きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.29 山形県戸沢村より 月山

2006.4.16(日)

 何も予定のなかった日曜日。いただいた本を終日読んで過ごしました。



小網恵子氏詩集『浅い緑、深い緑』
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2006.4.22 東京都東村山市 水仁舎刊 非売品

<目次>

朝  8       月夜  10
傘  12       蛇口  14
若葉の山  16    数珠つなぎ  18

水男  22      草  24
真夜中の井戸  26  もみじ葉公園  28
降る  30      大北風(おおきた)  32
辛夷  34      満開  36
金木犀公園  38

握る、夏  42    夏野菜など  44
垣根の向こう  46  ゆたかなはたのくも  48



 辛夷

市場で肩をたたかれた。同じ師のもとに通う男だ。昨日落とした譜
面を拾ってやったのに礼一つないのか、と言う。その場で言ったは
ずだ、と言うと聞かなかった、大体態度が横柄だと語気を強める。
難癖をつけたがる男だと思ったが、こちらも引っ込みがつかなくな
る。丁々発止、浅瀬で水をかけあうような展開。飛沫でぐっしょり
濡れた。また冷たい息になってしまった。

笛の師に弟子入りして三年になろうというのに、あたたかい息が吹
き込めない。力みすぎている、身体も心も硬いと事あるごとに指摘
される。師のもとへ通わない日には部屋を閉め切ってずっと吹き続
けている。
部屋に戻り、市場で求めた浅い緑の豌豆まめを煮る。深い緑の菜を
茹で上げる。すると草深い場所へと戻って行きたくなる。あの場所
で諭してくれた人はあたたかい息をしていた。その係わりを断ち切
って町に出てきたのだ。

時折、町中にも笛を持って出かけるようになった。ベンチで背中の
丸くなった人の隣りに座る。その人は軽く会釈した後、穏やかな限
で遠くを挑めている。赤ん坊が母親の腕の中で笑い声をたてている
のを見ることもある。そんな時、笛を手に取る。

頭上で辛夷の蕾がふくらんでいる。いま笛を吹けば、くすぐられた
ように花が身を捻って開いていくような気がする。

 軟らかい装幀の詩集で、手に持つとしっとりと馴染んできました。
 詩集タイトルの「
浅い緑、深い緑」という作品はありません。紹介した「辛夷」の「浅い緑の豌豆まめを煮る。深い緑の菜を/茹で上げる」から採ってのではないかと思います。タイトルポエムに固執する気はありませんが、どこかに隠されていて、それを見つけると安心します。
 紹介した作品の最大の喩は「あの場所/で諭してくれた人はあたたかい息をしていた。その係わりを断ち切/って町に出てきたのだ」という詩句にあるのではないかと思っています。「草深い場所」から都市へ。それが小網恵子という詩人に詩を書かせている原点かなと読み取っています。詩人が「笛を吹」くことによってまわりの人たちは「身を捻って開いていく」、そう感じさせた詩集です。



上原季絵氏詩集『乳房は母にあずけて』
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2006.3.20 東京都東村山市 書肆青樹社刊 2200円+税

<目次>
第一章 乳房は母にあずけて
手術 I 10     手術 U 12
天井 14       退院 16
匂袋 18       髪 20
涙袋 22       乳房は母にあずけて 24
生きている 28    旅 30
忘れもの 32     水雲の中 34
笑顔 36       どすん 38
僕の結婚式 42

第二章 ほどく
ほどく 48      洞窟 50
風通し 52      散弾銃 54
うるわしい感性 56  いまは 60
放射冷却 62     感慨 64
生きている限り 66  ピラニア 70
椅子 74       空(くう) 76
友 80        ことば 82
自裁 84

跋文 山本十四尾 88  あとがき  90
表紙 題字・陶芸 著者



 乳房は母にあずけて

術後三年目に初めて健康ランドヘ行った
よちよち歩きの女の子が
おばちゃん おっぱいどうしたの
と覗き込む
母親は慌ててその子の手を引いて離れていく

次のときも
洗い場でも 湯舟でも
チクリチクリと素肌を
柊の葉で刺す視線を受ける
痛すぎるので脱衣所に戻る

頭の先から足の先まで嘗め回すように
目を釘づけにしてくる女に出会う
時間帯を変えても
かならず井守の陰晦さの目線が
私を捉えに来る

同僚にあやされて
安心して入った旅の湯も
皆おどろいて
引き潮のように退いていった

私は左乳房を母にあずけてお風呂に入っている
そう思うようにして
自分に言い聞かせ
そう答えられるようになって
いま 私はゆっくり温泉に身を委ねている

 第一詩集のようです。ご出版おめでとうございます。
 タイトルポエムを紹介してみましたが、女性にとっての乳房とは男には判らない特別な思いがあるようです。私の知人にもやはり癌で乳房を取った人がいます。直接そんな話をしたことはなく、いつもにこやかな女性ですからあまり気にもしていなかったのですが、この作品を拝読して心の傷の深さを知った思いです。
 意外だったのは同じ女性から「陰晦さの目線」があるということです。女性なら女性の苦しみが判るはずという思い込みがありました。差別意識はどこから来るのかを知らせてくれた作品です。「乳房を母にあずけて」いるというところまで精神的に深まった著者に敬服しています。これをバネに佳い詩をこれからも拝読させていただけよう願っています。




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