きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて



2006.6.29(木)

 小田急線東海大学前の「アリキアの街」に、先日、尾崎尚寿画伯から買った絵を受け取りに行きました。尾崎さんにお会いして、いろいろお話をして、小田急線渋沢駅そばの店に行こうということになりました。尾崎さんの個展でお会いした方の店で『マニホージュ』と言います。「穀物菜食レストラン」と銘打っていました。ケーキや和菓子が主ですから私はあまり興味がなかったのですが、出された饅頭は意外と美味しかったです。砂糖を一切使っていないとのことで、甘味大嫌いの私でも素直に食べることができました。たまには訪れても良いかなと思った店です。



詩と評論・隔月刊『漉林』132号
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2006.8.1 川崎市川崎区
漉林書房・田川紀久雄氏発行 800円+税

<目次>
詩作品
冥王/捕虜収容所十四分所………池山吉彬 4
われ、山にむかいて、……………成見歳広 9
影のサーカス――2………………坂井信夫 12
天気はまっ正直……………………遠丸 立 14
井戸の底に光る石があるから…坂井のぶこ 16
風が吹かなくても………………田川紀久雄 18
――――――――
沖縄…………………………………麻生知子 20
麻生知子編集誌寄稿者一覧・他…………… 23
続覚書………………………………各務麗至 26
エッセイ
怖い話……………………………田川紀久雄 28
本当にありがとう 生きていることは素晴
らしい……………………………田川紀久雄 30
猫を撫でる人……………………坂井のぶこ 33
島村洋二郎のこと…………………坂井信夫 34
貧乏人だ〜い……………………田川紀久雄 40
                 後記 43



 井戸の底に光る石があるから/坂井のぶこ

井戸の底に光る石があるから
降りていこうよという声がする
うちの井戸は龍宮城へと続いている
暗い水に青空がうつり
その奥に星がみえる
なんせだいもなんせだいもの
ひとびとが ひかるいしをもとめ
いどのそこへおりていった

そこには光る石を抱えた
龍のいる山があり
彼と話すことのできる女の人がいるという

水も風もきらめきながら
流れていて
人びとはそのなかにとけこむように
くらしている

だれも帰ってきた人はいないのに
私たちのあいだでは
そんな話がかわされる

 「龍宮城へと続いている」理想の世界が「井戸」にはあるというのは昔話のようで面白いですね。しかも「光る石」があり、それは「龍」が「抱え」ているというのですからますますお伽噺の世界です。しかしよく考えると、そこから「だれも帰ってきた人はいない」。これは死後の世界を謂っているように思います。その死後の世界では「人びとはそのなかにとけこむように/くらしている」。理想の世界とは死後の世界のことだ、と作者は言っているのではないでしょうか。そう考えるとちょっと怖いけど、表現が穏やかで納得してしまう作品です。



月刊『漉林通信』10号
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2006.6.10 川崎市川崎区
田川紀久雄氏発行 200円

<目次>
商業詩誌より同人詩誌の方が面白い 田川紀久雄(1)
詩 風のかたち(1) 坂井のぶこ(1)
  月一度の楽しみ 田川紀久雄(1)
  笑って     田川紀久雄(2)



 月一度の楽しみ/田川紀久雄

四月の上旬
線路のわきにタンポポが咲いている
そして芥子の花も咲いていた
やっと春がきた感じがする

電車の来るのを待つ間
私はじっと花を見ていた
おんなと近所の温泉にいく
月に一度の休日
午前に一度入浴し
そして三〇〇円のおにぎりセットをとり
しばらく昼寝をしてから
また入浴をする

何もしない日をつくることは
心にとっても大切なこと
東京にいたころは
巣鴨や飛鳥山公園で花見をしたが
川崎に来てから
どこにもいかず
月一度の温泉休暇

温泉場の前のマンション脇に
みごとな桜が咲いている
露天風呂につかっていると、
ツバメが飛んできた
なんにもしないで
空を見ている
こんな小さな幸せを
この歳になってやっと掴んだ

明日の生活の不安を忘れ
今日一日
おんなと何も考えないで
のんびりと湯につかることも
いいものだ
明日は明日の風が吹く   (二〇〇六年四月六日)

 「月に一度」くらいは「なんにもしない」日を作ることは大切なことなのかもしれません。現職の頃はもちろん、退職した今でもそういう意識は私にはありませんでした。根が貧乏性のせいか、何もしない一日というのは不安で不安でしょうがない、という意識があるように思います。今こそ「明日は明日の風が吹く」と開き直っても何の問題もないはずですね。他人様の詩にかこつけて己を振り返った作品です。



月刊『漉林通信』11号
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2006.7.10 川崎市川崎区
田川紀久雄氏発行 200円

<目次>
次の詩集はもう出来あがった 田川紀久雄(1)
地引弘詩集「午後の風景」より (1)
広告 (2)



 原爆の死者たちに/地引 弘

原爆の死者たちよ
安らかに眠るな
六十年の眠りから目覚めよ
灰となって舞い上がった者たちよ
ぼろぼろの肉をぶらさげていた者たちよ
呻き苦しんでいた者たちよ
渇き泣き叫んでいた者たちよ
死という平安に安住している者たちよ
安らかに眠るな
恨みつらみを晴らすために
地上をさまよえ

あなたがたは
本土空襲の死者たち
太平洋戦争中のアジアの死者たち
ナチスに虐殺されたユダヤ人たち
その他いわれなく殺された者たち
この膨大な列のなかにいる

とある裏通りに
あらゆる武器という武器をそろえている店がある
グリーンの絨緞を踏んでいくと
ソファーのある巨大ディスプレイ室に通される
注文の品の実射展示が行われる
支払い 届け先 輸送方法などが
コンピューターに打ち込まれて
取り引きが終わる

表通りをデモ行進する
原爆の死者たちよ
わたしらも生きている亡霊なのだ
地上をさまよう亡霊なのだ
この昼の深い闇はどうだ
世界は苦痛に呻き苦しんでいる
原爆の死者たちよ
安らかに眠るな

 「地引弘詩集『午後の風景』より」として紹介されている作品です。もちろん安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから≠ニいう原爆の碑をモチーフとしていますけど、「原爆の死者たちよ/安らかに眠るな」と繰り返されるフレーズには説得力があります。安らかに眠ってください≠ニいう前提には過ちは繰り返しません≠ニいう意思があるわけなのですが、現実には「あらゆる武器という武器をそろえている店があ」り国があります。「わたしらも生きている亡霊なのだ」という認識があります。そういう現実のなかでは証言者として「六十年の眠りから目覚め」て欲しいと云わざるを得ないのかもしれません。考えさせられる作品です。




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