きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.29 山形県戸沢村より 月山

2006.4.26(水)

 私より1ヵ月早く早期退職した仲間が個展を開いているというので、小田原市の「アオキ画廊」に行ってきました。1970年代の初め、小田原地方で私が代表者の『ら・そら』という同人詩誌を発行していましたが、そのときの仲間です。当時の仲間の女性2人を誘って行ってみました。

    060426.JPG    写真は作品を前にした田代勉画伯と、昔の仲間の女性のうちの一人。ずいぶんと画風が変ったなと思います。1985年頃からグループ展に出品するようになって、その頃から鑑賞していますが20年も経てば画風が変るのは当り前かもしれません。
 左側の絵は宮澤賢治をモチーフにした作品ですが、賢治を描かなかった方が良かったでしょうね。タイトルで賢治の世界だと判りますから、あとは鑑賞者に任せれば良いと素人の私などは思います。その旨は本人にも伝えました。「なるほどね」と返ってくるほど素直な人なんです(^^;

 ちなみに女性は横浜詩人会賞の受賞者であり、日本詩人クラブの会員でもあった人です。現在はまったく書いていません。これを機会にまた書くようになるかもしれませんけど、それが本人にとって良いことなのか悪いことなのかは難しいところでしょう。詩なんて必要がなければ書かない方が良いに決まっています(^^;

 6時に画廊を出て、4人で近くの「くらわんか」で呑みました。あまり酒に強くない連中ですのでビールを少々。私も少し控えようと思いましたが呑みだしたら止まらない、結局、岐阜の「三千盛」を呑んで満足しました。二次会は近くの喫茶店でコーヒー…。何て奴らだと思いましたけど、私もコーヒーを付き合いました。お陰で深酒にはなりませんでした。田代画伯にクルマで自宅まで送ってもらって、旧交を暖めて、私の退職の目の前だし、いい夜だったなぁ。




田代 勉氏詩集『朝の扉』
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2006.4.20
神奈川県小田原市
デザインボックス刊
500円
 

  <目次>      画 田代勉
   朝の詩 ・・・・・・・・・・・・ 1
   無人販売 ・・・・・・・・・・・ 3
   眠れ ・・・・・・・・・・・・・ 5
   願い ・・・・・・・・・・・・・ 9
   今――宇宙のほとり ・・・・・・ 13
   未明に翔びたつ遥かな鳥に ・・・ 21
   あとがき ・・・・・・・・・・・ 27



    朝の詩

   一面の
   白つめ草の花の中で
   密かな眠りに恵まれた鳥の
   眼に映る
   風の帯に漂う
   一枚の葉のゆくえは

   遥かなときを経て
   生い茂る記憶の細道で
   梢からこぼれる
   水滴の嵐にくるまれていく

   野原の向こうに野原が続き
   幾つかの峰々に
   音のない歓声が響くとき
   ことばを詰まらせた
   その声はふるえ
   色めき立つ

 会場で田代画伯より頂戴しました。第2詩集になります。6編の詩と、表紙を含めると8枚の絵の写真で構成されています。ご本人に「詩画集ですね?」と問うと「いや、詩集です」と返ってきました。詩に対する思い入れが強いことが判ります。
 詩集タイトルの「朝の扉」という作品はなく、紹介したのは巻頭作品ですが、これが詩集全体を現していると見ることもできるでしょう。「鳥」を通じての朝のすがすがしさと作者の心象が良く出ていると云えましょう。「密かな眠りに恵まれた鳥」「野原の向こうに野原が続き」などのフレーズも秀逸です。しばらく詩作品を拝読していませんでしたが、腕を上げたなというのが正直な感想です。




二人詩紙『青金新聞』2号
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2006.4.15
群馬県高崎市
金井裕美子氏 発行
非売品
 

  <目次>
   「もののけ」をテーマにして 青木幹枝 1
   たましいの怪 金井裕美子 1
   物の怪だちて 青木幹枝 2
   詩 なにも桜ばかりではないのだけれど 金井裕美子 2
   【読者の広場】 3
   「人生相談」コーナー 3
   異界の覘き方 石神かよ子(『烈風圏』8号より転載) 3



    なにも桜ばかりではないのだけれど    金井裕美子

   咲きはじめよりも
   散り際のほうが
   重たいのは
   なにも桜ばかりではないのだけれど
   首すじに落ちたひとひらが
   透ける儚いアザを残すことがある
   あの頃 どんな顔をしてくらしていたか
   思い出すことはできないのに
   いくつになっても 女を忘れるんじゃないよ
   そう言ってくれた人の懐かしい声が
   見上げた桜から聴こえてくる
   深まる春の午後
   いちばんだいじなことはかくしたまま
   ひっそりと咲き満ちて立っている
   花びらの重たさに
   月の陰りの暗さの中に
   はらはらと散らしやまずに

 桜について書かれた作品は多いのですが、これは一味も二味も違います。「咲きはじめよりも/散り際のほうが/重たい」というフレーズには初めて出会いました。予科練の桜も散り際の重さを歌っているわけですが、それとはちょっと意味合いが違います。こちらは「首すじに落ちたひとひらが/透ける儚いアザを残すことがある」、「いくつになっても 女を忘れるんじゃないよ/そう言ってくれた人の懐かしい声が/見上げた桜から聴こえてくる」、そういう「花びらの重たさ」なのです。あるいは「いちばんだいじなことはかくしたまま」の重さと謂っても良いかもしれません。何気なく見過ごしてしまった今年の桜。そういう意識で見れば良かったなと悔やんだ作品です。




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