きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.2.22 新幹線富士川鉄橋より




2006.3.21(火)


 春分の日でお休み。いただいた本を読んで、ある個人誌に頼まれた詩を書いて、4月1日に実施する日本詩人クラブのオンライン作品研究会の案内をメーリングリストに流して、それで1日が過ぎてしまいました。しかし、充実していましたね。仕事をこなした!という感じです。そういう仕事は毎日やっても苦にならないんですけど、残念ながら今は宮仕え。あと1ヵ月ちょっとで38年続いたサラリーマン生活も終りますから、それまでの辛抱です。早く来ないかな。その日が待ち遠しいです。



谷本州子氏詩集『綾取り』
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2006.4.9 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
T
綾取り―8      鼻柱―12
交換―16       「かど」―20
揺れる―24      握飯―28
白鷺―32       紙風船―36
追焚き―40
U
辻堂―46       花時―50
コスモス祭―54    こんにゃく―58
チャルメルソウ―62  花の曲―64
お手玉―68      星―70
あなたが好きです―74
V
水がめ―80      どこかで―84
白い羽―88      斜向かい―92
機結び―96      朝の病院―100
跋 山里暮しの詩情を歌う――谷本州子詩集『綾取り』 伊藤桂一―104
あとがき―110 
   表紙カバー装画 東 俊一



 綾取り

だれも金井さんを助けることはできなかった

終戦の三日後のことだった
村人たちの上げた両手は
夏空に凍て付いていた

金井さんが庭に引き摺り出され
日本贔屓だったという理由で
数人の頑強な男たちに
山里に馴染まないことばで
怒鳴られながら
角材で殴られているというのに

小声で朝鮮の歌を
歌っていた奥さんと
わたしと同い年の
順ちゃんが生まれる前から
この村に住んで
農家に雇われ
信望を集めていた
金井さん
その日もきっと
どこかの草刈りの
約束があったはずなのに

つぎの朝
見覚えのある順ちゃんの
綾取りの黄色い毛糸が
わたしの家の物干し竿に
掛けられていた
たった七、八十センチの毛糸さえ
母に貰えなかったわたしは
順ちゃんのおかげで
流行の綾取りができた
ふたりとも星を作るのが好きだった

順ちゃん一家は
自分の国へ帰ったという噂だった
北へ帰ったのか
南へ帰ったのか

六十年近く経っても
あの日上げた村人たちの手は
歯痒さに震え
綾取りの星は瞬き続けている

 詩集のタイトルポエムで、かつ巻頭作品を紹介してみました。いきなりすごい詩が飛び込んできて面食らったというのが正直なところです。朝鮮人の「金井さん」は「終戦の三日後」に「日本贔屓だったという理由で」「山里に馴染まないことば」を話す「数人の頑強な男たちに」「角材で殴られている」。それを「村人たち」は「だれも金井さんを助けることはできなかった」わけですが、「信望を集めていた/金井さん」も村人も大きな歴史の中に飲み込まれているのが読者にも「わたし」にも判って、やるせないものを感じます。しかし、それら全ての人間を見ている「わたし」の視線は和らいでいるのではないでしょうか。「六十年近く経っ」た現在の視点であるにしても「順ちゃん」を見る眼と同じ質を感じます。
 「交換」「握飯」「紙風船」「追焚き」「辻堂」なども敗戦直後を描いた作品ですが、ある意味では人間が人間らしく生きられた時代を書いたと云えるでしょう。屈折のない感動を覚えた佳い詩集です。



同人詩誌『蠻』144号
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2006.3.20 埼玉県所沢市
秦健一郎氏発行 非売品

<目次>
【詩作品】
詩を書くことではない/藤倉一郎 2     二羽のカラスの対話/藤倉一郎 4
残り柿/山浦正嗣 6            虹の行き止まり残っていたものは…/いわたにあきら 8
霧との接点/いわたにあきら 11       ありがとう/近村美智子 14
リフォーム/井上勝子 17
【短歌日記】 穂高夕子 18
【俳句】自選俳句二十句『傘寿の濤』/川端 実 20
《エッセイ》
正岡子規2 再び子規と虚子/川端 実 22  深沢七郎論(14)『風流夢帯』(その3)浜野茂則 34
【受贈御礼】 41
《小説》 雨の京から/中谷 周 42
【童話】 夢有ちゃんと岬ちゃん/穂高夕子 52
《小説》 沈黙の太陽(4)−聡太郎の山荘日記−
.秦健一郎 56
【詩作品】
春を待つ・街/佐藤 尚 66         冬支度/穂高夕子 68
旅立ち/穂高夕子 70
[編集後記]おじぎ草・同人住所録
〈表紙題字〉故 難波淳郎画伯
〈装幀〉佐藤 尚



 詩を書くことではない/藤倉一郎

詩を書くことではない
理想論を述べることではない
徳を説くことではない
旅をすることではない
豪華な食事をすることではない
ましてや
立派な家に住むことではない
華麗な服を着ることではない

健康で溌刺としていることではない
いつも質素で
いつも悩んで
いつも悲しく
いつも病気で
いつも頭痛と腰痛を
こらえながら生きている
それが本当の詩人だ

詩を書こうとしてはならない
ひっそりと蟻のように
生きていればよいのだ

 「詩を書く」ということはどういうことなのか、ときどき私なりに考えるのですけど、この作品にはドキリとさせられました。「本当の詩人」は「詩を書こうとしてはならない」とは逆説ととらえがちですが、何度も読み返すうちにそうではないかもしれないなと思い始めました。「詩を書こうとしては」詩はできない、と言われているように思います。職人が何かモノを作ろうとして意気込むと失敗するというのはよく聞く話で、それと通じているのかもしれません。出てくるものに任せよ、ということでしょうか。
 しかしそれはある領域に達した人が言えることだろうと思います。その領域に行くまでは日々精進、それも大事なことでしょう。「詩を書こうとしてはならない」という領域をめざして書き続ける、そういうことを諭されていると読み取りました。



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