きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.2.22 新幹線富士川鉄橋より




2006.3.27(月)


 午後から課内の小集団活動の発表会があって、引き続いて部に推薦するグループの審査会がありました。私のグループは残念ながら選に漏れましたが、正直なところホッとしています。下手に選ばれてしまうと資料作りが大変なんです。何日も遅くまで資料を作って、何度もリハーサルをやって、ようやく部の発表会を迎えるという始末。部で選ばれて工場で発表なんてことになったら本来の仕事にはまったく手がつけられない状態が一週間以上続いてしまいます。本来の小集団活動とは離れたところで課の名誉、部の面子という話にもなって、なんだかなぁという気持にさせられます。ま、それで業績の成果が出ていることも事実なんで一概に否定ばかりは出来ません。もう少し従業員の負担にならないようにと願うばかりです。



個人誌『気圧配置』20号
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2006.4.5 熊本県熊本市
古賀博文氏発行 500円

<目次>
■詩 滅びの拍動
■20号記念特集
古賀博文初期エッセイ集『南国の夏』
クロイツェル・ソナタ/ワタラセ/樹影/伴侶/母のあしたば/佐賀関/トドワラ/遠野への旅/開聞岳/日向市の夏/祝いめでた/ルドンの進化論/ディック・フォスベリー/
初出誌一覧
■あとがき



 滅びの拍動

滅びゆくものの傍らにたちつくしていると
そこが深い海の底の窪みであることがわかる

滅びゆくものの横にながく座っていると
そこには日常とはべつの時間がゆっくり流れている

病室の窓から戸外へ眼をやれば都市高速を車がゆきかい
宅配員がマンションの呼鈴をおす光景などがあるが
すでに自分はそれらから遠くへだたっている

くぐもった酸素マスク
かよわい波形のオシログラフ

あいての手をにぎりしめ脈拍を数えていると
その拍動が手からこちらの全身へつたわってきて
ぼくの拍動とかぎりなくシンクロしあい

それが滅びゆくものの拍動なのか
こちらの拍動なのか判然としなくなって
自分も昏睡状態のみずぎわをさまよいはじめている

滅びゆくものの瞼にうつっている異郷の光景が
とつぜんぼくの眼前にひらけたりする

ぼくが手を握りしめている滅びゆくものが
なにかの拍子に無意識の混濁から目覚めて
こちらへ無言で微笑みかけていたりすると

いますこし自分の命をけずってでも
この微笑みをながらえさせたいと心底ねがう
そのためなら自分の命などいらないとさえおもう

滅びゆくもののそばにいる時間が長くなればなるほど
死というものがみじかな日常茶飯事となり
ついには滅びゆくものと連れ立って
そのゆくえを見届けねばすまない気持ちになる

そのさいごをみとったあと
自分の身体がすっかり痩せほそり
身体のあちこちにスポンジ状の穴があいていて

そのさいごをみとったあと
故人の拍動や低下した体温や痙攣や断末魔の感触などが
まだ自分の身体の奥に巣食いつづけていることがわかる

止血、縫合、鎮痛、リハビリ、静養……
しかしその補修は一生かかっても不可能なのだと さとる

 創刊20号記念として1981年から1991年までの初期エッセイ13編が載せられていましたが、古賀博文という詩人を知る上の散文としては出色でしょう。なかでも若い音楽家二人を扱った「クロイツェル・ソナタ」は感動的でした。機会のある人にはぜひ読んでもらいたいものだと思います。
 紹介した作品は今号唯一の詩です。「滅びゆくもの」といつしか同化していく「自分」を観察する視点が見事で、最終連の「しかしその補修は一生かかっても不可能なのだと さとる」というフレーズは「滅びゆくもの」と同化した経験のある人には納得できるものだと思います。初期エッセイと言い、この詩作品と言い、古賀博文という詩人を深いところで理解できる号だと云えましょう。



詩誌『馬車』34号
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2006.4.5 千葉市美浜区
久宗睦子氏発行 非売品

<目次>
扉詩 突風に…堀田のぞみ
夜の闇の中で…馬場晴世 4         歌・座標…本多 寿 8
呼応・プロヴァンスの広場で…ついきひろこ 13 鞠を噛む・蝶の顛末… 洋子 16
ふたり・酒宴…田中順三 20         蜻蛉玉・おぼろづきよ…山本みち子 24
洋梨のコンポート…春木節子 28
招待席 けものたちの修羅…新延 拳 30
葡萄…橋本征子 32             農学校は原っぱの中に・穴子…丸山乃里子 36
白い捕縛・幽かに…久宗睦子 40       雪月花・瞑想・居場所・絵葉書…高橋紀子 44
〈評論〉生物文学・7…堀田のぞみ 52    粉雪の日…堀田のぞみ 56
MEETING ROOM 58        後記・同人名簿



 ふたり    田中順三

暮もおしつまった昼下がり
睡魔におそわれ
書きかけの年賀状の中に
すーっと吸い込まれていった

炬燵にうつぶせになっていると
この一年会うこともなかった人たちの
顔が浮んできた その中には
亡くなったはずの人もいくたりか

− 君の宛名を書いてしまった
− 前の住所ではとどかないよ
− いまどこにいるんだい
− そのうちわかるさ

斜光が部屋をかすめて通りすぎると
冷気がしのんできた いまは
いびきをかいて眠っている私と
それを眺めている私しかいない

 「ふたり」とは「君」と「私」か思っていたら、最終連で「いびきをかいて眠っている私と/それを眺めている私」になっていました。「それを眺めている私」は「君」と同じ次元と採っても良いでしょう。「暮もおしつまった」現実の世界も「そのうちわかる」世界も、本当は境界なんか無いのかもしれません。「いびきをかいて眠っている」状態は、ある面では「そのうちわかる」世界と呼んでも差し支えないのかもしれませんね。そんなことを感じさせてくれた作品です。



詩誌パレット倶楽部創刊号
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2006.3.21 埼玉県三郷市
植村秋江氏方・パレット倶楽部発行 非売品

 目次
笠間由紀子…三月・ここにしかないもの…2  重永雅子…一枚の紙に・つもり…6
植村秋江…サン・ルスティック通り……10   植村秋江…夕暮れがあれば…12
藤本敦子…ギャザー・茶碗…14        熊沢加代子…魚眼レンズ・新鮮な五月…18
<エッセイ>
植村秋江………熊沢加代子詩集『子供の情景』に寄せて…22
<スケッチノート>…24



 ここにしか ないもの/笠間由紀子

たとえば
ファンデーションのおまけに
付いてる パフ
それを ちょっと大きくしたくらいの
プラスティック・プレートみたいなもの

それが 6枚入っていて
――さあ おたちあい
水につけること 2〜3秒
あっという間に おもちに変身

一緒にパックされていた
お砂糖入りのきな粉をまぶして
5秒で あべかわの出来あがり

お味はって云うと
これが 普通のあべかわ
売っているのは 国立科学博物館

これって宇宙食なんです
宇宙船内 水は貴重品
だから ちょっとの水で おもちがもどる

なんで 宇宙で あべかわ
食べたいんだろ
そんなもの リクエストした
宇宙飛行士がいて
それに応えて
研究した人たちがいて

青い地球をながめながら
あべかわ 食べる宇宙飛行士

きっと ここにしかない
コタツとか 猫のやわらかなしっぽなんか
しみじみ思っているかもしれない

 女性5人で創刊した詩誌です。巻頭作品の「三月」も綺麗な詩ですが、ここは私の好みの次作を紹介してみました。「なんで 宇宙で あべかわ/食べたいんだろ」というお気持は判りますが、そういう一見無駄な「リクエスト」をして、「それに応えて/研究」してもらいたいと思うものなのです。もちろんその無駄が将来役にたつと思っていますし、最初は遊べる≠フです。これが仮に量産化されると遊び≠ネんて言っていられなくなりますから、今のうちに「青い地球をながめながら/あべかわ 食べる宇宙飛行士」が必要になると思いますね。その結果の科学の進歩≠ヘ別の問題を孕みますのでここではちょっと措きますけど…。
 作者の意図とは違ったかもしれませんが「ここにしか ないもの」をそんな風に読んでみました。『
パレット倶楽部』の今後のご活躍を祈念しています。



文芸誌『扣之帳』11号
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2006.3.21 神奈川県小田原市
石井啓文氏方・扣之帳刊行会発行 500円

●目次● ◇カット 木下泰徳/F・みやもと
小田原の文学発掘(7)「理想主義文学の華」武者小路実篤のこと/岸 達志 2
八王子城と松姫/今川徳子 21
二十三夜月とは/石口健次郎 26
足柄を散策する(2) 文学浪跡を尋ねて/杉山博久 29
カルメン日記/桃山おふく 39
[随想]たった一度の親孝行/木村 博 46
解けない歴史の謎 岡崎信康追悼の松連寺再建/石井啓文 48
俳句雑誌「函根」と佐倉東郊/佐宗欣二 58
相模国二ノ宮と「みややま」/中村静夫 65
茂年さんのことば/岡田花子 70
安叟宗楞(20) 安叟和尚の伝記を読む(6)/青木良一 71
ご挨拶とお願い/和之帳刊行会 76



 今にして思えば、父はなかなか立派な人物で、小さな町工場をやっていたのだが、子供が職人さん達の悪口を云ったり、他家に対しても大人の悪口を云ったりすることは、絶対に許さなかった。友達同士の喧嘩ぐらいなら黙認していたみたいだが――。
 何しろ、大人の悪口を云ったりすると、家へ入れてくれないのであった。ある時、友人達が近所の大人の悪口を云った時(私自身が悪口を云った覚えはなかったのだが)、私も一緒に逃げ回ったりしていた為、夜になって父に叱られ、兄に伴われて、そのお宅にアヤマリ(謝罪)に行かされたことがあった。そしたら、そこの奥様が驚き、却って恐縮して下さったのである。七十年も前のことだが、今だに忘れられない。

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 木村博氏の[随想]「たった一度の親孝行」の中の一文です。ああ、そうだったのか!と思いました。私もわずかに記憶していますが「子供が」「大人の悪口を云/ったりすることは、絶対に許さ」れなかった時代がありました。「七十年も前」ではなく50年ほど前のことですが、私の子供時代までは生きていた風習ですね。それが元になって年配は敬うという癖が多少はできたのかもしれません。さすがに「アヤマリ(謝罪)に行」ったことはありませんでしたが…。
 しかしそう思いながらも最近、反対のことをしてしまいました。近所に身勝手なお年寄がいて、何かにつけオレがオレがという態度でしたので腹立たしく思っていました。ある時、自治会の総会でそのお年寄が「年寄をもっと敬え」という発言をしたので、思わず「敬える年寄と敬えない年寄がいるのだ!」と陰口をたたいてしまいました。木村博氏の随想を読んで、そんなことを思い出してしまいましたが、この50年、70年で何が変ったのか、遺すべきものと捨てるべきものは何なのか、考えてみる必要がありそうです。



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