きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.5.6 群馬県榛東村にて |
2006.5.16(火)
終日、いただいた本を読んで過ごしました。今週は何も予定がありません。たまっている本を一気に読んで、1週間遅れの紹介を縮められそうで嬉しいです。その日いただいた本はその日に紹介する、そんな夢のような状態が目の前です!
○季刊詩誌『裸人』26号 |
2006.5.1
千葉県香取市 五喜田正巳氏方・裸人の会 発行 500円 |
<目次>
■詩 ひなまつり ―― 天彦 五男 3
はなあかり ―― 禿 慶子 6
コメディアン ―― 長谷川 忍 8
■エッセイ 冬のウィーン ―― 大石 規子 12
■詩 小さい駅 ― くろこようこ 16
元旦の朝 ― くろこようこ 18
わたしの歌 ―― 水崎野里子 20
幸福の木 ―― 水崎野里子 22
■エッセイ『あなたと夜』を読んで ― くろこようこ 25
■詩 月桂樹の葉 ―― 大石 規子 28
書道展にて ―― 五喜田正巳 30
ある雪の日に ―― 五喜田正巳 32
■雑 記
受贈書、後記 35
表紙絵・森 五貴雄
はなあかり/禿 慶子
気が付くと白い鳥が梢を埋め
頭を天に突き出して
翼を休めている
不意に示された約束事のように
早い春をみごもった蕾たち
夜のうちにはなびらはゆるんで
鳥が飛び立つ準備のように
翼をゆすっている
門燈を消し 街燈を消し
鮮やかな花たちの
明るさを確かめてみたい
夜が明るくなってから
触覚も嗅覚も鈍くなった
ひとのからだのなかへ
理屈だけで踏み込んでくる
闇に溶けたやさしさや
怖さを嗅ぎ分けられない
歴史を背負った建物や橋や
ようやく開きはじめた桜にさえ
痛ましくライトアップして
おぼろに照らす春の
はなあかりをぷっつりと消して
一瞬、「はなあかり」とは何かなと思いましたが、花自身が持っている明かりのことなんですね。そんなことさえ忘れてしまっている自分に驚きました。「建物や橋や」「桜」さえ「ライトアップ」されるのが当然と思っている自分に気付かされました。知らないうちに「触覚も嗅覚も鈍くなっ」ていたようです。本当に「門燈を消し 街燈を消し/鮮やかな花たちの/明るさを確かめてみたい」ものですね。忘れてしまった感覚を呼び覚まされた作品です。
○詩誌『インディゴ』35号 |
2006.4.30
高知県高知市 文月奈津氏方・インディゴ同人発行 476円+税 |
<目次>
●萱野笛子 自句自解/笛子の道中旅姿(8) 2
●木野ふみ サイ/椅子/赤い花 9
●文月奈津 決意/リズム/リハビリ/水くき 16
●あとがき 23
椅子/木野ふみ
木々の空間に
まっさらな石の椅子
どうぞお掛けなさいと
誘ってくれる
でも
座れない
右と左でペンギンが
一生懸命羽を伸ばして
ふたり掛けの座を支えている
ドングリより丸い眼が
きょとんとしている
つるつるに磨かれて
鬼灯みたいになった頭に
小毯の木洩れ陽が降る
ただそれだけのことなのに
椅子に
座れない
どっこいしょと
腰を下ろした母は
幼児(おさなご)のかたちになって
石のペンギンに凭れ
私をまっすぐ見て
眼だけで
弱虫と言った
「石のペンギン」に支えられた「ふたり掛け」の「石の椅子」なんでしょう。「一生懸命羽を伸ばして/ふたり掛けの座を支えている」ので、申し訳ない気持になって「座れない」のだと思います。しかし「母」は「どっこいしょと/腰を下ろし」て座ってします。さらに「眼だけで/弱虫と言」われてしまう。可笑しくはあるのですが座れない作中人物の心理も判って、フッとため息が出そうな感じを受けました。日常の些細な感覚をうまく表現した佳品だと思います。
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