きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.5.6 群馬県榛東村にて |
2006.5.6(土)
群馬県榛東村・現代詩資料館「榛名まほろば」で開催された第17回まほろばポエトリーステージ・野村喜和夫講演会に行ってきました。演題は「『詩の現在』から」。野村さんは以前、日本詩人クラブでも講演したことがあったのですが、私はそのとき欠席していましたから、今回初めて拝聴したことになります。
副題に「私とは 詩の身体が 幾重にもよぎってゆく」と付けられた講演は、結構難しかったです。詩は3編朗読しましたけど、最初の「スペクタクルそして眩暈」のエピグラフが効果的でした。ルネ・シャールの「こわくはない。めまいがするだけだ」というもので、レジスタンスの1兵士として敵と対峙したときのものだそうです。ここから眩暈の意味が判って作品の理解が進みました。朗読は落ち着いた声で、上手かったですよ。
写真は資料館の玄関にて。左から2人目が野村さん。講演会が終ったあとは懇親会になりました。野村さんが「講演のあとの懇親会が楽しみなんだ。ぜひ大勢残ってほしい」と呼びかけたせいか、いつもより多めの20名ほどで呑みました。本日はウィスキー水割りのみ。心地よい酔いでした。
○一人誌『粋青』45号 |
2006.5
大阪府岸和田市 粋青舎・後山光行氏 発行 非売品 |
<目次>
詩 ○――――――――宝石畑(9)
○―――――――木の覚悟(10)
○――――繰り返す季節に(12)
○――詩人が魔法を忘れて(14)
○――――漂流する朝・2(18)
スケッチ (8)(17)
創作 ★ さくらいろのトンネル(4)
エッセイ●絵筆の洗い水【21】 (16)
●舞台になった石見【35】(20)
あとがき
表紙絵:ベトナム ハノイにて 2005年12月
宝石畑
寒い日の朝はやく
霜が溶けはじめて
ちいさな水玉を
落ち葉の上にふくらませている
遠くから太陽が
光を投げかけて
落ち葉のうえが
宝石畑のように輝いている
ああ
落ち葉は枯れ落ちてまで
すばらしい舞台をつくっている
いつも見慣れた風景だけれど
この一瞬に通りかかったことを
うれしく思うと
今日一日が楽しくなる
「いつも見慣れた風景だけれど」眼の付け処が佳いですね。「落ち葉は枯れ落ちてまで/すばらしい舞台をつくっている」とまではなかなか観察できるものではないと思います。それを「宝石畑」と表現したところが詩人の詩人たる由縁でしょうか。そうやって「今日一日が楽しくなる」日々を過ごしていきたいものです。
○平野 敏氏詩集『水針点景』 |
2006.5.5 埼玉県入間市 私家版 非売品 |
<目次>
老針白 1 愛 惜 3
泥衆家族 9 精神祭り 15
水針点景 19 雨冠私情 23
幽雅な言偏 27 朝の麻垂れ 31
下心発心 35 音楽空想曲 39
空のたびとも 41 春の泥酔 45
夜の炎症 49 老神疾走 51
火炎の一時 53 私 炎 57
秋の終りに 63 いるま野秋韻 69
秋 桜 71 立冬大菊 73
冬仮面 75 終 章 77
あとがき 79
表級カバー 大般若経巻三四三(長屋王願経)写経部分
水針点景
人に飲ませる水
人にも安らぎを与える液体(みず)
なおさらに尊い血液(みず)を
この詩のことばから沸きて流れて
か細くとも潤いの湿原の走りを
この国の恵みにつながるためにも
そんなことばが届くように
ひとり針先の動くまま
発熱の腰痛こらえ
いまここでしか存在しない癒しの闇に
光源を求め
息も吹き塗す針穴あけて
血液(みず)が下垂るなか
人が飲む
私が吐く
瑞瑞しい衝撃の真水吹き上げる
毛針を垂らして擦(くすぐ)った水
人に飲ませてから死にたい
この詩のことばが仕合せ呼ぶなら
釣り上がった魚のうれし涙も飲ませて
私は魚拓になって最期は喜ぶ
世の毒針を呪い
いまここでしか起りえない融合の一夜を
媾曳(あいびき)の釣果として
沈黙の神神しいことばに結ばれる
針留めされた標本にでもなったら
水を湛えた人の心で
永遠に生きる魚になっていく
私が汲んだ浄い水
針時雨(しぐれ)のつらい液体(みず)が降った頃は
悪い血液(みず)は胎外にと
氷針に刺されて夢から覚めていった
浄い水は疲労回復にはよい
未来に向けて驚きの樹を植えたら
清らかな樹液(みず)を渡って
空に伸びるのがよい
避雷針のように冽い姿に戻って
私も産土(うぶすな)を育てながら
未知のことばを待つ
詩集のタイトルポエムを紹介してみましたが、質の高い詩句が心地よく響いてきました。「液体」「血液」「樹液」をそれぞれ「みず」と読ませる工夫も的を射ていると思います。水と針とは本来、かなり縁遠い言葉ではないかと思っていましたが「血液」や「毛針」との関係を指摘されると納得します。最終連の「避雷針のように冽い姿」も思考の盲点を突かれたような感じを受けました。硬質な中にも視点の柔軟さがある作品であり詩集だと思いました。
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