きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.29 山形県戸沢村より 月山

2006.4.25(火)

 とうとう私の退職も秒読みに入りました。金曜日は休暇を取って退職手続きをしますから、実際に働くのはあと3日です。休憩時間に後輩と話をしていても「あと3日ですね」と声が掛かってきます。思わず「あと3時間でもいいよ!」と返すと苦笑いが戻ってきますけど、実際のところそういう心境です。本当は3月末で辞めたかったけど会社都合で1ヵ月延ばしたんだ、という気持が強いですね。私はやることもあるし借金も無い、リストラと言われて喜んで手を挙げましたけど、泣く泣く辞める人が多いことも知って、会社の仕打ちにだんだん腹が立ってきています。ま、それはいずれ文学で返しますけどね…。
 それはさて置き、嬉しいです(^^; さあ、オレの時間が目の前だゾ!



季刊文芸誌『南方手帖』82号
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2006.4.1 高知県吾川郡いの町
南方荘・坂本稔氏発行 763円+税

<目次>
〔詩〕
久米/岡 隆夫 6
テロの方法教えます/玉井哲夫 8
風−アートヴィレッヂHニテ−/坂本 稔 10
〔随筆〕
倉橋由美子の思い出/甲藤卓雄 2
宮沢賢治への小さな旅な平井廣恵 12
ウィーン遠からじ(14)/高橋 努・悦子 16
ウィーン通信(9)/高橋章子 20
南方荘漫筆(54)/坂本 稔 21
〔短歌〕
夕ぐれの駅/梅原皆子 14
〔読者投稿作品〕
言葉を捏ねる/さかいたもつ 28
〔南方の窓(34)〕陶彫家・町田祐二
◆題字・竹内蒼空/表紙装画・土佐義和



  −アートヴィレッヂHニテ−/坂本 稔

十年
風ハ
此処ヲ吹キ抜ケタ。

十年
主ハ
記念切手ヲ貼リ続ケタ。

風ハ見タ
絵画ヲ壷ヲ人々ヲ
ソシテ無常ヲ。

主ハ見タ
人ノ世ノ空シサト
アートノ魂ノ不滅ノ光ヲ……。

十年
風ハ此処ヲ吹キ抜ケ
猫ハ知ラヌ顔デ今日モ昼寝。


風ハヒソカニ
星タチノ国ニ帰ッテ行クトイウ。

 *アートヴィレッヂHカラノ案内状ハ十年来、イツモ記念切手デアル。

 おそらく「アートヴィレッヂH」とは本誌の連絡所にもなっている高知市のギャラリーではないかと思います。それは作品とは関係のないことかもしれませんが、私は鑑賞の上でそういう事実(だろうと勝手に解釈した)関係を大事にしています。作品を読む視点をブレさせずに、その上で自由な読み方をするという二重の手間を掛けることによって、ようやく作品に迫れるようになると思うからです。それでも乏しい理解力ではどこまで迫れるか疑問なんですが…。
 この作品の主たるテーマは「アートヴィレッヂH」から吹き寄せる「風」ですが、それを芸術そのものと考えても良いのではないでしょうか。芸術という概念を表す言葉としての「風」を感じます。「十年」「記念切手ヲ貼リ続ケ」るのも「アート」の一端かもしれませんね。おだやかな気分に浸った作品です。



会報『南方荘便り』53号
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2006.3.20 高知県吾川郡伊野町
南方荘・坂本稔氏発行 非売品

 文芸誌『南方手帖』の会報のようです。ここ1年の同人・会友の訃報や新同人の紹介が載っていました。訃報では日本詩人クラブの会員でもあった尾崎驍一氏にも触れられていました。お会いしたことは無かったと思いますが76歳という若さでした。今の時代の70代の逝去は早いと言えるでしょう。お三人のご冥福をお祈りいたします。



『横浜詩誌交流会会報』54号
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2006.3.31 横浜市鶴見区
ひらたきよし氏方事務局・横浜詩誌交流会発行 非売品

 目次
<エッセイ> 2
浜田 昌子(よこはま野火)   福井すみ代(青い階段)
志崎  純(掌詩人グループ)  西村 富技(アル)
いわたとしこ(象詩人クラブ)  木村  和(紙碑)
林  文博(じゅ・げ・む)   ひらたきよし(獣)
蔦  恒二(横浜詩人会議)   小林 妙子(地下水)
植木肖太郎(詩のパンフレット) うめだけんさく(伏流水)
大滝修一 遺稿(スパイラル・ライン)
<結社近況> 15
<横浜詩誌交流会事務局> 18



 ラベルヘの思い入れ/小林妙子

 「では3万円からまいります。5万、6万、8万……」。
競売人の声が響く。参加者の持つ番号札が次々と上がり、
価格が競り上がる。「10万円、ございませんか……」。
次の瞬間「ドン」と落札を告げるハンマーが振り下ろさ
れ目がさめた。夢だったのだ。
 寝しなに、『幻の名酒・こだわりの一本はこうして買
う』、のテレビ番組を見ていたせいだと気がついた。
 コラムニスト、俳優、小説家、画家、評論家。日本酒
通で知られているその5人の賢人が、全国の絶品名酒15
選を紹介し、幻となり得る酒はこれ≠ニ、その酒の旨さ
に太鼓判を押して、飲み逃すなといっていた。
 その飲み逃すなの呼びかけが、日本酒好きの私にとっ
て聞きすてならず、はては夢にまで表れたのである。
 そういえば、日本酒に興味を持って、美味しいなどと
口にするようになったのは、いつ頃からであったろう。
 町の酒屋さんや、旅先でふと入った蔵元販売店。そこ
に並んで詩情を漂わせている銘、その多くが墨の潤渇で
妙味をみせ、表ラベルの中に美しく納まっている。見事
と思う。
 たぶん、そうしたラベルヘの思い入れから先ず一本を
買い求め、それが長く今へとつながってきているのでは
なかろうか。
 今でも記憶にとどめている、羽前白梅、凌雲、天青、
伝心、生のどぶ、双虹、独楽蔵、妙、十四代、ひより、
高砂、龍月、八海山、淡緑、春露、男山、鍋島、翡翠の
里、慶。しかし、どうやらそれらは旨い酒と評されるも
ののようで、賢人5人が注目する銘柄にも入っていたの
には驚いた。
 ところで、見通しのいい我が家の<酒瓶置き場>には、
指定席と自由席とがある。個性の強いお酒はすぐに指定
席へ。新しい一本が入ってきたときに、「どうぞ どう
ぞ こちらに」と迎え入れるのが、自由席である。
 自由席はその名のとおりで、いつでも出し入れ自由。
その日の気分で愉しくやっている。願わくば、語り合え
る友人がそこにいてくれたら、何物にも代え難い幸福感
となる。                (地下水)

 エッセイを読む楽しみは、書かれた内容が自分に引き寄せられることにあると思っています。紹介した作品はまさにその通りで、銘柄に思わず見入ってしまいました。しかし、私が呑んだ記憶があるのはたった5本。決して「日本酒通」とは思っていませんが、それにしても少ない。思い入れが強くて、これだ!と決めたらあまり浮気をしないからでしょうか。
 「願わくば、語り合える友人がそこにいてくれたら、何物にも代え難い幸福感となる」は同感です。一人でゆっくり楽しむのも好きですが、気の合った仲間と呑む酒も格別。いつ壊れるか分らないこの平和な時代を今のうちに楽しみたいと思った作品です。



愛敬浩一氏詩集『夏が過ぎるまで』
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2006.4.10 東京都千代田区 砂子屋書房刊 2500円+税

<目次>
朝の水やり 12    連取町 16
吉凶の四つ角 20   古代エジプトの絵のような 22
六月の一番暑い日 26 いつもの羊 28
月曜日の朝 32    旅の空かよ 36
旅その他 40     理髪店にて 44
いつもの四つ角 48  スプーン 50
カンジョウ 54    芝刈り 58
 *
くちびるで 62    夢 64
ドッグ・ウォッチ 66 錨 70
ミルキィウェイ 74  マニラロープ 76
メインマスト 78   詩はいづみちゃん先輩から湧く 82
人買い舟(閑吟集一三一番歌) 86
 *
鹿の声 90      エレクトリカル・パレード 94
遊神の湯(新治村)98  断片 I 102
断片 2 106
.    水道橋のホテルにて 110
三沢 112
.      フィレンツェ 116
ハイウェイ 120
.   出発 124

あとがき 128.    装本・倉本 修



 朝の水やり

紫陽花が
今年も花を咲かせることのないまま
六月が過ぎていく
葉ばかりを茂らせて
いつまでも
葉ばかりを茂らせて
薔薇は放ってあるのに
よく咲く
ミソハギも順調
葡萄の蔓があらぬ方向へ伸びていくが
父が人の心を読むように
「葡萄を植えたんか」と言った時は
返事のしようもなかった
子供の頃の思い出に逆らいようもないではないか
万年青が枯れかけていたが
隣りの木の枝をおとしたら
なんとか元気になった
サボテンの黄色い花は
六月初めの冷たい雨で
ついに蕾のまま枯れた
朝、出かけに水をやりながら
すべて
私の詩のように
思いつくまま
投げ出されているのに
けなげなことだと思ったり
時々
リンデン(ワシントン州)の
昔、ホームステイをしていた家の庭のことまで思い出したりして
あわてて
通勤の車に乗り込む

 詩集の巻頭作品を紹介してみました。朝、出勤前に「水やり」をするというだけの詩ですが、著者の詩に向かう姿勢が表出しているように思います。それは何も「私の詩のように/思いつくまま/投げ出されているのに」というフレーズがあるからというわけではなく、「今年も花を咲かせることのないまま」の「紫陽花」や「放ってあるのに/よく咲く」「薔薇」などへの視線に詩を感じさせるのです。それは何でもないものをあるがままに見る視線と言ったら良いでしょうか、大仰なものは一切なく、かと言って冷(さ)めたものではない、そういう視線です。おそらく「けなげなことだと思ったり」というフレーズや、最後の「あわてて/通勤の車に乗り込む」という行動が読者の共感を呼ぶからでしょうか。ここに愛敬詩の本質があるように思っています。

 詩集タイトルの作品はありません。鮎川信夫の作品「夕陽」の一節、さあ丘をのぼるとしよう/この夏さえすぎれば/また冷たい風が吹いてきて/私の心をいたわってくれるけれど≠ゥら採ったようです。それを採るセンスに裏打ちされた詩集と云えましょう。ご一読をお薦めします。




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