きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて |
2006.6.17(土)
第13回「風忌」――土橋治重さんを語る会――が神楽坂エミールで開かれました。私は毎回出席していたわけではなく、3〜4回だと思うのですが、今回は13回忌で最後とのこと、これは出席せるばなるまいと駆けつけました。皆さん同じ思いなのか、今回は70名を越える出席者で、大盛会でした。有名どころでは作家の伊藤桂一さんもお見えになり、土曜美術社出版販売の高木専務とは長くお話できました。名簿では詩学社の寺西さんのお名前もあったのでご挨拶しておこうと思ったのですが、結局会えず仕舞い、欠席だったのかもしれません。でも嵯峨さんとは初めてお会いでき、山田隆昭さんとは先日お会いしたばっかりだったのですがゆっくり話す機会がなく、今日はまとまった時間を取って話すことができました。
写真は懇親会にて。「美女4人、と書け!」と言われたような気がするので、そう書いておきます(^^; もう1枚、女性詩人と私との2ショットがあって、それも載せろ!と不規則発言がありましたけど、載せません。自分のカメラで自分たちを撮るという格好でしたから、ちょっとアブナイ、、、。
それにしても土橋さんが亡くなって、もう13年も経つのですね。土橋さんと私の関係はと言えば、20年ほど前に電話で一度話したことがあるだけ。土橋さんが主宰していた雑誌『風』の集まりにどういう訳か誘われたことがあり、出席の返事を出しました。しかし直前になって都合が悪くなり欠席の電話を入れたのです。「そうですか、残念ですね」という声が今でも耳に残っています。その土橋さんも旅立って13年。月日の流れは速いものだとつくづく思います。改めて土橋さんのご冥福をお祈りいたします。
○記念誌『土橋治重を語る』 |
2006.6.17
東京都中野区 菊田守氏方 「土橋治重を語る」刊行委員会発行 1000円 |
<目次>
刊行のことば 1
短い父の想い出 黒井和男 12
土橋さんの元気な生き方 伊藤桂一 14
私が出会った土橋治重さん 新川和江 16
埼玉の土橋治重−甲州と武州を結ぶ絹の道を越えた詩人− 秋谷 豊 18
幻の師 秋元 炯 21
新聞記者と詩人 飯島正治 23
土橋治重の望郷について 石原 武 26
「土橋治重を語る」 磯貝景美江 28
土橋治重の人と作品 大井康暢 31
思い出一つ、二つ 笠井忠文 33
土橋治重さんの思ひ出 筧 槇二 35
偉大な根性の人を讃えて 笠原三津子 37
寂しさの中でよく見える目 柏木義雄 39
詩の絆 土橋治重哀悼 風木雲太郎 42
土橋治重・その奔放な擬人法 狩野敏也 43
本気ということ――土橋治重との対話 菊田 守 46
異色の詩人を語る 木津川昭夫 48
私の心を独占した二篇の詩 坂口優子 51
おかしみと悲しみ――土橋さんの詩の特質について 佐久間隆史 53
土橋さんと「風」の思い出 嵯峨恵子 56
帯をしごく 篠崎道子 58
私にとっての土橋流 鈴切幸子 60
土橋さんの詩「サンフランシスコ日本人町」について 鈴木 俊 62
もろもろ思い出すこと 高木秋尾 64
土橋さんの詩は 高木 護 67
詩の種を蒔く人 鷹取美保子 69
「風」の会の思い出 高田太郎 70
「土橋治重の〈信玄峠〉」を辿る 中村吾郎 73
最後の詩壇人土橋治重 中村不二夫 75
ひとときの思い出 西岡光秋 78
回想の風 新倉俊一 79
土橋治重先生の指導 林 壌 80
躍動するパロール、日常の深み 原田道子 82
懐慕の人 原 子朗 84
朝日時代の土橋さん 馬場正人 86
土橋治重を語る 坂東寿子 88
土橋先生と私 北条敦子 91
古都での御稼の印象を永遠に尊んで 久宗睦子 93
対談 現代詩に見るユーモア「詩と思想」一九九二年七月号より 土橋治重・藤富保男 司会小川英晴 96
さわやかな『風』の中で 松本建彦 107
土橋治重さんありがとうございました。 丸山勝久 109
土橋治重さんのこと 三井葉子 112
土橋治重さんの花と禅 宮沢 肇 114
土橋治重さんの思い出 山田隆昭 116
土橋さんと風林火山 山田賢二 119
詩人とおまんま=@八尋舜右 121
土橋治重のユニークな詩と人を偲んで 鎗田清太郎 124
『風忌』のあゆみ 126
あとがき 127
父を語るつもりでも、僕は詩人土橋治重をほとんど知らないし、その詩のあり方もよくわからない。小島政二郎の小説「三百六十五夜」が流行歌となり、みどりの風に後れ毛がという詩をみて、風に色なんかないのにみどりの風はなんなんだと言って、お前は詩心がないと小島さんに言われて以来、詩そのものにあまり興味がわかなかったし、多くの詩人が我が家へ訪ねてきて、オヤジと詩の話をしていても、何とも感ずることはなかったが、たったひとりこの人は面白いと思った人がいた。それが山之口獏さんだった。年に二〜三度我が家へ遊びに来たが、僕は摸さんと話をするのが好きだった。オヤジと漠さんの会話に割り込み、漠さんが貧乏話を楽しそうにするのを聞くのが好きだった。こんなに生きることを達観している人がいるのだろうかと思ったものだ。僕が中学二年の時である。
深沢七郎は戦後我が家に居候していた。オヤジの弟と中学の同級生で、することがなくいつもブラブラしていた。書くことが好きなのでいつもザラ紙になにか書いていた。それをみて、文章の書き方をいつもこうしろああしろといっていたオヤジの姿を鮮明に思い出す。彼が日劇でギター弾きをやったのも、オヤジが友人の丸尾に紹介したものだった。その深沢が「楢山節考」で文学賞を獲り、日劇ミュージックホールで祝賀会が行われた時、私は独学で勉強し小説を書いたと挨拶をしたという新聞記事を読んで、嘘だ、父さんが教えていたじゃないか、深沢は嘘つきだ、とオヤジにくってかかった。その方が恰好よいと思ったのだろう、人間は心の中で想っていることと、口をついて出る言葉とは違うことだってあるのだ、と言ったオヤジの言葉が胸につかえてならなかった。それ以来、僕は深沢七郎を好きになれなかった。晩年の深沢さんとは何回か会ったが、少年時代の胸のつかえは消えるものではなく、いつもなんだという気持ちは残っていた。それも人生、これも人生、その程度で怒ることはないというのがオヤジの教えだった。
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上述の「第13回『風忌』――土橋治重さんを語る会――」で出席者に配布された本です。土橋さん所縁の47名の人たちが執筆しています。紹介した文はご子息の黒井和男さんが書いた「短い父の想い出」の中の一節です。土橋治重という人、その息子さんお二人の人柄がよく現れている文だと思います。ちなみにご子息は現役の映画人で、文中の「丸尾」は丸尾長顕のこと、ここでは紹介しませんが映画界の裏面も判るおもしろいエッセイです。
○詩と批評『POETICA』48号 |
2006.5.30 東京都豊島区 中島登氏発行 500円 |
<目次>
パルル・ラ・パロマ 春の散歩 よしかわつねこ 554
マシュマロのとき 植木信子 557
チャールズ・ブコウスキーの詩 中島登・訳 559
恵贈御礼/二つの演奏会のあとで
チャールズ・ブコウスキーの詩/中島登・訳
午前四時三〇分
原っぱで
赤い鳥が騒ぎ立てる
朝の四時三〇分
いつもきまって
朝の四時三〇分
俺は待ってましたと
わが友たちに耳を傾ける
ごみ収集人や泥棒たち
猫は赤い鳥を夢に見る
赤い鳥は
蛆虫を夢に見る
そして蛆虫は
俺の愛人の死骸にくっついて夢を見る
俺は眠れない
やがて朝がやってくる
労働者は起き上がる
やつらは波止場で
俺を探しまわり
そして言うだろう
「あいつまた酔っ払ってるのさ」
だが結局のところ
酒の瓶に囲まれ
太陽の光をあびて
俺は眠ってしまうだろう
暗闇はすっかり消えていった
俺は腕を
十字架のように広げる
赤い鳥たちは
飛んでいく
飛んでいく
薔薇が煤煙のなかで花開く
そして
すこし傷つき
癒されたように
くだらない小説の四〇ページのように
俺の間抜けな顔に
微笑が浮かんでくる
中島登さん訳による「チャールズ・ブコウスキーの詩」で、総題のもとに「午前四時三〇分」「眠る」「わが四十三回目の誕生日のための詩」「温度計」の4編が収められています。ここでは冒頭の「午前四時三〇分」を紹介してみました。「猫は赤い鳥を」「赤い鳥は/蛆虫を」「蛆虫は/俺の愛人の死骸に」と畳み掛ける詩句がリズミカルで面白いと思います。終盤の「癒されたように/くだらない小説の四〇ページのように」も佳いですね。意味のない「小説の四〇ページ」という具体が生きていると云えるでしょう。酔っ払いの私としても「間抜けな顔に/微笑が浮かんでくる」作品です。
○文芸誌『青灯』57号 |
2006.6.1名古屋市千種区 亀沢深雪氏方 青灯の会発行 600円 |
<目次>
●フィクション・ノン・フィクション
愛しのエニ …………………… 亀沢深雪 … 1
昭物語 ………………………… 阿部堅磐 … 8
●詩
よく怒る老人 ………………… 森島信子 … 12
夜櫻を抱く …………………… 尾関忠雄 … 14
2006年原水爆禁止世界大会 … 三浦利博 … 16
●エッセイ
ふる里の山に向かって ……… 岩見治郎 … 18
スリランカと私 ……………… 溝口弘子 … 20
農場で考えた土と(14) ……… 沢田明道 … 22
子供の戦後史(17) …………… 西本 伸 … 25
○青灯の会規約 ……………………………… 7
○同人住所録 ………………………………… 34
○編集後記 …………………………………… 35
二〇〇六年原水爆禁止世界大会
IN 長崎によせて/三浦利博
悪魔の火玉 長崎の空を溶かす
イエスは焼かれ 天主堂は裂けし
六〇と一年 時ながれしも
ロザリオの街 未だ傷癒えず
落とせし者 その正義を叫ぶ
落とされし者 再びの惨禍を憂う
許すまじ原爆を 一発たりとも
許すまじ原爆を 一発たりとも
亀沢深雪氏による巻頭エッセイ「愛しのエニ」は「−広島六十年・補遺」と副題がつくもので、原爆で高等女学校2年で亡くなった妹御・エニさんを悼む作品でした。紹介した詩は長崎のことですが、それに関連して読みました。私も1970年代初頭に一度だけ広島の「原水爆禁止世界大会」に参加したことがあります。長崎と広島という地域の違いがありますが「許すまじ原爆を 一発たりとも」という思いは同じです。作品では「イエスは焼かれ」「落とせし者 その正義を叫ぶ」という詩句に大きな意味があると思いました。
阿部堅磐さんの連載小説「昭物語」は(九)に入っていました。大学3年生になった昭は「今やっている学習は必ず、俺の詩作に役立つ」と確信して「西行の関係のものを集中して読み漁っ」ています。昭青年の今後の成長ぶりが楽しみな小説です。
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