きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
夕焼け 2005.1.2 神奈川県南足柄市 |
2006.1.29(日)
昨日から箱根に行っていました。仲の良い詩人たちと一泊で呑むことになって、それなら箱根にしようと提案しました。別に箱根でなくても良かったんですが、私の住んでする南足柄市に来てもらうのは無理としても、小田原・箱根という広い意味での私の地元を見てもらいたかったのです。
箱根にあまり来たことのない人のための常識コース、雪の残る大涌谷から快晴の富士山を見、収蔵品は印象派が中心で、良く言えばバランスよく、辛口で言えばテーマのないポーラ美術館をご案内しました。ポーラ美術館は自然環境に配慮した低層設計がウリですけど、一階から地下二階へという構造は珍しいと云えるでしょう。
残念だったのは宿泊に狙っていた老舗「一の湯」が取れなかったことです。ネットで探して宮城野温泉の旅館を予約しましたけど、部屋にコタツがあって旅館というより民宿に近いものでした。でもこのコタツが良かったです。夜はひとつの部屋に集まってコタツに足を突っ込んで話し続けました。昨年暮に届いた「越乃寒梅」を持ち込んで午前1時過ぎまで話し込みました。作品の背景にまで踏み込んだ話ができて、今回の最大の収穫だったと思います。
私は楽しくてしょうがなかったけど、来ていただいた皆さんには行き届かないところが多々あったでしょうね。ご海容ください。ありがとうございました。また呑みましょう。(恒例にしたいなぁ)
○個人詩誌『Quake』17号 |
2006.1.25 川崎市麻生区 奥野祐子氏発行 非売品 |
<目次>
モニュメント(記念碑) 一
腕 五
コウモリ 九
待ち針 十三
モニュメント(記念碑)
時折
一〇年先の自分までもが
ぼんやりと 見渡せるような気になって
ため息をついてしまうことがぁるけれど
誰が知ろう
十年はおろか
十日 十秒 十分 十時間
一寸先のことですら
わたしは知らない わからない
だけど そのことをつい
うっかりと 忘れてしまう
頭の中には
人工都市の メトロポリスのような
巨大な社会が
いつもひとりでに ひろがってしまい
わたしは 何故か いつも
いつのまにか そこで 生き始めている
体中に 弾薬の帯を巻きつけ
戦闘服に 身をかためたソルジャー
恐ろしい想像力の翼よ
わたしの過去が 作り上げてしまった
恐怖と 疑惑と 懐疑に満ちた
虚飾でかたむく バベルの塔よ
そこで つぶやきつづけられる
誰にも通じない おぞましい わたしのコトバたちよ
こわしてください くだいてください
バラバラに蹴散らし 引き裂いてください
このわたしの つくってしまった社会を
さあ おねがい
昼寝をしているブルースにいう
まるめた体 おだやかな寝息
彼の 毛むくじゃらの 体のうずまきの中心に
すごく たしかな
動かぬ 静かな
神さまがいるのだ
そこに向かって 頭から
わたしは もぐってゆく
深く深く どこまでも
木が くすぶったような
こげくさい ブルースのにおいに包まれて
もぐりもぐった その先で
すぽりと 頭が 突然ぬけて
わたしは さかさまにつるされる
頭の中から
模型のような あのメトロポリスの
建物が 橋が 人々が 世界のすべてのパーツが
お菓子のおまけのミニチュア人形のように
バラバラと 落ちてゆく
奈落の底に 消えてゆく
空っぽの頭を イヌのように ブルブルふると
わたしの世界が 白紙に戻る
積み上げてゆくのだ またはじめから
一分 一秒 一時間
順番に 慎重に ただ 積んでゆくのだ
解釈も 理屈も 目的も 意義も
何も要らない
小さな たしかな 石の記念碑だけを
ただ きょうの この日のために さあ
そっと 積むのだ
「一〇年先の自分までもが/ぼんやりと 見渡せるような気になって」しまうのはよくあることで、それに従って貯金をしたり家を修理したりするわけですけど、よく考えれば「一寸先のことですら」判らないのが現実です。10年先の日本の姿、10年先の事業収益を考えた計画などというのに慣らされ、教育されてきた結果かもしれません。国家や企業はそれが必要ですけど、個人は違うと改めて気付かされました。この作品では最終的に「石の記念碑」を築くことをうたっていますが、それはそういう前提のもとに「小さな たしかな」営みの結果として出来上がるものだと考えてよいでしょう。「バベルの塔」のようにそんな積み上げるという行為が「わたしのコトバたち」を「こわし」「くだいて」しまうことになるかもしれないけど、先の見えない個人としてはそれも致し方ないのだ、と読み取りました。
○隔月刊詩誌『叢生』142号 |
2006.2.1 大阪府豊中市 叢生詩社・島田陽子氏発行 400円 |
<目次>
詩
生きる/由良恵介 1 指針面/吉川朔子 2
ミラーボール/秋野光子 3 一日/江口 節 4
五千円札/姨嶋とし子 5
1×15 3/木下幸三 6
「オールド イズ
ビューティフル」/佐山啓 7 なんでもない朝/島田陽子 8
影/下村和子 9 物差/曽我部昭美 10
酒まんじゅう/原 和子 11 出現/福岡公子 12
槿/藤谷恵一郎 13 ひとのことはほっとくわ/麦 朝夫 14
雪/八ッ口生子 15 カミュの喪失観とおれ/毛利真佐樹 16
老の断者/山本 衞 18
本の時間 19 小径 20 編集後記 21
同人住所録・例会案内 22 表紙・題字 前原孝治 絵 広瀬兼二
「オールド イズ ビューティフル」/佐山 啓
1 ばかばかしいことをするのが愛だ
愛しあっているふたりは
ふたりだけのばかばかしいことをします
ほかのひととはしないようなことを楽しんでします
やってしまえばそのことをしたことで
ふたりの愛を深めることになります
ためらいは別れの前兆です
ばかばかしいことができないようでは
愛しあっているとは言えません
たとえば大阪に住んでいるあなたが
−新幹線で東京まで行って
日帰りで 美術展を見に行かない?−
という誘いを受けたとしましょう
こんなとき 即座に快諾しないようではあきません
いくら気前のいいあなたでも
往復の旅費や時間を計算して
−絵をちょっと見るために そんな…−
と思うでしょう
ぐっと声が詰まって やがて別れのときがきます
ばかなことができないあなたは何と愚かなんでしょう
あのとき行っておけば と
悔やむことになるでしょう
思い描いてみてください
車中での往復六時間余りの
ほかに何もすることのない
ふたりだけの時間の楽しさを
こんなにお金と時間をかけて
何というばかばかしいことを
ふたりはやっているのだろう と
そういう思いが いっそうふたりの会話を弾ませます
ばかばかしければばかばかしいほどいいのです
今日もどこかで愛しあっているふたりが
ばかばかしいことをしていることでしょう
あっ、そういうことだったのか! と思い至りました。たしかに「愛しあっているふたりは/ふたりだけのばかばかしいことをし」ていましたね。時間さえ取れれば「往復の旅費や時間を計算」する方ではないと思うのですが、それでも普通の場合には計算していることに気付くことがあります。「愛しあっているふたり」という形容はずいぶん昔のことになりましたが、20代30代は本当に「ばかばかしいことをしてい」ましたね。日本中を駆けずり回って遊んでいました。
意外と気付かない視点を表現してくれたと思います。こういう詩は一般の人にも読んでもらえるのではないでしょうか。機会があれば引用したい作品です。今回は「1」ですから、まだまだ続くのでしょう。楽しみです。
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