きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.5.6 | |||
群馬県榛東村にて | |||
2006.5.26(金)
午後から隣町の文化会館に行って来ました。職業安定所の雇用保険の説明会です。私にとって失業というのは生れて初めての経験ですから戸惑うことが多いのですが、この文化会館での説明会というのにも驚かされましたね。500人ぐらい集まっていたでしょうか、すごい失業者の数だと思いました。しかも私のように定年や早期定年で辞めたと思われる人は半分もおらず、若い女性が多かったです。若い女性は結婚、出産で失業する機会があるので当然かもしれませんけど、それにしても多かったなあ。そういえば彼女たちは失業慣れしているのか、役人の説明の合間に連れ立ってトイレに行ったりして、なかなか堂々としていました。
役人の説明にはかなりカチンと来たところもありました。必要ない仕事を増やして、必要ない人員と経費を増やしているというのが印象です。今は失業保険金をもらう身なので詳しくは書きませんが、給付が完了したら書いておかなければならないことが多々ありました。これは職安で働いている人への批判ではなく、制度への批判です。うーん、書くことは山ほどあるなぁ(^^;
○会報『かわさき詩人会議通信』39号 |
2006.6.1 非売品 |
<目次>
「サラリーマン川柳」をヒントにあなたも諷刺詩を作りませんか/河津みのる
ミスリル(架空の金属)/寺尾知紗
江ノ島 枕木一平
橘の記(二)/さわ こよし
ひきこもり/山口洋子
真珠のように/岩田幸枝
一、君去りぬ 二、時事片々/斉藤 薫
花の章 春/さがの真紀
早朝さんぽ/小杉知也
真珠のように/岩田幸枝
「真珠はそのままでは真珠という実を結ばな
い……」 短かい真珠の詩に句を添えられ
「痛み経て真珠となりし月の春」と
折り込まれた心が私のところへ届いた
生まれと育ちは違っていても
老いて巡り合えた友人は
乙女のような九二歳の大先輩
歩きながらお喋りしていると
何時の間にか目的地に着いてしまう
毎日のように逢いたいのに
器用に出合える時間が作れない
「外部からの異物で貝の膜に傷がつく
自らの傷を癒す業が輝く真珠となる」と
友人と私は それぞれの地で
悲しい想ひの青春を生きた
この国が他国を攻め この国が
他国の民族を罵り 酷く殺戮した歴史
無知の知もしらず
すべてに命をかけた青春だった
今近くの公園の年毎に育つ桜
幼ない日の回想を花の中に眺める
桜のように潔(いさぎよ)く命を散らす美を強いられ
いくさを正義と生きた青春を悔いている
巡り合えた かけがいのない友と
霧が丘公園の緑の下で このあと
真珠のように生きたいと思う
真珠の傷と、作者自身が「悲しい想ひの青春を生き」、「桜のように潔く命を散らす美を強いられ/いくさを正義と生きた青春を悔」やまなければならかった傷とを対比させた見事な作品だと思います。真珠について詳しくはありませんが、傷が深ければ深いほど「輝く真珠となる」のかなと想像しています。「乙女のような九二歳の大先輩」ともども、いつまでもお元気で「真珠のように生き」ていただきたいと願った作品です。
○詩誌『杭』46号 |
2006.5.20 さいたま市大宮区 廣瀧 光氏代表・杭詩文会 発行 500円 |
<目次>
■ 詩 ■
兎の顔 山丘 桂子 2
卒業 郡司 乃梨 4
《是非》《そうなの》 棚橋 民子 7
えんぴつ 尾崎 花苑 10
キャッチボール 大畑 善夫 12
「わたしは老人」 池上眞由美 14
仕切り直し 石川 和技 16
ボランティア 比企 渉 18
人生舞台 大谷 佳子 21
つい さっき 白瀬のぶお 24
肺癌検査 長谷川清一郎 26
奪う 二瓶 徹 28
足って 巴 希多 38
眼 齋藤 充江 41
池 へルギーアルデンヌの館で 平野 成信 44
無何有 瀬下 正夫 47
目眩 廣瀧 光 50
ある日。 伊早坂 一 54
■エッセイ■
「戦時中の若き文学者たち」 河田 宏 30
ゴミの減量こそ機種選定の決め手 平松 伴子 33
〈たより〉 槇 晧志 53
一難去らずに また一難 笠井 光子 56
想う(バランス) 遠藤 富子 59
源氏物語考 三浦 由喜 54
■書 評■
巴さんの詩集『空』について 平野 成信 62
巴希多詩集『空』<くう>を読んで 山丘 桂子 63
題字・槇 晧志
えんぴつ/尾崎花苑
ちびて 箱の中で
カタカタ
先丸の十二色
いちばん短くなったのは
空の色
溜まった削りかす
反って翼の形をした 木屑
画卓の点描画は
迎への風を待っている
今は その十秒前かも知れない
開け放たれた窓
降り注ぐ光の投網に吸い込まれ
飛んでいる
画卓は
木屑の匂いだけ
「先丸の十二色」の色鉛筆で「いちばん短くなったのは/空の色」というのですから、どういう絵か多くて、作者はそこにどんな気持を込めていたのかが判りますね。それは「迎への風を待ってい」て、「今は その十秒前かも知れない」という空の色なのですが、そこに後ろ向きな気持はありません。「降り注ぐ光の投網に吸い込まれ」るような、むしろ前向きなものと捉えて良いでしょう。「迎への風」に誘われた「画卓の点描画」はもうすでに無く、残っているのは「木屑の匂いだけ」という最終連は見事です。そして鉛筆を見ている視覚、鉛筆を触っている触角、「迎への風」の聴覚、さらに「木屑の匂い」の臭覚と、これだけの短詩の中に人間の感覚がギュッと詰まった稀有な作品だと思いました。
○『埋田昇二詩集』 |
新・日本現代詩文庫37 2006.5.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税 |
<目次>
詩集『魚のいない海』より
花について 1・10 花について 2・10
鳥について・11 鶴はおりたち・12
生まれることのなかった子への悲歌・12 執念のGothic・14
光と闇の証し・15
詩集『花の形態』より
葱・18 梅・19
桜・19 残菊・20
罌粟・21 百合・22
扶桑花・23 藤・24
ちゅうりっぷ・25 月見草・25
ぶどう・26 花火・26
輪投げ・27 火渡り・27
逝く人を呼ぶ・28 仏陀のなみだ・29
詩集『富嶽百景』(全編)
ぼくらは自由であるように・31 時の使いの虎が・32
どこに立っているのか・33 この風道・34
稜線から降りて・34 巨きな石が・35
霊になにか力があるとすれば・36 富士五合目に咲く花は・37
どこか 時の流れの・38 栂の原生林を抜けて・38
天と地の境は・40 わたしは自由・40
みどりいろの・41 少し色あせた・42
雪はやさしいから・43 剣ケ峯から・44
闇より深い・45 盆栽の庭石にしようと・46
非情の雨が・46 ふいに 氷穴の岩天井から・47
地表に現われなかった天水は・48 洞の内部は・49
溶けた木のかたち・50 釣糸をたれると・50
あかふじさんは・51 天の どこからか・54
はげしい波がおさまって・54
詩集『水割りの処方箋』より
たとえ紙であっても・55 水割りの処方箋・56
花椿の・56 壁に染みが・57
吊橋・57 ことばの村に・58
蓑虫・58 潮汐表の上で・59
春の文法・60 みちしるべのないうなはらに・61
あかうみがめの海・62 藤椅子が揺れている・64
青梅・65 夏の桜・66
処刑場にて・66 紐のような・67
まだ息のある・67 とぼけていても・68
なみだがでるのは・69 言葉・70
詩集『風切り羽』より
風切り羽・72 いのちの絵模様のちがいは・73
みみのなかで蝉は・74 白木蓮・75
藤・76 いっぽんの欅の木が・76
季節・77 花の名・78
ほとんど皮だけになって・79 木のなかから・80
からだから血がながれだす・81 茶の木異聞・82
渋さの効能・83 暗黒星雲・85
岬の女・86 ヒロシマ・87
莫高窟三二八窟−西壁龕・89 莫高窟一五八窟−佛涅槃像 西壁・91
月牙泉・94
詩集『座敷童子』(全編)
玄関・96 座敷・96
畳・96 寝室・97
障子・97 台所・97
裏木戸・98 階段・98
屋根裏・99 濡れ縁・99
廊下・99 天井・100
大黒柱・100 土蔵・101
仏壇・101 雨戸・102
窓・103 御膳・103
詩集『樹海彷徨』より
擬態・104 水鏡・105
きのうの風が・107 鞍馬寺縁起行・108
忍ぶれど・111 愛染明王・112
黄泉比良坂・113 樹海彷徨・114
漓江の水・121 賭るということは・122
セコイア・123 ラスベガス・125
ネバダ・127 フラ・アンジェリコ・129
詩集『西行さんのようには』より
西行さんのようには・132 萩・133
椿と朝顔・134 空の花・135
末期の花・136 ひかりのつぶ・138
キリンの首・140 Sentimental Voyage・141
劣化・142 痛みの正体・143
手術・144
エッセイ・小論
不幸であることはスキャンダルなことか・148 歌と詩と言葉と・150
前衛的なものと大衆的なものとの共存・154
「詩」の発想について・159
現代美術からの触発・162 詩のリアルな表出ということ・164
アメリカグローバリズム・166 言葉による進化がもたらすもの・167
解説
溝口 章 「自由」亦は「魂の声」とは何か――その詩的探求の位相について・170
中村不二夫 詩人の社会性と芸術性・175
年譜・181
ちゅうりっぷ
怖い花ですね
空が昏くなると
なんにもないことを知りながら
なんにもない内奥をすこしずつ開いてみせるのです
花びらがいちまいずつむしりとられるたびに
子どもたちの心に砂利がつめこまれていくのです
二年生になると
もう だれもあなたを描こうとする子はいなくなります
もう だれもあなたを描こうとする子はいなくなります
あなたのそのぶあつい赤い花びらは
子どもたちの夢を殺してながした血のいろなのですね
私の実家が今でも静岡県にあり私自身が静岡県御殿場市にある高校の出身のせいか、埋田昇二という詩人の名はずいぶん昔から知っていました。しかし作品は『青い花』や『詩と創造』で見たぐらいで、まとまった形では今回初めて拝見したことになります。ちょっと詩とは離れますけど、年譜を見ていて1972年9月にベトナム戦争に出撃する米第三海兵隊を沼津・今沢海岸にて上陸阻止する闘争に参加、とあり驚きました。私もこのデモには行っていたのです。沼津に米軍基地があるということは当時でもあまり知られてなく、補給基地のような小さな施設でしたので今でもあるかどうかは判りませんが、意外なところで意外な人と出会っていたのだという歴史の不思議さを感じた次第です。
紹介した詩は1979年11月に刊行された第二詩集『花の形態』の中の作品です。誰にでも愛され歌にも歌われる「ちゅうりっぷ」に対する面白い見方の作品だと思います。「なんにもない内奥をすこしずつ開いてみせ」、「子どもたちの夢を殺してながした血のいろ」を持つチューリップの「怖」さはなかなか描けないものだと云えましょう。子供はそれを知っていて「二年生になると/もう だれもあなたを描こうとする子はいなくな」るのかもしれませんね。埋田昇二詩の代表的な作品とは思いませんが、埋田詩を鑑賞する上で鍵になる作品だと思います。
(5月の部屋へ戻る)