きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
夕焼け 2005.1.2 神奈川県南足柄市 |
2006.1.22(日)
午後1時より日本詩人クラブ三賞の第2回選考委員会が神楽坂エミールで開かれました。郵送された投票用紙を開封して得点順にし、それに選考委員が推薦する詩書を加えて、候補詩書を次のように決定しました(数字は得票数)。
◎第39回日本詩人クラブ賞候補
中原道夫詩集『わが動物記、そして人』46
溝口 章詩集『残響』30
山田 直詩集『公案』25
深津朝雄詩集『泥樋』25
川島 完詩集『ゴドー氏の村』24
寺田 弘詩集『三虎飛天』16
芳賀章内詩集『直線の都市 円いけもの』15
三井葉子詩集『さるすべり』13
図子英雄詩集『静臥の枕』13
新延 拳詩集『雲を飼う』11
川野圭子詩集『かいつぶりの家』11
次点 たかとう匡子詩集『学校』10
日高てる詩集『今晩は美しゅうございます』10
◎第16回日本詩人クラブ新人賞候補
水島美津江詩集『冬の七夕』28
川中子義勝詩集『遙かな掌の記憶』19
竹内美智代詩集『切通し』18
宇佐美孝二詩集『虫類戯画』16
北村 真 詩集『穴のある風景』12
坂東里美 詩集『タイフーン』12
葛原りょう詩集『朝のワーク』10
中村明美 詩集『ねこごはん』9
作田教子 詩集『耳の語法』9
北原千代 詩集『ローカル列車を待ちながら』9
次点 新延 拳 詩集『雲を飼う』8
木場とし子詩集『不忍あたり』8
奥 重機 詩集『囁く鯨』8
安英 晶 詩集『よる・あ・つめ』8
武田弘子 詩集『天に近い場所』8
木村恭子 詩集『あざらし堂古書店』8
選考委員推薦
広沢恵美子詩集『月の桂』
◎第6回日本詩人クラブ詩界賞候補
西岡光秋 著『触発の点景』23
前原正治 著『詩圏光耀』22
鈴木比佐雄著『詩の降り注ぐ場所』20
原子 修 著『<現代詩>の条件』20
中村不二夫著『現代詩展望W』17
次点 木津川昭夫著『詩と遊行』12
選考委員推薦
國中 治 著『三好達治と立原道造』
吉田加南子著『幸福論』
佐藤伸宏 著『日本近代象徴詩の研究』
筒井清忠 著『西条八十』
私は新人賞の選考委員ですが、日本詩人クラブHPの作成者でもありますので上記を載せました。同じ内容が詩人クラブHPにも載っているわけです。これを機に日本詩人クラブのHPもご覧いただけると嬉しいですね。
http://homepage3.nifty.com/japan-poets-club/
○浜本純逸氏編 現代若者方言詩集 『けっぱれ、ちゅら日本語』 |
2005.12.5 東京都千代田区 大修館書店刊 1000円+税 |
<目次>
表情ゆたかな方言の世界 島田陽子 B
北海道・東北
北海道 4 青森県 9 岩手県 15
秋田県 19 宮城県 23 山形県 27
福島県 32
関東・甲信越
茨城県 38 群馬県 39 栃木県 41
埼玉県 44 千葉県 47 東京都 50
神奈川県 54 山梨県 56 長野県 58
新潟県 63 富山県 67 石川県 69
福井県 71
東海・近畿
静岡県 78 愛知県 81 岐阜県 83
三重県 86 滋賀県 89 京都府 92
奈良県 100. 大阪府 103. 和歌山県 108
兵庫県 111
中国・四国
鳥取県 118. 島根県 121. 岡山県 124
広島県 127. 山口県 133. 香川県 136
徳島県 140. 愛媛県 144. 高知県 147
九州・沖縄
福岡県 150. 大分県 154. 佐賀県 156
長崎県 159. 熊本県 164. 宮崎県 171
鹿児島県 176. 沖縄県 183
[解説]方言詩から広がる世界 191. 収録作品・作者・所属一覧 199
あとがき 209 装画−濱本久雄
私の言語感覚/井上夏美
ある日先生が言った
「学校へ行く」
「学校に行く」
「違いは何だろう?」
「国語学のゼミの人はわかるでしょ?」
「………………」
視線が一点に集まる
私のことか………………
そんなこと私にきかないで
だって私、「へ」も「に」も使わない
どっちも間違いでねぇのか?
私は「学校さ行ぐ」だ
考えすぎたら、病気さなっちまう
だから「わがんねぇ」
大修館書店から贈呈本が送られてきて、しかも編者は知らない人…。あらら、どうなっているんだろうと本書を繰ると島田陽子さんの序がありました。本が入っていた封筒をよく見ると「島田陽子先生代」の手書きの文字。日本詩人クラブの理事をご一緒している島田さんが大修館に指示してくれたのですね。島田さん、ありがとうございました。
編者は早稲田大学教育学部の教授で、島田陽子さんの『方言詩の世界』に触発されて学生にお国言葉の詩を書かせ、それをまとめたとのこと。全国から集まった学生には当然、方言が多く、それがコンプレックスにもなっていたが、詩作を通して方言の持つ力に気付いていったようだと「あとがき」にありました。目次でも判りますように全国津々浦々から集まった学生によって作詩された280編ほどが載っています。お腹を抱えて笑い、ほほえましく読み、そしてちょっぴり哀愁も感じました。
紹介した作品は福島県の学生の作です。私の父親の実家は福島県いわき市で、そこで私も2歳頃から10歳まで過ごしましたから、多少は福島弁を知っているはずですけど、今は全くダメですね。それでも「学校さ行ぐ」は覚えています。福島に限らず東北一帯の言葉として「さ」はあると思いますが、その良さを改めて感じました。そうです、「どっちも間違い」なんです。「病気さなっちまう」ような日本語ではなく「学校さ行ぐ」が標準語として正しいのではないか、と力強く思った作品です。
あなたは地元の言葉で書かれた詩があります。ぜひ読んでみてください。
○詩誌『ぼん』43号 |
2006.1.30
東京都葛飾区 池澤秀和氏発行 非売品 |
<目次>
詩 ポプラ/齋藤 2
随筆 刻の狭間で43/池澤秀和 4
詩 置き去り/池澤秀和 11
一握りの風景/池澤秀和
三分の一のなかの十分の一程度なので
ほんの ひとつかみ
等身大の 形だけは とどめている
捨てては いけない
作り替えても 困る
いのちにかかわる 過去なので
鋳型にはめて
装飾品に固められるのを
拒んでいる
現状を 変えることが革新なら
詩人よりも 上手にムードをつかんで
ワンフレーズのかがやきで
どっと群衆を 集めることも
そう呼ぶのだろうか
半世紀前 みんなが抱きしめていた ひかりを
守っていくのが どうしてこんなに
大変なのだろう
人間の季節の 解体作業が始まっていて
外したり 加えたり
日蔭の調整をしている音が 聞こえてくる
いつの間にか 理解できないことに
取り囲まれているが
逆方向から視なおすと
少数こそが ひかりに一番 近い場所
随筆「刻の狭間で 43」のさ挿入作品です。「一握りの風景」の風景とは、現在の下町の風景や「半世紀前 みんなが抱きしめていた」風景と考えて良いでしょう。「詩人よりも 上手にムードをつかんで/ワンフレーズのかがやきで/どっと群衆を 集める」首相のもとで「人間の季節の 解体作業が始まってい」ると読み取りました。最終連の「逆方向から視なおすと/少数こそが ひかりに一番 近い場所」というフレーズが詩人の生き方を示唆しているように思いました。考えさせられる作品です。
○文芸誌『SPACE』65号 |
2006.1.1 高知県高知市 ふたば工房発行 非売品 |
<目次>
詩
吉田義昭 2 中口秀樹 6 内田収省 8
南原充士 14 いずみしづ 18 武内宏城 20
阿部博好 22 指田 一 24 山下千恵子 26
紀の崎茜 38 笹田満由 40 ヤマモトリツコ 41
豊原清明 42 広田 泰 45 あきかわ真夕 48
かわじまさよ 50 萱野笛子 52 宮地たえこ 54
さかいたもつ 56 弘井 正 58 大家正志 60
近澤有孝 64
詩記 山崎詩織 66
エッセイ
ヤマモトリツコ 28 中原繁博 29 山沖素子 30
片岡千歳 32 近澤有孝 33
小説 澤田智恵 78
往復メール 中山直一×弘井正 70
編集ノート 大家 81
表紙写真 無題(制作・指田一)2004年 段ボール アルミ板、銅板、トタン枚、枝、他 50×25×20
海と風の透視図/吉田義昭
まひる、父と息子が岸壁に腰掛け、
海に繋がる二本の釣り糸を垂れている。
いくら待っても白い糸は垂直に移動しない。
このまま、この時間の中で待っていたら、
地球を釣り上げてしまうのではないか。
そのまぶしすぎる息子の声に、
父は何も答えずに穏やかな海面を見ている。
海と空が半分ずつの風景が広がっている。
海と空はいつも対になっていなくてはならない。
父親と息子のようにだ。
どちら側が欠けても、
太陽は沈む場所を探してうろたえるだろう。
空には雲が流れている方が美しい。
海もまた波で揺れている方が美しい。
風景はいつも何かに寄り添って作られるものだ。
空と風がゆったりと雲を動かしていた。
海と風が波の上で白い帆船を動かしていた。
海と空は本当はどちらが早く移動しているのか。
父は揺れる釣り糸を見つめながら考える。
いつもこちら側からしか見ていない風景を、
後ろ側から見つめることで速度の違いがわかるだろう。
父として息子を見つめるだけでなく、
息子の目の高さで、自分を見つめてみる時間もいい。
同じ風景を見つめていても、
父と息子は同じ時間を半分ずつに分け合っていた。
この空とこの海のようにだ。
やがて誰もいなくなった風景だけが流れていくだろう。
寄り添っていた二人が小さな魚を一匹ずつ釣り上げて、
父は父の時間の中で、息子は息子の時間の中で、
海と空の半分ずつの夕暮れから離れた後でも。
「まひる、父と息子が岸壁に腰掛け、/海に繋がる二本の釣り糸を垂れている」という穏やかな風景ですが、その中にも緊張感を持っている作品だと思います。「海と空はいつも対になっていなくてはならない。」、「風景はいつも何かに寄り添って作られるものだ。」などの断定が緊張感を生み出していると云えましょう。「父親と息子のようにだ。」「この空とこの海のようにだ。」などのフレーズは対比を上手く遣っていて、ここも見事です。
しかし、それらの緊張の後に「寄り添っていた二人が小さな魚を一匹ずつ釣り上げて、/父は父の時間の中で、息子は息子の時間の中で、/海と空の半分ずつの夕暮れから離れ」ていくという日常(ただし、これも単なる日常ではありませんが)に戻って、読後の安堵感を与えます。緊張と緩和という相反する心境をバランス良く提示した作品だと思いました。
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