きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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満天星 2005.1.8 自宅庭にて

2006.2.13(月)

 20〜30年ぶりで入手できた貴重なデータのカラーコピー200枚ほどを部下の女性に半日かけて取ってもらい、私は明日の出張の資料と木曜日に開催される検討会の資料作りに終日過ごしました。ペーパーレスの時代などともはや言う人はいないでしょうが、それにしても紙の資料は多いなと思います。社内・社外ともEメールで遣り取りをするのですが、その内容はプリントアウトして残す始末。昔なら1日〜2日経って来た郵便物が、今は数秒ですからね、忙しくなるわけだ。
 その果てにどういう社会になって行くのか、4月末の退職日が過ぎたらじっくりと見据えてやろうと思っています。



隔月刊誌『新・原詩人』4号
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2006.2 東京都多摩市     200円
江原茂雄氏方 新・原詩人事務所発行

<目次>
詩 忘れられず 金素月作 萩ルイ子訳 1
唐子村慕情(14)――原爆の図丸木美術館―― 長谷川修児 1
読者の声 2

大麻精神病/山田塊也 2          道は/まつうらまさお 2
あなたと歩いた街を/稲木豊實 3      美学/佐相憲一 3
広告 朗読の仕事ください 橘安純 4
川柳 乱 鬼龍 4
ヘルダーリンを偲ぶ 4
磐城平城 小林忠明 5

夢見る夢子さん/戸塚智英子 5       誕生日・空の味/ゆち 5
冬のきりぎし/神 信子 5
事務局より 6



 大麻精神病/山田塊也

潜水艦の乗組員たちが 大麻でパクられると
マスコミは 武器を持った自衛隊員が
海底の密室で 大麻を吸って気が狂い
ミサイルを乱射するような危機感をあおり
軍事アナリストは「抜き打ち尿検査を」と言った

やがて「大麻精神病」の予防検査と称して
抜き打ち尿検査が 自衛隊だけでなく
学校 職場 公民館 盛り場などでも実施され
陽性反応が出たら 大麻常習者と見なされ
連れて行かれる先は 病院でなく監獄だ

大麻精禅病とは デマゴーグである
現実には存在しない病気をでっち上げて
大衆を管理する悪質なデマ宣伝だ
今や大麻後進国 日本でだけ通用する
大麻は有害である――という唯一の理由だ

意識を拡大するという大麻の作用を利用して
ヨガ行者は自我意識を 宇宙意識にまで拡大し
「梵我一如」で精神を統一する
もし大麻が精神を分裂させ意識を狂わすなら
仏陀も シャンカラも ラーマクリシュナも
みな気狂いだ

 正直なところ「大麻精禅病とは デマゴーグである」かどうかよく判りません。先日読んだ本はオランダでは大麻が合法であると伝えています。しかし周辺の国では違法で、オランダに抗議しているとありました。インドに旅行した人の話では現地では吸えるとのこと…。別に試したいと思っているわけではありませんけど「大衆を管理する悪質なデマ宣伝」の匂いは感じます。「仏陀も シャンカラも ラーマクリシュナも」「大麻の作用を利用し」たというのは本当なのでしょうか。誰か科学的にきちんと証明してくれないかなと思っています。



個人詩誌『粋青』44号
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2006.2 大阪府岸和田市
後山光行氏発行 非売品

<目次>

○―――――ふさぎこんだ花(9)
○―――――――淋しい納得(10)
○やわらかな日差しのもとで(12)
○―――――釣合わない風景(14)
○―――――漂流する朝・1(18)
スケッチ      (8)(17)
創作★空色のベルトの腕時計(4)
エッセイ
●絵筆の洗い水(20)    (16)
●舞台になった石見【34】 (20)
  石見 浜田亀山城(一)
あとがき
表紙絵:山茶花(原山台公園にて)2004年12月



 ふさぎこんだ花

○○流という
看板とともに
花が活けられていた
いつもの駅のいつもの場所
花はどこか異国からやって来たようで
名前もわからない
場違いでひときわ派手なものだった
まとめきれない弱さがそうさせたのだろう
そのあたりに生えている
近くのものを生かして
新しい何かが生まれると思うが
珍しさが先にたって
花も○○流もふさぎこんでいた

 これはよく判る作品ですね。その上「場違いでひときわ派手なものだった」という一般的な観察にとどまらず「まとめきれない弱さがそうさせたのだろう」と一歩突っ込んでいます。この視点はなかなか持てないのではないでしょうか。「ふさぎこんだ花」という表現も同様でしょう。短詩ながら中身の詰まった作品だと思いました。



○阿部堅磐氏著『「梁塵秘抄」「閑吟集」を読む』
別冊 詩歌鑑賞ノート
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2006.2.10 愛知県刈谷市 私家版 非売品

<目次>
『梁塵秘抄』を読む  (一)
『閑吟集』を読む  (十二)



 巻第一、冒頭の《長哥十首》の<祝>の歌

 そよ 君が代は千代一たびゐる塵の白雲かゝる山となるまで。
 一

 国歌「君が代」を想い浮かべる。千年に一度とまる小さな塵が、
積もりに積もって、白雲のかかる高い山となるまで、というのだか
ら何ともオーバーな表現である。言わんとすることは、限りなく、
とこしえにという願いが読み取れる。

 「『梁塵秘抄』を読む」の部分を紹介してみました。「君が代」の元歌なのかもしれませんが、確かに「何ともオーバーな表現である」と云えるでしょう。「君が代」もさざれ石が巌となるまでですからオーバーですけど、それに千倍万倍する歌ですね。そこまで「<祝>」うのかと、ちょっと鼻白むほどです。この感覚が現代人にもどこかで生きているのかもしれません。
 原本での「祝」は正字でしたが、今のパソコンではサポートされていません。やむなく現在使われている字にしてありますのでご了承ください。



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