紹介した冊数を計算してみます。

   詩集等   詩誌等   合計 
 1999年  122  205  327 
2000年  152  271  423 
2001年  179  313  492 
2002年  196  378  574 
2003年  168  438  606 
2004年  155  462  617 
 2005年 245  530  775 
 2006年    11    16   27
合計  1228  2613  3841 

 我ながら、すごい数字だなと思います。1999年に比べると、昨年は完全に2倍を越えました。来年にはおそらく総数が5000冊を越えるのではないかと思います。数に意味があるとは思えませんが、場数を踏んでいるということは云えるかもしれません。私のような凡才は、数をこなさないと本質が見えない、とも思っています。3841冊を読んだ、とまでは言わないにしても、少なくとも眼を通していますから、1冊に20編の詩があるとして7000から8000編の詩を見ていることになるでしょう。それだけ読めば私でも少しは感じるものもあるだろう、と思う次第です。

 ところで、よくあるご質問に回答します。全て保管してあります。現住所に置いてあるのはもちろん、実家も私の名義ですからそこにも保管してあります。ただし、整理は悪い(^^; ミニ図書館が欲しいですね。



南原充士氏詩集『笑顔の法則』
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2005.12.20 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税

<目次>
{冷めてしまった}のは{だれのせい}(でもなく・・・)   8
{それは見覚えのない顔}(だとしても)・・・        10
{だれにも、見せられない}(こころのゆれを)・・・     12
{重なる}地層の{夢}                   14
Φそうだ!}=(はたと膝を)、<たたいてはみたが・・・>Φ 16
☆どんなに、五感を磨いたとしても、・・・☆         20
{きみは、おれの、コンパスだとしたら・・・?}       22
{つまり、おれを、愛せないということか・・・}       24
{笑顔の法則。とは・・・?}                26
{それじゃ、つまらないじゃ、ないか?}           28
{行為によって、判断したほうが、いいのか?・・・}     32
{ある種の、円環の、なかで・・・}             36
{試みに、クールな、遊び人の、ふりを・・・?}       38
{寛容であるために、なにを得、なにを、失ったか・・・?}  40
{一瞬の、隙を。}(つかれて)・・・            44
*う−む、不条理などという、言葉を・・・*         46
『しつこい、のが、いやなのよ!・・・』{???}        50
*弔いの、時は、来、去って・・・*             54
{女心と秋の空、とか}古臭い言葉しか・・・         58
    
・ ・
{結局、相性が悪かった}ということでしか・・・?      62
{その手をとれば、力無く落つ・・・}            66
{新しい命は、来たり、古い命は、去って・・・}       70
{休息を、ただ休息を・・・}                74
{そして、また、あるときは、歓びに浸って・・・}      76
カバー画=浅川 洋  装幀=思潮社装幀室



 {笑顔の法則。とは‥・?}

『わたしは笑いながら死んでゆけます。』と言ってV)たきみの 最期は
見届けていないが(おれは笑いながら死んでゆけるだろうか?)
医者ならひとの死に目に何度も立ち会って“最期慣れ”しているだろうが
数少ない経験しかもたないおれには どうやっていいのかよくわからない。

十字架に打ち付けられて処刑された聖人の最期は 苦悩の表情であったのかど
うか? 多くの絵画や彫刻はどのように捉えているのだろう? 目隠しして銃
殺。首筋にギロチン。縛り首。打ち首。火あぶり。殴殺。ガス殺。水責め。・・・
病院のベッドのうえで 息を引き取れば 野垂れ死にではないのか?

恐怖のあまり目をひんむいての震えきがらの最期。痛みや苦しみに狂いそうに
なって絶叫しながらの最期。呪いながら腕を伸ばしてなにかをつかもうとする
最期。老衰で眠るように静かに息を引き取る最期。状況不明の最期。一度きり。
王様も乞食も一回しか生まれ一回しか死ぬことはない。

笑いが遺伝子を活性化するという学説。《よしもとこうぎょう》のお笑い芸人さ
んたちのパフォーマンス。健康増進効果。Smiles。sからsまで微笑み続ける
一マイル。
Land of smileを目指すタイ。「笑顔ってどうやって作るの?」
いまのおれには死ぬときの表情まで考えている余裕はないなあ!?

{おれは、笑いながら、生きてゆけます}なんて、言ってみたいかもねえ!!

 非常に意欲的で、柔軟な思考の作品だと思います。「笑顔の法則」という1編の詩と考えて良いでしょう。おもしろい作品で、紹介するのにどこの部分を採っても良かったのですが、ここではタイトルに近い章を抜粋してみました。
 「あとがきに代えて」では、この詩集の意図が述べられていますので、そこも紹介してみます。

「今回の詩集『笑顔の法則』は、自分としては初めて、詩のスタイルと詩集の構成を明確に意識してまとめてみた。そういう意味では、自分としては、スタイルの快感を十分に味わうことができたと感じている。
 ただし、横書きの詩のスタイルについては、それほど特別の意識はない。最近、パソコンやケイタイのめざましい発達・普及によって、横書きでメールを打ったり、文章を書くのが、日常生活に定着していると思う。そういう時代の変化を自然体で踏まえて、詩を書いたら横書きになってしまったという次第である。」

 申し遅れましたが横書の詩集です。私はHPで横書に慣れているせいか、まったく違和感はありませんでした。縦書、横書の議論は今でも多いのですが、「時代の変化を自然体で踏まえ」だけのことだとする姿勢は著者の柔軟性を示すものでしょう。学ぶことの多い詩集だと思いました。



詩誌『饗宴』45号
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2006.1.1 札幌市中央区
林檎屋・瀬戸正昭氏発行 500円+税

<目次>
詩論 随聞記(2) 瀬戸正昭……4
作品
白鷺/雉かくし/ケタ/ショーソンわが恋の詩曲 新妻 博……6
凍てつく彫像 村田 譲…8         いつも… 谷内田ゆかり…10
遠雷/夢の剣 山内みゆき…12        半化粧・夏至を揺れる化け葉花の天 尾形俊雄…14
かみすながわ−不思議ふしぎの二条通り18 嘉藤師穂子…16
さがしもの 木村淳子…18          転身譚1 塩田涼子…20
鳩 瀬戸正昭…11
特集 2005 海外詩特集
ふたりの偉大なおばたち ロッテ・クラマー 木村淳子訳…24
めがね/ウィーン中央墓地 ロッテ・クラマー 木村淳子訳…25
戦後 その二/祝祭 ロッテ・クラマー 木村淳子訳…27
古い泉 ロッテ・クラマー 木村淳子訳…29
それからの日に ジェイムズ・スカイラー 松田寿一訳…30
この暗いアパート/韓国菊 ジェイムズ・スカイラー 松田寿一訳…31
製粉所跡に/犬の老い方 アル・パーディ 松田寿一訳…35
実際性に魅せられ… アメーリア・ロッセッリ 工藤知子訳…38
数人のひとの歯車があうと アメーリア・ロッセッリ 工藤知子訳…38
むかしのギリシャ… アメーリア・ロッセッリ 工藤知子訳…39
シューベルトに アメーリア・ロッセッリ 工藤知子訳…40
花が贈られて アメーリア・ロッセッリ 工藤知子訳…40
連載エッセイ 林檎屋主人日録(抄)(6)(2005.6〜2005.11)瀬戸正昭…46
受贈詩集・詩誌…45
饗宴ギャラリー 朝田千佳子「希望は…」…2



 いつも…/谷内田ゆかり
       ――ヒトの進化の初期の過程を知って――

ものかげに
咲こうと すること

光を 豊かに 浴びる地点を
他に
ゆずろうと すること

奪わずに――

分散された 日光を
ていねいに
あつめて この身に
そそぐ こと

――そうすることで
ひとは 享けた
他に 類を みない すがたを

直立して 歩むこと

四肢ある 五体を
生み出すこと

文明へと つながる それらを
ひとは 享けた

…かぎりもなく しずかに
他に ひかりを
ゆずりつづける ことに よって…

 「ひと」が直立した理由は、草原の敵を高い視点から発見するためだとばかり思っていましたが、「光を 豊かに 浴びる地点を/他に/ゆずろうと すること」だとは思いもしませんでした。なるほど、四ツ足でいることよりは影を少なくすることができますね。もちろんそんな理由でヒトが直立したとは考えてもいませんが、作者のその優しい思考に敬服しています。地球にとってのヒトの営みは批判ばかりされていますけど、そういう「奪わずに――」いる部分もあるのだと教えられました。久しぶりの人間賛歌に救われた思いもしました。



詩誌『撃竹』61号
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2005.12.31 岐阜県養老郡養老町
冨長覚梁氏発行 非売品

<目次>
蔓橋…頼圭二郎 2             人差し指を突き立て…堀 昌義 4
数…斎藤 央 6              八幡山…斎藤 央 8
らららT…石井真也子 10          らららU…石井真也子 11
浜辺にて…若原 清 12           夜の口…前原正原 14
眼…前原正治 16              初冬…北畑光男 18
微風…中谷順子 22             抒情抄…伊藤成雄 26
刃の飛沫…冨長覚梁 28           雪の公園…冨長覚梁 30
撃竹春秋…32



 蔓橋/頼 圭二郎

渓谷の上は結界
かすかな灯りが狐火のように
明滅しながら揺れている
風は夜の深さをはかりながら
蔓橋の喉笛に食らいつき

お前さんは知んなさめぇ
あの橋は黄泉の国へ通じちゅ
この七曲に昔から自生する蔓は
隘死した人を抱きあげて育つんじゃ
昔からそう聞いちょる
蔓は守り神の生き物よ

老人の語る蔓は
急斜面でとぐろを巻き群生していた
時折大木を抱き込む軋みが
幻聴になって谷底を支配し
私までも縛りあげる

天明八年
村人総出で編み込まれた蔓は
手足を天に架け
馬転坂から七曲峠をまたいでいた

今日も迷い風が渓谷をひと舐めし
蔓橋をギシギシと揺すっている
招いた人か招かれた人か
長い葬列は無言で
絶景に溶け込んでいた

晩秋の小雨降る日
朽ち果てた蔓が
ひっそりと谷底へ落ちるのを見た

 四国のかずら橋をイメージして拝読しました。「蔓」はかずらとも読むので、私のイメージそのままなのかもしれません。しかし具体的な地名は関係ないでしょう。「結界」「黄泉の国」はどこにでもおるものだと思います。「隘死した人を抱きあげて育つ」のは蔓に限らず、この資本主義の世界では誰もが死者を利用していると言っても過言ではないでしょう。その意味では「ひっそりと谷底へ落ちる」「朽ち果てた蔓」は私たちそのものという理屈も成り立ちます。おそらく作者の意図をはるかに外れた読み方でしょうが、そんなことを考えさせられた作品です。



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