きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて



2006.6.27(火)

 ようやく光ファイバーの申込書が届きました。私の地区は光ファイバーが導入されてなく、市あげての陳情でこの10月から開通することになりました。もちろんすぐに申し込みました。ADSLも開通してなく、いきなりの光ですけど待ちくたびれています。思えば10数年前のパソコン通信時代からのダイヤルアップ。遅い、高い、不安定という三重苦からようやく解放されそうです。NTTさん、待ってますゼ!



水崎野里子氏訳・チベットの詩人の自伝
青い空の下で
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2006.6.20 大阪府箕面市 詩画工房刊 1400円+税

<目次>
まえがき 水崎野里子 6
はじめに ホートサング・ジグメ 8
序言 10
1 おばあちゃん 16
2 私の第一歩 19
3 二番目の大飢饉 24
4 青い空の下で 29
5 悲しい死 32
6 母の生活 36
7 太陽は不動 43
8 おかしな泣き方 46
9 初めての旅 49
10 空と大地へのたたかい 55
11 不幸な秋の終わり 60
12 二番目の旅 67
13 妹ドルマ 75
14 三代の女たち 77
15 泥棒ではない、でも泥棒だ 80
16 風前のともしび 87
17 時の中を跳ぶ 96
18 一度きりのジャーナリスト 103
19 どうしたら葉は風なしでそよぐ? 109
20 北京へ留学 111
21 チベット脱出の冒険 118
<ホートサング・ジグメの詩>
 世の終わりの日のウサギの悪夢 132
 至高の馬 137
 裏切り 139
 この世を振り返って 142
あとがき 148



 至高の馬

心の地平線の彼方 広い草原
思惑の草を食みながら 至高の馬はいななく
無数の手綱から自由を宣言し
北へ疾走する
聳える山々の方向に向かって

暗いかいば小屋の藁などもう欲しがりはしない
馬上の男の怒った鞭などもう恐れはしない
情け容赦なく蹄で虫を踏みつける
心は現在の瞬間だけ 過去も未来もない

胸の傷は鞭の痕
心の傷は歴史の痕
いななきからお前が聞くものは痛み
目から落ちるものは喪失の涙

溢れる金と銀とを投げかけられた
比類なき能力の驚異を
今日 俺は次の世代に譲り渡す
頭痛は 幾世代経っても治療不可能だ

俺の父親は不死身の歴史の教授
俺の母親は雪の山の不朽の女王
俺の意識は誕生も死もないメル山
俺の中に流れる血は澄んだマチュー河

 『柵』2004年4月号より2005年6月号まで連載した、チベットの詩人・ホートサング・ジグメの自伝です。文化大革命を機に中国政府から痛めつけられてチベットの一少年時代から、僧侶・学生となって成長する青年時代、そしてネパールへ亡命するまでの半生を描いた一大自伝で、20世紀の歴史の1頁を飾るものと云っても過言ではないでしょう。
 紹介した詩は巻末に収められた作品のうちの1篇です。「無数の手綱から自由を宣言し」というフレーズから数多の束縛があったことが判ります。「俺の父親は不死身の歴史の教授」というフレーズには誇り高いチベット人の自負を感じます。感動した1冊でした。



文芸誌『扣之帳』12号
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2006.6.10 神奈川県小田原市
石井啓文氏方・扣之帳刊行会発行 500円

<目次>     ◇カット 木下泰徳/F・みやもと
足柄学講座・民俗編
 生と死の民俗(1)道祖神のことなど・・木村 博 2
母の数珠・・・・・・・・・・・・・・・加藤利之 14
興趣深々−小田原地方で詠まれた俳句・・佐宗欣二 16
茂年さんのことば・・・・・・・・・・・岡田花子 23
小田原の梅干し、始まりは粕漬け?・・・石井啓文 24
カルメン日記・・・・・・・・・・・・桃山おふく 29
小田原の杉田梅は多摩の青梅が発祥か・石口健次郎 35
足柄を散策する(3) 文学遺跡を尋ねて・杉山博久 38
勝瑞城と小少将・・・・・・・・・・・・今川徳子 49
掬泉と俳句との絆・・・・・・・・・・・剣持芳枝 53
目覚めた遺伝子の活動・・・・・・・・佐久間俊治 54
安叟宗楞(11) 安叟和尚の伝記を読む(7)青木良一 56



 私は昭和三十五(一九六〇)年四月に結婚したが、すぐその後に、家内の実家の墓参りで、南足柄市内山の保福寺へ行った。その時の率直な感想は、「ずいぶん山の中だなあ」であり、私の父の実家である広島市安佐北区(昔は安佐郡亀山村)の一部と「いい勝負だなあ」と思った。それ以来秘かにずっと持ち続けた疑問は、「あの称びたところをルーツとする親成の人々がみな優秀なのは何故なんだろう」ということだった。
 その後十五年して、近くの開成町に住むことになり、それから更に今年で三十年経った。骨を埋めることになるであろう第二の故郷のことを少しずつ知り始めたが、中でも大きな知見は、ここ数年で学んだ「古代の官道」だった。
 足柄峠から坂本(関本)を経て、大井から小総(国府津)へぬけ、箕輪(平塚。伊勢原、大磯とも)、浜田(海老名、厚木)から武蔵国へ至る古代の官道は、今の東海道新幹線以上に大切な大動脈だったと知った。内山はそのすぐ近くであり、山奥などではなかった。
 私の長年の疑問は解けた。その昔、優秀な人材がそのあたりに数多く住んだであろうし、その人たちの遺伝子がその地域に長く伝わって来ている。地域こそ鄙びてしまったが、遺伝子は脈々と生き続けているのである。

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 我田引水で申し訳ありません。私が現在居住している地域について、佐久間俊治氏が「目覚めた遺伝子の活動−再び古代の官道について−」の中で触れていましたので引用してみました。私はこの地域の生まれや育ちではないので客観的に言えることなのですが、確かに「優秀」な人が多いです。戸数250軒ほどの小さな集落にしては校長や教員経験者が多くいて、現職も少なからずいらっしゃいます。校長や教員が本当の意味で「優秀」かどうかは別問題で、一例として…。一般論で考えても比率は極端に高いのではないかと思います。「何故なんだろう」と実は私も考えたことがありますけど、答は見出せませんでした。昔は近親結婚が多かったからか、などとも考えましたけど、それはこの地域だけの特色ではありません。佐久間氏のエッセイで私も「長年の疑問は解けた」ように思います。私が知っているこの20〜30年に限っても人の出入りは少なく「遺伝子は脈々と生き続けている」のは当たっています。
 拙HPでも何度か書いていますが、この地を知ったのは38年前。それ以来こういう処に住みたいなと思っていたところ、たまたま嫁さんがこの地の出身で、たまたま土地も貰えて15年ほど前から住んでいます。「ずいぶん山の中」は否定するつもりもありませんけど、モノを書くには最適です。嬉しい一文でした。




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