きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて



2006.6.26(月)

 数ヶ月前から、ある詩人に「そろそろ詩集を出せ!」と云われ続けています。夕方、また電話があって、とうとう出す気でいることを伝えました。確かに前詩集は7年も前ですからそろそろ出す時期だとは思っていました。
 今までの詩集は全て自分の意思で出してきましたけど、今回初めて他人様から言われてその気になりました。その差異の意味はあまりないと思うのですが、それでも後押ししてくれる人がいるということは精神的に楽ですね。退職して時間も取れやすくなって、書き散らした詩らしきものをまとめるには良い時期かもしれません。おそらく年内に出版できるだろうと思います。どうせなら続けて散文集も出したいなと目論んでいます。こちらは来年になるでしょうけどね。



詩誌『濤』11号
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2006.6.30 千葉県山武市
いちぢ・よしあき氏方 濤の会発行 500円

<目次>
広告
川奈静詩集『ひもの屋さんの空』    2
訳詩
ソネット 2品 フィリップ・ジャコテ 4
             後藤信幸訳
作品
真っ黒焦げの鮒       伊地知元 6
希望            川奈 静 8
この道           鈴木建子 10
特集2(第四回)
いちぢ・よしあき 私の詩の転々 W  12
作品
昨今 \ 通話中      山口惣司 20
メロポエム・ルウマ いちぢ・よしあき 22
詩誌・詩集等受贈御礼         28
濤雪
動物園       いちぢ・よしあき 29
              編集後記 30
広告 山口惣司詩集『天の花』     31
表紙 林 一人



 希望/川奈 静

爆風で焼けたからだをいたわって
身をよせている暗い地下室
苦しみにうちのめされて
みんなばらばらで
自分にふりかかった不幸を呪っていた

−あかちゃんが生まれそうです
場ちがいな若い女のうめき声
−わたしは産婆をしておった
老婆のかすれたしゃがれ声

地獄の血のうみで血の中から
まあたらしい産声が
光のようにあがった
−ホギァー

焼けただれた人々は
いっしゅん自分の痛みを忘れて
無傷
(むきず)のあか子の姿を
見えない目でたしかめた

 原爆詩人・栗原貞子の詩「生ましめん哉」を連想させる作品ですが、まとまりはこちらの方が良いように思います。「生ましめん哉」は産婆の姿が際立つ作品ですが、こちらは「焼けただれた人々」の「希望」が主で、その違いがあります。それはどちらが良い悪いという問題ではなく、視点の違いだけで、どちらも大事なものだろうと思っています。日本が戦争する国に変わろうとしている現在、歴史に求められている詩と云えましょう。



詩誌『解纜』131号
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2006.6.12 鹿児島県日置市
西田義篤氏方・解纜社発行 非売品

<目次>

であう ………………………………池田 順子…1
春の片町で …………………………中村 繁實…5
退職のみぎりに ……………………石峰意佐雄…9
風の道 ………………………………杢田 瑛二…15
エッセイ 小さな窓から …………中村 繁實…17

端/分別/樅の木……………………村永美和子…19
火口湖 ………………………………西田 義篤…24
台湾バナナ …………………………今辻 和典…30
思いは尽きず ………劉 虹(中国)今辻和典訳…31
泣くまいとして ……王妍丁(中国)今辻和典訳…33
魯迅文学論=詩論について(第二回)…中村繁實…35
表紙 …石峰意佐雄



 火口湖/西田義篤

……ここは水のなかだろうか
一面にひかりがゆらめいている
水草のようなものが手足に絡みついて 離れない
夢のなかだとわかっているのに
その感触は妙に生々しい
泥にもぐり込む魚や蟹でもいるのだろうか
ときどき濁った水が流れてくる
大小の水泡がゆっくりと昇っていき水面で弾ける
とりとめのない記憶の断片がつぎつぎに現れ
眼前で鮮明になったかと思うと
たちまち色彩を失い 水をくぐり抜けていく
水の暗さに眼が慣れ 水底の塊は
流木ではなく仰臥した人だとわかる
顔は昏くてわからないが
白髪や手足の様子から老人である
その人はゆっくりと身を起し私をみつめている
久しい間私たちは向き合っていたような気もするが
一瞬だったかもしれない
いいようもない切なさが私のなかを駆け巡り
私は声をあげながら近づいていくと
その人は影のように薄くなり見えなくなっていった
――初めて夢に現われた父だったかもしれない

教師だった父は
家に帰ってきてからも厳格な教育者だった
私たちの小さな過ちや嘘をすぐ見抜き許さなかった
言い訳をしようとする前に父の手はとんできた
打たれた頬の痛み
それよりも苦痛だったのは
正座し父を正視して開かなければならない
沈黙を含んだ長い説教
それは永遠に続くように思われた
ときにはいわれのない罰もあったが
黙って耐えるしかなかった
父の手を逃れ
裸足で家をとびだしたことも何度かある
父の怒りが鎮まり 母が私を探しにくるのを
湿った森のなかでいつまでも待っていた

父を避け いつも遠くから畏れていた少年時代
楽しい日や嬉しい出来事もいくらでもあったはずだが
記憶から見事に欠落している
敗戦後の混乱期
あらゆるものが不足しみんな飢えていた
あの頃 父が常に苛立っていたのは
信じていた「皇国日本」が音をたてて崩れ去った後の
新しい価値観にとまどい
多くの教え子たちを戦場に送った罪の意識に
日夜苦しめられていたからだと
いまなら察しがつく

加齢と共に 父から烈しさはうすれていき
柔和で優しい眼をした父になった
叱られた遠い日々は 夢か記憶違いではないのか
と訝ったこともある
母の病が進んで
晩年の父は多忙になった
脳の萎縮の障害はいたるところに現われ
目にみえて変貌していく母は痛ましかった
つぎつぎにくりだしてくる母の失敗や粗相を
父は正面から受けとめ 笑顔で応えた
言葉を失っていく母に根気よく話しかけ
つんのめる母を散歩に連れ出し
食事の世話 排泄物の始末 入浴 洗濯……
私たちの手助けを断り 父はすべてを引き受けた
きつい介護を愉しんでいるようにさえ感じられた
そこには父の固い決意があったのは確かだ
だが あるとき
父を指差しながら 母は私に言った
「親切にする知らない人には気をつけなさいよ」
私は笑おうとしたが笑えなかった

母の病状が悪化して
もう父の手に負えなくなった
母を入院させた夜
母が眠りこんだのを確かめると私たちは外に出た
外灯に湯煙が浮かび 駅の方はまだざわめいていた
車に乗りこむと父は湖を抜ける道を私に指示した
帰路は三通りある
父の言う道は山道で遠回りになるが私も好きな道だ
夜の底で湖はくらくきらめいていた
湖のほとりに点在する家々から漏れたひかりが
ぼんやり水に映り ときどき水鳥が騒いだ
あたりには昼間の火照りがまだ残っていたが
湖を渡ってくる風は快かった
ためらいながら父は私に何か言おうとしたが
出かかった言葉をそのまま呑みこんだ
帰りぎわにも同じような素振りをみせたが
結局 何も語らなかった

それから一ケ月もしない間に 父は急逝した
散髪を済ませての帰り道
草叢に倒れこんだ父は二度と立ち上がることはなかった
烈しい衝撃に打ちのめされながら
そのときも私は父から遠い場所にいた
三年後 父の死を知らないまま母も他界した

墓参をすませたら
ひと山こえて火口湖まで足をのばす
それは私が自分と交した約束だ
流れ込む川もなく また流れ出る川もない火口湖
水は円形に満たされ
死体もあがってこないその深さを測ることはできない
ひしめきあいながら照葉樹の森が水際まで迫って
湖面はさんざめく
単調なさざなみの繰り返しに
水草にとまった紅蜻蛉は動こうとしない
あの夜 父は私に何を伝えたかったのだろう
語りたかったものは何だったのか
思い返せば じっくり腰を据えて父と語ったことは
一度もなかった
父は自分の死期がわかっていたにちがいない
父は沈黙し 姿を消すことでいま私の傍に立つ
父と同じ眼をして風景を眺めてみる
火口湖は溢れることもなく ただ照り翳るばかりだ

 感動的な作品です。長い、1篇の小説を読んだあとのような充実した読後感がありました。この感動は部分引用では済まされず、ちょっと長かったのですが全文引用してみました。「あの夜 父は私に何を伝えたかったのだろう」というフレーズが重要な主題になりますが、それを底辺から支えているのが「流れ込む川もなく また流れ出る川もない火口湖」ではないかと思います。ひとつの完結した世界。その中で生きて亡くなった「父」と「母」。また「私」も「同じ眼をして風景を眺めてみる」。ここには良い意味での日本の原風景が感じられます。作者が詩を書く必然性にも思いを馳せた作品です。




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