きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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満天星 2005.1.8 自宅庭にて

2006.2.11(土)

 東京・神楽坂エミールにおいて日本詩人クラブ理事会、引き続いて例会が開催されました。今日の例会は通常と違って「法人化フォーラム」と銘打ちました。日本詩人クラブは55年の歴史がありますが、今までは任意団体でした。社団法人化しようという話はだいぶ昔からあったのですが、人数や基金が条件を満たせず実現できませんでした。それが法改正・一昨年の施行により中間法人という緩やかな制度が認められ、現在の日本詩人クラブの規模でも法人化が可能となりました。その実現へ向けてのフォーラムです。

 東京都行政書士会の阿部理事を迎え、中村不二夫会長とともにフォーラムが進められました。法人化の大きなメリットは社会的信用度のアップです。現状では日本詩人クラブの名前で口座を開設できず、会計担当の個人名になります。事務所もクラブ名では借りられません。私の担当分野で言えば、EメールアドレスもHPもクラブ名では契約できず私の個人名で契約しています。法人化できればそれらの悩みは一気に解決できます。これは一般の会員にはあまりメリットがないように感じられるかもしれませんが、一度でも執行部に身を置いた人にはお判りいただけると思います。例えばマンション管理組合の理事になって、個人名で数千万の現金を預かる怖さを考えてもらえれば良いでしょう。

 当然デメリットもあります。法人税(7〜8万円/年?)、登記料(5万円?)、登録料(6万円?)が発生し、事業が大きくなれば消費税の心配もしなければなりませんし、会計も従来の簡単なものでは済まなくなります。しかし年間2千万円を超える予算規模のクラブとしては大きな負担とはならないと思います。

 まあ、そんなことを話し合ったフォーラムとなりました。会場からも活発な意見が出て、やって良かったと思います。もちろんこれ1回ではなく今後も何度か機会が作られると思いますが、会場の意向もおおむね前向きで、実現は意外と早いなと個人的には感じました。

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 会場からは「ホームレスが住民票を取るようなものだ」という面白い意見も出て、拍手喝采を浴びていました。さすがは詩人、言葉の選び方が違うと私も感心しましたね。
 実現までにはまだまだ多くの困難が待っていると思いますが、日本詩人クラブの歴史的な転換点に理事として立ち会える幸運を喜んでいます。実現すれば名称は「有限責任中間法人・日本詩人クラブ」となります。第一歩を踏み出した感触をしっかりと掴んだフォーラムでした。



季刊詩誌『新怪魚』98号
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2006.1.1 和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏方・新怪魚の会発行 500円

<目次>
 中川たつ子(2)夏の名残り
   山田博(4)線いろいろ
  福島寛子(5)七枚目のタオル
  岡本光明(6)時間
  井本正彦(8)田んぼのあぜ道
佐々木佳容子(10)蘇生
 岩城万里子(12)冬のあかり
 曽我部昭美(14)ドラッグ&ドロップ
  寺中ゆり(15)ランボーの詩
(うた)
 五十嵐節子(16)六月に
   上田清(18)営為(三十八)
  水間敦隆(20)吊り橋
くりすたきじ(22)北の亡者U
  エッセイ(24)上田清
表紙イラスト/くりすたきじ



 ランボーの詩
(うた)/寺中ゆり

月が終電を逃がして立ち往生
星が酔っぱらい 駅のホームで寝転んで
互いの輝きをけなし合う
夜はちょうど終電2つ手前の地下鉄に乗った
丑三つ時を通過し 夜明け前で一時停止
「ここからは 各停になります」
何個かの星たちが夜にからむ
夜は「また、あした」といって星をあしらう
元気をなくした星は やや卜ーンをおとし
独り言のように こう言う
「私は夜なしではやっていけない」
冷たい夜
だまって星は夜の後をつける
知っている 星は夜が必要なことを

夜は 月に恋をした
満月の夜
澄んだ夜の心に月は混じり合う
落ちそうな位置で月夜を楽しむ

カラスが出発の合図を出す
夜は静かに眠る

 擬人化された「月」「星」「夜」がおもしろいですね。三つ巴の三角関係の中に電車と「カラス」がいて、そこが妙にリアルで成功していると思います。タイトルが「ランボーの詩」だから、読者は何があってもおかしくないという気になるでしょう。たまにこういう作品を読むとホッとします。長いと追いつくのに大変だけど、長さも構成もちょうど良いのではないでしょうか。



田川紀久雄氏詩集『道化師』
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2006.2.20 東京都足立区 漉林書房刊 1200円+税

<目次>
道化師1 6     道化師2 8     道化師3 11     道化師4 14
道化師5 17     道化師6 21     道化師7 24     道化師8 27
道化師9 30     道化師10 33     道化師11 37     道化師12 41
道化師13 44     道化師14 47     道化師15 50     道化師16 53
道化師17 56     道化師18 59     道化師19 63     道化師20 67



 道化師9

戦後サーカスを見るのに
子供達はキャラメルの箱を持っていくと安く見られた
地方巡業でいくところはどこも満員だった
でも子供達にとってサーカス小屋は恐怖でもあった
「親の言うことを聞かないとサーカスに売ってしまうからな」
いまではそんなことは耳にしなくなったが
昔はなにか恐ろしい場所のように思われていた
でも子供達はわくわくしながらサーカスを見にきたものだった

テレビの普及で子供達もサーカスを見にこなくなった
いくつかのサーカスは廃業に追い込まれた
それでもこのサーカス小屋はなんとか持ちこたえてきた
そしていまでは若者達が入団するようになった

サーカス小屋で一番の憧れは道化師さ
でも誰でもがなれるというわけにはいかない
このおれだっていろいろと苦労をしてきた
人を笑わせようと思っても
そう簡単には笑ってくれない
心の中から湧いてくるユーモアがないと
人は笑ってはくれない

人は苦しみからのがれようとする
そして美しいものに憧れる
でも美しいものだけでは
人の心はいやされない
最後にたどりつくのは
笑いを取り戻すことなのさ
おれはそう思ったときから
場末を徘徊したものさ
そこで悲しんで泣いている人達と友達になり
苦しんでいる人の話しに耳を傾け
かれらと一緒に酒を飲んだりした
そこで彼らを癒す笑いの術を磨いてきたりした

おれは神様のけつをふくことを覚えた
こんないい方はよくないが
けつを拭きとってやることが
心の苦しみを癒す方法なのだと悟った

おれは道化師
でもおれのけつを拭いてくれる人はいない
おれは最後の道化師さ

(二〇〇五年七月二十一日)

 「戦後サーカスを見るのに/子供達はキャラメルの箱を持っていくと安く見られた」というのは記憶にありませんけど、キャラメルメーカーと結託してそういうことがあったのかもしれませんね。「でも美しいものだけでは/人の心はいやされない/最後にたどりつくのは/笑いを取り戻すことなのさ」は名言だと思います。
 宗教心のある人には怒られるかもしれませんがもっと名言だと思うのは「おれは神様のけつをふくことを覚えた」というフレーズです。道化師の面目躍如というところでしょう。どこかで使ってみたい言葉です。
 体験ではなく想像で書いたようですけど、道化師とどこかで通底するものがあるのかもしれません。のびのびとした言葉を感じた詩集です。



『漉林通信』6号
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2006.2.10 川崎市川崎区
漉林編集室・田川紀久雄氏発行 200円

<目次>
荒川日記 保坂成夫
詩になるとはどのようなことなのか 田川紀久雄



 詩は、詩のことばかり考えるのではなく、詩にとってもっと遠い世界を見つることが大切なのだ。入門書的なことは詩にとっては、それほど大事なことではない。
 詩になるということは、詩でない世界を凝視することだと思う。泥の中でさく蓮の花のように。そして現実の中で苦しみ生きぬくことこそが詩を書かせる要因につながってゆくのだ。
 そういう詩は、詩壇に関係なく、普通の人々に伝わってゆくだろう。詩人たちに向かって詩を書くのはなさけない。
 詩は、悲しみの深淵から生まれてくるからこそ、本当に人々を感動させると信じたい。趣味のための詩なんて存在しない。

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 田川紀久雄氏による「詩になるとはどのようなことなのか」の最後の部分です。「詩人たちに向かって詩を書くのはなさけない」という言葉に衝撃を受けています。一般の読者に読んでもらいたいとは誰でも考えることなのですが、現実には「詩人たちに向かって詩を書」いていることに気付かされました。考えさせられます。



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