きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.29 山形県戸沢村より 月山

2006.4.30(日)

 とうとう退職日になりました! バンザイ! 下手をすると土日出勤の可能性もあったのですが、それもなく、これで完全に会社から縁が切れて自由の身です。世間様はその状態を失業と言いますけどね(^^;

 神奈川県伊勢原市を中心に活動している「丹沢大山詩の会」の10周年記念展覧会が4月27日から伊勢原市立中央公民館で開催されています。今日はその最終日で、11時から朗読会があるというので行ってみました。

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 1Fの展示ホールを使った大掛かりなものでした。展示品は写真で見えている量の10倍はあったでしょう。写真は会の重鎮・古郡陽一さんと。
 朗読会も盛大でした。1時間半に渡って20名ほどの会員が朗読しましたけど、飽きませんでした。尺八の演奏があったり、会の正式メンバーの小学生の朗読があったり、自作詩だけでなく峠三吉の詩、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」の朗読など、良く構成されていました。セミプロの詩人たちの朗読はつまらないものが多いので、勉強してもらいたいほどでしたね。
 観客も多かったですよ。地元の人たちも聞きにきていたようで、100名近かったと思います。地域の文化活動のやり方を考えさせられた会でした。

 古郡さんからは会が終ったら呑みに行きましょうと誘われたのですが、4〜5時間待機しなければならないので、これは丁重にお断りしました。場所が北海道や大阪なら待つのでしょうが、地元ですからね、1時間も掛からないで帰宅できます。地元の会に出向くということはそういうことなんだと妙なところで納得してしまいました。そういう気楽さが良いのでしょう。
 帰宅してからはもちろんいただいた本を読んで過ごしました。記念すべき退職日なんですが、伊勢原に行けたことがその記念で、他は何もありません(^^; 淡々と一日を過ごす。私らしくて満足した一日でした。



詩誌『EOS』9号
2006.4.30 札幌市東区
EOS編集室・安英晶氏発行 500円

<目次>
ジェットコースター*安英 晶/2
三人の非非*小杉元一/8
昆虫の書(一三)*橋渉二/12

表紙絵:ルーヴルでみたもの
題字・表紙絵 橋渉二



 昆虫の書(一三)/橋渉二

 脳内蠍

いつのころからか
わたしのからだのなかにさそりが棲んでいるようだ
少年のころはそんなものはいなかったように思う

異性をみる目のつぼみがひらきはじめるときに
萼から枝へ枝から幹へとゆれながら走る情動の電流
目の花は火花 目の火花 咲き 出会いみだれ 咲き
夫のあるおんなとしりながら粉雪というおんなと (白状しろ)
しのびあいからみあい求めあい感電したまま散った(白状しろ)

粉雪という女と散ったあとは油蝉の女と 蝉の女と別れたあとは
鈴虫という女と交わった乗ったのらせたよく鳴かせた(白状しろ)
そのときわたしのからだのなかに動きまわるさそりを感じた
さそりが毒液の射出に充分な時間をかけるように挿しただした

さそりは寒がり屋で人間の肉体のあたたかいところを好む
わたしの胃袋のなか心臓のあたりを隠れ家にしているようだ
さそりは身軽で垂直な壁をよじのぼるのが得意な登攀家だ
わたしの頭脳の山の頂上までひといきにのぼって征服してしまった
司令塔である山は陥落した 脳内はさそりの植民地と化した

あの粉雪というおんなとの姦淫いらい (白状しろ)
脳内さそりに洗脳されてわたしは悔いあらためることもしていない
絶倫であることをいいことに悦楽の夜の相手をもてあそんだ
精液とともに放出される脳内ドーパミンそれから脳内火災
さそりは欲情を表し倒錯を表し自惚れをあらわにする火つけ役か

さそりはずうずうしい居候か 疫病神か
さそりはやわらかくて小さい虫の新鮮な肉しか食べない
ありじごく かめむし かまきり くも ばったなど
それらの虫がわたしのからだのなかに寄生していたのだ
わたしのけがれた人生がさそりにすみかをゆるしていたように

さそりはおてんとう様は嫌いなので暗いところを好む
さそりはほんとうは臆病もので夜に徘徊するが
毒ぐもとおなじようにひどい近眼だから手さぐりで歩く
わたしの頭痛や胸の痛みの原因はその歩行の性かもしれない
わたしのからだそのものがさそりの飼い籠なのだろう
飼い籠の内部は荒らされおかしくなっているのかもしれない
おだやかな事態ではないと思い人間ドックヘ行ってきた
CT検査をしてもらったのだがとくに異常はないという
すばしっこいさそりは撮影装置には写らないのだろうか
いやいったい誰が体内にさそりがいることを信じるだろう

ふだんは節食家のさそりも春の発情期には貪食になる
わたしのからだのなかの風味のよい虫を漁り夜の相手をさがす
雄のさそりが雌の手をとって散歩するわたしという籠のなかで
尻はふるえ尾のゆれうごくあいびきがあり別れもあり求婚もある

それから ひと目をしのぶ婚礼のあとに共食いがはじまる
食われるのは役目を果たした雄と定まっていた
花婿はすっかり食べられあとかたもない
花嫁はわたしのおめでたい脳内で
懐妊するだろう

 「(白状しろ)」に思わずわが身を振り返ってしまいましたが、おもしろい詩です。思春期の自分を思い出すと「萼から枝へ枝から幹へとゆれながら走る情動の電流」というフレーズは良く判ります。まさに急に訪れた「電流」でしたね。それからは「粉雪」「油蝉の女」「鈴虫」…。何か自分のことを言われているようで怖いです(^^;
 それにしても「脳内蠍」とは上手く謂ったなと思います。やっぱり蠍だったのでしょう、今はどこかへ行っちゃいましたが。文句なしに楽しめた作品です。



詩誌『環』120号
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2006.4.30 名古屋市守山区
若山紀子氏方・「環」の会発行 500円

<目次>
菱田ゑつ子/解く
森美智子/しりとり
若山紀子/洩れつづけているもの
東山かつこ/首の長い人
安井さとし/水中花
加藤栄子/終わらない物語の宿題を
高梨由利江/王様の耳はロバの耳
神谷鮎美/個人メドレー
さとうますみ/小町の鏡
<かふぇてらす>
菱田ゑつ子 森美智子 加藤栄子 神谷鮎美 若山紀子
<あとがき>若山紀子
表紙絵 上杉孝行



 しりとり/森 美智子

新幹線のプラットホーム
――しりとりしようか
と私 四歳児はちょっと考えてから
   じゃあ かみさまのつくった
   ものいって
くりくりした瞳が下から見上げる
こんな事 考えたことなかった
   あのね でんしゃやびるは
   にんげんがつくったの
   そうじゃないもの
   おそらとかくうきとか

到着した列車が何本も
息切れした日常を引きちぎり
矢のように通過してゆく

四歳児を送り届けた帰路は
車窓を流れる風景に
これを造ったのは?などと考え
柄にもなく 生かされている意味など思い
熱い缶珈琲からの暖かさに
少しほっとして

“ん”で終らないよう
ひとりしりとりをしてみる

 この「四歳児」は凄いですね。確かに「こんな事 考えたことなかった」です。子供は時々突拍子も無いことを言って大人を驚かせますが、この子はちゃんとと理屈で考えています。将来が楽しみです。
 その驚きが作品のきっかけになっていますけど、それに振り回されないできちんと詩にしているのは見事です。大人はその驚きから「生かされている意味」まで深めないといけないのだなと、表面の驚きで終ってしまう私も反省しました。佳い詩です。




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