きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて |
2006.6.18(日)
小田急線東海大学前駅そばの紙芝居喫茶「アリキアの街」で長谷川忍さんとポエトリーリーディングをやりました。参加者は15名ほど。ちょっと少なかったですが、全員が詩の朗読なりスピーチをやって楽しんでもらえたと思います。スタイルは、まず私が『hotel』15号の「特集 いま気になる人」からかわじまさよさんの「標識、信号機のなかの人」というエッセイを紹介し、詩を書く上での視点の面白さを、続いて飯島章氏・池田瑞輝氏の親子詩集という珍しい詩集の現代性をHPのコピーを配布して紹介しました。そのあとに長谷川さんが有名無名を問わずに面白いと思っている作品8編を紹介し、どこが面白いのか述べてくれました。ちなみに紹介した詩は黒田三郎「紙風船」、茨木のり子「汲む−Y・Yに」、吉野弘「祝婚歌」、遠藤和子「TRIP 5 悪夢」、川辺明子「花芝居」、鬼木三蔵「恐竜奇談」、佐川亜紀「返信」、中原中也「六月の雨」(いずれも敬称略)。散文詩あり方言詩ありでバラエティに富んでいました。特に関西言葉の川辺明子「花芝居」は人気があり、朗読の時間では3人の関西在住経験者がこれを読むというモテ様でした。
写真は好きな詩を紹介する長谷川忍さん(左端)とお集まりの皆さん。参加者には盟友山岡遊氏もいらっしゃって、終わったあとの懇親会で「お前ら二人がやっているのは詩の布教じゃないか」と言ってくれましたが、言い得て妙な言葉で感心しました。自分の詩の宣伝ではなくもっぱら他人の詩を紹介するのは、詩の布教活動だと言ってくれたのですけど、確かに二人ともそんな感じだったかもしれませんね。佳い詩を紹介して、詩ってこんなに面白いんだよと伝えることが暗黙の了解でした。
お店の常連の皆さんにはもちろん、私のEメールでの誘いに乗って、遠くは静岡県伊豆の国市、埼玉、東京から駆けつけてくれた5人の詩人の皆さんに感謝します。なかでもお名前だけは存じ上げていたお二人の女性詩人とお会いできたのは今回の一番の収穫でした。1年に一度ぐらいは「アリキアの街」でこんなイベントをやってみたいなと思っています。詩の朗読だけでなくコンサートやフォーラムもやりたいですね。今後ともよろしくお願いいたします。
○文/長谷川忍氏・絵/梅原健二氏 『カミル』 |
「川崎の新しい風」絵本叢書/001 川崎詩人会発行 |
カミルは、人の嬉しそうな顔を見るのが大好きな男の子でした。
カミルは、休も小さくやせっぽらで、おまけに馳ずかしがり屋だったから、クラスメートたちは、みんなカミルのことを、からかったり、時には困らせたり、していました。ただ、どんな話でも、どんな頼みでも、カミルは一生けんめい聞いてあげたり、手伝ってくれたりするので、毎日のようにクラスメートたらが彼のそばにやってきました。みんな、本当は自分のことをカミルにしゃべりたくてしかたがなかったのです。
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前出の「アリキアの街」で長谷川忍さんよりいただきました。定価、発行日が書かれていませんが1年ほど前のもののようです。
紹介したのは絵本の冒頭の部分です。「カミル」の性格を端的に述べている佳い文章です。特に「みんな、本当は自分のことをカミルにしゃべりたくてしかたがなかったのです」は瞠目すべき文章でしょう。このあと「カミル」は「クラスメート」のいろいろな相談に乗ったり、転校していく女の子の奇抜な送別を実行しますが、それは本を手に取って楽しんでみてください。
○詩誌『沈黙』32号 |
2006.6.10
東京都国立市 井本木綿子氏発行 700円 |
<目次>
詩
天彦 五男 すすき 2
宮内 憲夫 余白、無し あなかしこ 6
鈴木 理子 台詞13 10
井本木綿子 エメラルド色の眼 14
村田 辰夫 麩の譜 18
エッセイ
天彦 五男 雛祭り 21
詩
山田 玲子 なぜ ひょっとしたら 22
中岡 淳一 宙家族 2 26
吉川 仁 百年の現場へ! 30
あとがき
中岡淳一 井本木綿子
〈表紙〉エル・グレコ 聖母子
すすき/天彦五男
筆になった芒が振子になっている
箒になった芒は冬を掃いている
風にちぎれた穂がどこかへ飛んでしまって
指揮をしないタクトになっている
大地をラブラドールが群走している
息を切らして喘いでいる
私は筆になったり箒になったりするが
すすきが脱色した娘の髪であったことも
すすきがちびた老婆の髷であったことも
その老婆が提灯を生首のように持って
すすきが原を歩いていくのも知っている
すすき一年――
なにやら判じものみたいに呼吸している
私は芒を見たり芒になったりするが
芒の強さにあやかりたいと思っている
石を割りアスファルトを潜り
線路の両側は芒のトンネル
電車が通る――
心太を押し出すように家がゆれる
圧縮された風が押し寄せる
すすきは靡(なび)くが押し倒されたままではない
どこ吹く風と知らん顔
すすきとつきあって十年――
都心から郊外へ居を移して
私の思想はちびた筆になり
私の肉体は劣えてちぎれているが
枯芒の下では再生の力が漲っている
私は芒になったり芒を見たりしている
癒えた筈の病や老いとやがてくる死も
どこ吹く風と茶を点てるが泡が均一でない
茶筅まですすきなってしまったようだ
「芒の強さにあやかりたいと思っている」というフレーズに作者の心境がよく現れていると思います。その理由として「私の思想はちびた筆になり/私の肉体は劣えてちぎれている」があると思いますが、やはり本意は「枯芒の下では再生の力が漲っている」ことにあるのでしょう。最終連の「茶を点てるが泡が均一でない/茶筅まですすきなってしまったようだ」は見事ですね。そんな強気と実際の姿(現実とは関係ありませんが)を対比して読む者の心を打ちます。天彦五男詩に今号も勉強させていただきました。
○新・日本現代詩文庫39 『新編 大井康暢詩集』 |
2006.6.20
東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税 |
<目次>
詩集『現代』全篇
木・10 高原の春・11
春疾風・11 不思議の園(その)・12
廃墟・13 白鷺・14
かまきり・16 流氷・16
化石・17 燃えつきるとき・18
ワープロ病・20 ネガと感光・21
囚人・22 オリンピック一九八四・ロスアンジェルス・24
風景・26 バラード・28
夜明け・29 阪神・淡路大震災聞書き・30
いのち・31 生きる・32
あとがき・33
詩集『沈黙』全篇
蛍・35 金魚・36
ブランコ・36 ポプラ・37
花火・38 木・39
狩野川・40 パーツ・41
詩曲・42 おとずれ・43
谷間の伝説・43 残酷な季節・44
早春の黄昏・45 事故・46
ビキニ・47 沈黙・47
朱鷺の死・48 鶯・48
潮騒・49 処刑・50
日時計・51 陥穽・52
痛み・53 こけし・55
夜道・56 あとがき・56
詩集『哲学的断片ノ秋』全篇
哲学的断片ノ秋・58 記者手帳・58
釣り・60 伝説・61
日の出前・63 引き出し・65
見なかった景色・66 思い出・68
墓・69 発芽の姿勢・70
年の瀬・71 秋・73
墜落・75 狩野川・76
春の潮・77 ガラス窓・78
卵・79 自画像・81
詩人の伝説・82 旗・83
墓碑銘・84 声・85
世紀末の色・88 雨の廃兵院・90
雨の降る風景・92 橋・93
虚の体験・96 とことん・97
ことば・98 あとがき・99
詩集『腐刻画』全篇
秋 ・101 霧の波止場・102
水車 ・103 秋風・104
腐刻画 ・105 亡霊・106
手切れ ・106 末摘花・108
桐壷 ・109 須磨蟄居・110
蝋燭 ・111 八月十五日・113
或る風景 ・115 愛・116
足の墓場 ・117
未刊詩集『十一月は難民の季節』より
愛の神話 ・119 勧進帳・120
雪が降る ・121 寒い夏・123
末期の眼 ・124 難民の季節・126
消える ・127 神の涙・129
上州の秋 ・131 第三の男・132
笑う ・133 象さんのお耳・135
津波・135 死の床で・138
ブルカ ・139 父・140
暁 ・141 苔・141
落花 ・142 石割りざくら・143
黒い地球 ・144 冬の花火・145
凍る秋・147
エッセイ
日本語の情緒性と抒情詩・150
解説
西岡光秋 詩魂の使徒として・164
高石 貴 闇の部分から光をあてる世界へ・173
西川敏之 大井康暢論――存在の奥の深きことばの世界・176
平野 宏 空に鳴る風――「十一月は難民の季節」の傍らで・191
年譜・199
第三の男
滅びの日に萌え出る若草の緑のみずみずしさ
舞い落ちる桜の花びらのあえかな白さ
陽炎のゆらめきに映える
倒れる兵士たちの血の赤さ
ローマでは召された法王の葬儀がしめやかに
賑やかに しめやかに
痛んだ樫の古木の安らぎを横たえて
広場を埋めつくした民衆の
祈りをあとにして
一羽の鳩が天の一角に飛び去った
嘆きの壁を越えかなしみが鐘の音に消されて
消えて行く
遠く とおく
信仰深い人たちのひたむきな心をのこして
近づいてくる靴のひびき
人が死の恐怖に襲われる必死の逃走劇だ
ペニシリン密売犯のオーソン・ウエルズ
下水道を逃げまわる靴音が甲高く反響する
細い光を頼り天窓のようなマンホールの鉄格子に
十本の指を突き出して遠退いて行く生にしがみつく
蠍のような指のもがき
英国情報部員のニヒルな苦笑を浮かべて
トレヴァー・ハワードはこれが戦争さという
ジープの中で斜めに被ったベレの下の短い口髭
ソ連兵との事務的なやりとり
死が音であることに
鐘の音であることに
闇の中に響くピストルの乱射
ジョセフ・コットンが殺した竹馬の友
彼の意識の流れのなかに
消えることのない病跡を刻みつけたか
遺体は棺に入れられ
深く掘った墓の底に降ろされる
神父の祈りとともに土で蔽われると
会葬者は思い思いに散って行く
ジープを乗り捨てた男は女を待つ
真っすぐにのびるポプラ並木の下で
豆粒のように近付いてくる人影を待つ
親友の恋人だった無国籍の踊り子を
死が散る花のかそけき音を残す
灰色の煙をチムニーから吐き出して
薄暮の空にひっそりと消えて行く
女は瞬きもせず男のかたわらを通りすぎる
靴音も立てずに
去って行く悲しみの
遠ざかる
影のように
注 「第三の男」英国映画、モノクロ、二十世紀映画史上の傑作のひとつ。監督 キャロル・リード
私事で申し訳ありませんが「第三の男」には思い出があります。まだ小学生にもならない頃この映画音楽が大好きで、ラジオから曲が流れると父親が「おい、始まってるゾ」と呼んでくれたものです。判りやすい旋律に共感していたのかもしれません。長じてTVで映画を見て、ようやく「英国情報部員」の物語であることが判りました。「下水道を逃げまわる靴音が甲高く反響する」音や「細い光を頼り天窓のようなマンホールの鉄格子に/十本の指を突き出して遠退いて行く生にしがみつく/蠍のような指のもがき」も眼にして、音楽との関連性も理解できるようになりました。私も「二十世紀映画史上の傑作のひとつ」だろうと思います。
そんな私の思い入れが深いせいか、作品では音≠ェ良く描かれていると云えましょう。「広場を埋めつくした民衆」のざわめき、「一羽の鳩が天の一角に飛び去」る羽音、「鐘の音」、「近づいてくる靴のひびき」、「下水道を逃げまわる靴音が甲高く反響」し、さらに「死が音であること」「鐘の音であること」「闇の中に響くピストルの乱射」等々と続きます。音≠映像化した作品だと思います。
本詩集は1993年に集成された『日本現代詩文庫74 大井康暢詩集』(土曜美術社出版販売刊)以降の詩集と未刊詩集より編まれています。この10年ほどの大井康暢詩を網羅した佳集と思いました。
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