きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて



2006.6.12(月)

 市内にあるリクルートの支所に行って来ました。雇用保険を受けるにあたっては就職活動をしていることが前提になります。退職した前の会社が全額費用負担をするというので登録してありました。ここで説明を聞くと、それだけで就職活動を1回やったことになるという変な制度です。ま、何事も社会勉強と思って行っていまして、これで2回目になりますが意外と面白いです。担当者の履歴を聞いたり、職安への対応の仕方を教わったりして規定の1時間が過ぎます。担当者の話も誠実で面白く、私の考え方もよく聞いてくれるのであっという間に時間は過ぎてしまいます。月に1回の面接を、あと9回やると離れてしまうことが判っている関係ですが、それまでに得るものはきっと多いだろうと思います。



詩誌ONL85号
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2006.5.30 高知県四万十市
山本衞氏発行 350円

<目次>
現代詩作品
浜田  啓 てんてこまい  1  文月 奈津 無題      2
大森ちさと 歳月の花    4  宮崎真理子 生きる     5
山本 歳巳 バックグラウンド6  北代 佳子 恋       9
柳原 省三 発芽      10  土志田英介 ラッコの声   12
横山 厚美 ウインク    15  岩合  秋 初夏の風    16
名本 英樹 沈黙の淵    19  水口 里子 武器なき斗い  20
丸山 全友 体裁      22  土居 廣之 格言      23
山本  衞 健康診断/他  24  河内 良澄 かうたらええ  27
西森  茂 桜とゼロ戦の勇士28  大山 喬二 橡の木の森へ/他31
俳句作品
吉川香乃葉 コントラバス  35  瀬戸谷はるか 幡多訛    36
随想作品
葦  流介 幸徳秋水と漢詩437  小松二三子 当たり年の花  38
徳廣 早苗 父の眼差し   39  芝野 晴男 ナシゴレン   40
後書き           42  執筆者名簿         43
表紙 田辺陶豊≪ふるさとの湊≫



 てんてこまい/浜田 啓

ぼくの職場は町役場
市町村合併でてんてこまい

システム導入で研修会
情報管理で研修会
研修会のための研修会

ぼくたちは毎日、てんてこまい
何のために、てんてこまい

仕事を忘れて、てんてこまい

 アハハと思わず笑って、あとは面白うてやがて悲しき≠ナす。そうなんです、「何のために、てんてこまい」しているのかと考えてしまいますね。私の在職中も一番「てんてこまい」な思いをしたのは会議の資料作りでした。本来の私企業のやるべき儲け≠ニは関係薄い資料を、どうやって見映え良く会議の出席者にアピールできるかを「てんてこまい」になって作っていたものです。
 第2連が現実をよく現していると思います。最終連も見事ですね。短詩ですが巻頭を飾るだけのことはある作品だと思いました。



隔月刊詩誌『鰐組』216号
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2006.6.1 茨城県龍ヶ崎市 仲山清氏編集
ワニ・プロダクション発行 非売品

<目次>
連載エッセイ 村嶋正治 短歌的抒情批判の行方 22
連載時評 愛敬浩一 日常的な深さについて 11
    ‡
根本 明 二〇〇六年三月、海降る千葉マリン 2
福原恒雄 耳 4
白井恵子 風猛る 6
山佐木進 泪橋 8
平田好輝 見放される 12
難波保明 雨 10
小林尹夫 棲息24 13
佐藤真里子 四月の朝に 18
仲山 清 百年かかって羽化 20
山中従子、死体をさげて 一〇〇 17
尾形ゆきお 父の笛 14
執筆者住所録/原稿募集 24



 耳/福原恒雄

全身に
舞い散る葉っぱをくっつけて
きせつに追いつくように歩いてきたひとよ
いま 景を離れてかぼそく散っていく
花びらを
吸い取るように肉体にまぶしているのは

そのきせつの封印ですか軋轢の擬装ですか
ではこの彩色のひとつひとつの花はなんですか

名をつけられないのです
みんなきせつに涸れたことばなんです
纏っているように見えますか だったら
酔っ払いの気ままな嗜好というまえに
着こなしがいいとでも世辞をください

身を疎め すべなく
すぐに口を噤むひとの
骨が屈折するたびに ぽちぽちっと
花びらが跳ねる
とぼけた抑揚
風を滑って

そういうきせつの繰り返しだったのか
早合点が
止して!
責めると
花びらに蔽われたひとは
ぬぐえない冷気を掘り進むように
真っ直ぐな通りの雑踏にまぎれ

忍ぶように聞こえてくるのは
問いのこだまが痛いおれじしんの耳だ

 この作品は各連が誰の言葉なのか、誰が誰について語っているのかをまず見極める必要があると思います。登場人物は「花びらに蔽われたひと」(「ひと」と略)と「おれ」。第1連は「おれ」が「ひと」を見ている場面。第2連は「おれ」が「ひと」に質問しているところ。第3連は「ひと」の回答。第4連、第5連は「おれ」が「ひと」を見ている場面。最終連は取り残された「おれ」の一人場面。そんな風に読んで、まず間違いないと思います。
 その上で「ひと」とは何の喩かを考えてみました。私は詩≠竍時代≠ナはないかと思います。「きせつ」を時代≠ニ置き換えても良いかもしれませんね。この時代をどう生きてきたのか、その「問いのこだまが」「おれじしんの耳」に「痛い」のだと読み取りました。詩≠ノついても同じような読みができると思います。別の読み方も可能です。作者の仕事はここまで。あとは読者の仕事だと感じました。




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