きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
満天星 2005.1.8 自宅庭にて |
2006.2.7(火)
午後から上野で関連会社との会議が予定されていましたが、出席しませんでした。新規に付き合い始めた会社ですので、4月末に早期退職を予定している身としては、これ以上交流範囲を広げるのは弊社にとっても得策ではないと判断しました。後任者がいれば行ってもらうところですが、まだ正式には公表されていませんので、結局、私の課からは誰も出さないことにしました。営業部門と技術部門だけで対応してもらいました。
そうやって着々と退職準備をしています。仕事を増やさない、むしろ減らしていく。当り前のことでしょうけど意識してやっていかないと収拾がつかなくなると思います。それにしても楽しみだなぁ、早く来い来い、退職日!
○月刊詩誌『現代詩図鑑』4巻2号 |
2006.2.1 東京都大田区 ダニエル社発行 300円 |
<目次>
山之内まつ子 ある演出家にとっての…3 枝川里恵 青いお守り……………………25
有松裕子 (オーバー)ドライブ………6 柏木義高 戯画 尾を呑む蛇……………28
岡島弘子 ねむりのうちそと…………10 高橋渉二 ディスパラテスをわたる9…31
倉田良成 ともだち……………………16 宮原 結 うすらひ………………………36
野間明子 炒られる者…………………18 表紙画 ……………来原貴美『シラサギ』
高木 護 朝めし/夜へ………………22
ともだち/倉田良成(くらた よしなり)
透明な塵の交じったような、どこか硬質な春の風とともに
彼はやって来た。私たちがよく遊びに行くその学生寮の一室
に、ちがう学校の学生である彼がいつのまにか居着いた、と
いうかたちだ。音楽をやる仲間がいて、彼はベースなんだと
言っていた。その顔の印象はあるけれど、その顔の記憶はな
い。なにかしきりに冷たい雨と無残なまでに美しい花が降り
つづいていたような感じがある。彼が夜の公園で楽器の練習
をしているという贋の記憶。じぶんは国文科なのだと言って、
私に分厚い本をくれた。八代集抄という題が箔押しされたそ
れはたいそう立派だったが、披いてみると中がタバコの箱二
個分ほどくりぬかれている。歌さえ読めればいいと思って貰
っておいたが、めくってもめくっても読むことのできるのは
頁の両端の四首ほどで、そこにあるはずで見事に欠落してい
る中央の二、三首ずつがすごく気にかかった。それは両端の
四首よりも、もっと華麗で、豊かで、香り高い空間みたいな
心ばえさえしてくるのだった。本にうがたれた空洞には現金
を隠していたのだと言っていた。秘すれば花を実地で教えて
くれた彼と一度、音楽をやる仲間とその綺麗な恋人も交え、
歌舞伎町のひどく安い店で飲んだことがある。アルマイトの
平鍋のショッツルをつつきながら、やっぱり話題は音楽で、
ジャズの話のあとにはなぜか必ずそこにテーマが流れて行く
演歌の話になり、当時全盛のイツキヒロシをどう思うかと不
意に訊かれた。面食らいながら私が、イツキにおいて演歌は
自己崩壊しているとでたらめを言ったら、彼は身体を二つに
折ってくるおしいほど笑った。春が終わるころ、彼が自室で
死んでいるのが見つかった。スイッチが入ったままのヘアド
ライヤーを握り締めていたという。春の公園の水銀灯の下で、
彼は永遠にステージに上がらないベースの練習をしている。
くりぬかれた本の中には薬物を隠していたのだという噂をそ
のあと聞いた。ほんとうに学生であったのかどうか、誰も知
らない。彼がベースを弾いているところを、私は見たことが
ない。
勧 君 金 屈 巵
コノサカヅキヲ受ケテクレ
満 酌 不 須 辞
ドウゾナミナミツガシテオクレ
花 発 多 風 雨
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
人 生 足 別 離
「サヨナラ」ダケガ人生ダ (「勧酒」干武陵、井伏鱒二訳)
最後の「勧酒」が良く効いていると思います。ここでの「ともだち」は本当に心を許しあえる友だちだと思います。その対比として散文詩に戻ると、違いが鮮明になります。しかし「その顔の印象はあるけれど、その顔の記憶はな/い。なにかしきりに冷たい雨と無残なまでに美しい花が降り/つづいていたような感じがある」友だちも人生の中では必要だったのかもしれないなと感じます。悪友ではないけど、そういう印象の「ともだち」って確かにいましたね。面白いところを突いた作品だと思います。
○隔月刊詩誌『鰐組』214号 |
2006.2.1 茨城県龍ヶ崎市 ワニ・プロダクション発行 300円 |
<目次>
村嶋正浩 詩のホスピス24 麻里という身体 01
愛敬浩一 詩のふちで63 岡田刀水士研究、ほか 07
小林尹夫 棲息22 06
福原恒雄 庭の周縁 03
仲山 清 やぶれ烏賊町へおいでよ 12
利岡正人 入浴時間 04
山佐木進 背中 10
佐藤真理子 十年後のわたしへの手紙 08
尾形ゆきお 辻 14
平田好輝 或る女 02
庭の周縁で/福原恒雄
あそこは昼でも危ないと噂の暗がりが囲っている杉の林は手入れ
のない一本の生臭い道を通していたが、きみの庭の見えるところ
に出るには、経路なのだ。
転変の世に散り散りになった名を集めた花いっぱいがモットーだ
と照れて頭掻き掻きの便り。近くたずねる手筈だった。ところが
三日まえ、林の落葉の中で、壊された花の蕾が見つかった。識者
も入れて因果を洗い立てる作業が供えの花の向こうで続けられて
いるとざらざらの声。草木掻き分ける果てにある虚空。
きみは舌に残るちいさな光を転がしながら咲いて散って芽生える
転生を思い浮かべたが、風を止めてしまうこの道は暗い造りだ何
がいるかわからないと顔の曇る識者に、鎮座の腰が浮いて、干か
らびた知識しか張りついていない、それじゃあ花の色も失せます
わと唾こぼしたら、聞きつけた新調の最新モデルの靴は、きみを
きみの庭まで押し戻したとも。識者にも水をやってくれ。
息の乾く季。緊張の夕刻はどんよりとくすんで、おれらの通信は
ともに遠いマンション群を透かして手折られた花の色に染まる。
語らない樹木たちにも軋る花いっぱいのモットーを噛みしめて。
タイトルの「庭の周縁で」に惑わされると小さな周縁しかイメージできないかもしれませんが、書かれている世界はもっと深いと思います。「壊された花の蕾」の「因果を洗い立てる作業」も見方によっては小さなことのように思えますが、これも要注意でしょう。
この作品のポイントは人間の生活≠セろうと考えられます。「花いっぱいのモットー」の裏で進行する人間の生活の破壊。それがテーマになっているように思うのですが、どうでしょうか。作者の意図とはまったく離れているかもしれませんが、そのように読み取りました。
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