きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.11 京都・泉湧寺にて



2006.7.1(土)

 昨夜のお酒が効いたせいか、珍しく二日酔い気味で夕方まで寝てしまいました。気になっていた2冊の文庫本を読みながら眠りに落ちて、気付いてまた読んで、また寝てしまって…。そんな繰り返しでした。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃという思いはあったんですが、途中から開き直って、今日は休養日! 退職して丸2ヵ月、有頂天になって飛び回っていたツケがきたのかもしれませんね(^^;



中村不二夫氏著・作家論叢書21
『山村暮鳥
――聖職者詩人
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2006.7.20 東京都千代田区
沖積社刊 3500円+税

<目次>
一 暮鳥とキリスト教 …………………  九
(一)聖職者詩人の背景 ………………  九 (二)明治期キリスト教の受容 … 一六
(三)神学生暮鳥 ……………………… 二一 (四)暮鳥と『十字架』…………… 二四
(五)校友誌「築地の園」……………… 二八 (六)聖職者詩人の苦悩 ………… 三五
(七)聖公会司祭 高瀬恒徳 ………… 三九
二 暮鳥の詩的出発 …………………… 四六
(一)仙台キリスト教時代 …………… 四六 (二)口語自由詩運動 …………… 五四
(三)暮鳥と自然主義 ………………… 七七 (四)暮鳥の初期伝道 …………… 八一
三 初期詩篇とキリスト教 …………… 九〇
(一)信仰と詩 ………………………… 九〇 (二)築地 聖三一神学校 ……… 九五
(三)耽美派への関心 ………………… 九七 (四)白秋と象徴詩 ………………一〇〇
(五)暮鳥と耽美派周辺 ………………一一一 (六)平講義所時代 ………………一一五
(七)暮鳥と同人誌 ……………………一二一 (八)暮鳥と「聖なるもの」………一二五
四 暮鳥と『聖三稜玻璃』………………一三六
(一)『聖三稜玻璃』の背景 …………一三六 (二)朔太郎・犀星と暮鳥 ………一六○
(三)ボードレールの〈照応〉…………一六八 (四)暮鳥の平伝道 ………………一七五
(五)『聖三稜玻璃』とマニエリスム…一八〇
五 暮鳥と聖公会 ………………………一九四
(一)朔太郎の『聖三稜玻璃』評価 …一九四 (二)暮鳥の宗教的精神 …………一九八
(三)暮鳥の初期文学活動 ……………二〇二 (四)文学と宗教の葛藤 …………二二二
(五)人道主義の台頭 …………………二二四 (六)暮鳥と「感情」………………二二五
(七)「白樺」人道主義 ………………二三二
六 暮鳥と詩誌「苦悩者」………………二四七
(一)詩誌「苦悩者」創刊 ……………二四七 (二)「苦悩者」の詩人 …………二五三
(三)民衆詩派の台頭 …………………二六三 (四)詩人 花岡謙二 ……………二六八
(五)「苦悩者」の結末 ………………二八五 (六)伝道師休職 …………………二八六
七 暮鳥と『十字架』……………………二九〇
(一)暮鳥と神 …………………………二九〇 (二)『十字架』の意味 …………二九五
(三)『十字架』の主張 ………………三〇三 (四)暮鳥の解放思想 ……………三〇六
(五)『雲』への準備 …………………三一〇
八 詩集『雲』の背景 …………………三一六
(一)童話作家暮鳥 ……………………三一六 (二)詩と童話 ……………………三二七
(三)暮鳥童話の特質 …………………三三一 (四)『聖フランシス』伝 ………三四一
(五)『雲』の世界 ……………………三四四
「山村暮鳥論」参考資料 ………………三六一 あとがき ……………………………三七五
【解説】自己実現を目ざした文学…森田進…三八○ 装釘*秋山由紀夫



 このような、宗教的精神と文学を、内的に融合させようという発想そのものが、キリスト者という規定の中では、かなり異色な矛盾した選択であった。しかし、つぎのような見方もできる。キリスト教の倫理では、現世は仮りの場所であり、天国こそが本来の人の住む所と捉えられるが、それは身近の現実事象に一喜一憂せず、未来まで続く普遍的時間を尊重するということに他ならない。ある意味で、宗教も文学も、時間認識には永遠性・無限性という共通性があり、また外部の事実より自己の内実を徹底的に尊重することでは、文学的価値観とキリスト教的価値観とは全くの一致を見ることができる。暮鳥文学を探究する場合、文学と宗教を同一水準で見るという、この認識は重要である。
 キリスト教では、来世の幸福に目を向けることを尊重するあまり、現世の矛盾に対しては目をつむることで、その問題解決をすりかえ、第三者にある種の現実逃避という印象を与えてしまうことがある。このように、現世の矛盾に拘泥し過ぎないということは、宗教的精神の持つ崇高さでもあるが、この論理が個人の内部に合理化されると、人々の間に現実の矛盾に対する諦念が生じ、生きるということに高い理想を掲げる意欲を喪失してしまうことになる。暮鳥が決意したのは、まず目の前の現実に対して力を注ごうとすることである。そのため、文学活動を通した生涯のモチーフは、現世で全人類の解放を現実化するということであった。

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 あとがきによると本著は1995年9月20日に有精堂出版より刊行された評論集『山村暮鳥論』の再版のようです。前著は中村不二夫氏の評論集のなかでも出色と聞いていただけに興味があったのですが入手できず、今回思いがけず頂戴できたことは喜びでした。400頁近い大冊を一気に読んでしまいました。
 紹介したのは「五 暮鳥と聖公会」中の「(二)暮鳥の宗教的精神」(P200)の一部分です。私は山村暮鳥についてほとんど知らないのですが、それでもキリスト者であり詩人という程度は知っていました。キリスト教と詩はある面では矛盾がなく、しかし反面では矛盾します。なぜ矛盾するかは本著のひとつのテーマでもありますからそれは譲るとして、ここではなぜ矛盾しないか、「全くの一致を見ることができる」かが書かれています。この認識は重要なものでしょう。後半の「現実の矛盾に対する諦念」も宗教に対する私の基本的な見方ですが、ここでは山村暮鳥のとった「現世で全人類の解放を現実化する」という思想が端的に描かれています。これも山村暮鳥論の重要な視点です。
 こんな浅い紹介では著者に失礼になるかもしれません。ぜひ読んでほしい評論です。山村暮鳥研究には必読ですし、私のように宗教と文学の接点に疑問を持っている人にも明快な回答が与えられるでしょう。何より中村不二夫研究には欠かせない1冊です。



詩とエッセイ『想像』113号
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2006.7.1 神奈川県鎌倉市
羽生氏方・想像発行所 100円

<目次>
危うさの中の六ヶ所再処理工場
 ――アクティブ試験………………山口幸夫 2
レシピ詩集・夏………………………友田美保 6
再録 チェルノブイリ原発事故……羽生槙子 8
詩・ローレンツと動物………………羽生康二 12
鎌倉・広町の森の春…………………羽生槙子 15
藷・「紅菜苔」ほか…………………羽生槙子 16
花・野菜日記06年5月………………………… 19



再録 ソ連・チェルノブイリ原発事故/羽生槙子
(「想像」33号86・7・1)

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「ソ連で原発事故か」
と新聞に最初に報道されたのは一九八六年四月二九日
東欧に異常放射能が降りはじめる
子どもに予防措置としてヨウ素剤をのませた国
子どもと妊婦の外出をとめた国
子どもと妊婦が新鮮な牛乳をのむのを禁じた国
スウェーデンでは
子どもを砂場などで遊ばせるなと警告した
ソ連の日本大使館は モスクワ在住日本人家庭に
ソ連製牛乳をのまないよう指導連絡をして
スウェーデンから牛乳をとりよせた
では ソ連キエフに住む人はどうなる
キエフに住む大学教授は
「わたしは老齢だからいいが 子供や孫は
 キエフからほかの所へなんとかして出したい」
といった

わたしは 広島の原爆直後の
「広島に落ちたのは新型爆弾だそうな」というのを
瀬戸内の海辺の台所の土間できいたときの
目の前がまっ暗になってしまったときの
衝撃と絶望感を 持ったまま生きている
それと同質の絶望感を いま世界中のおとなたちが
世界中の子どもたちに向かって
持てと強いている
砂場で遊ぶのが子どもだと
新鮮な牛乳をのむのが子どもだと知って言っている
そんなおそろしい「生」の思い知らせ方を
わたしたちの世代 つまりわたしが
いま子どもたちに向かってしていると
ニュースは刻々伝えてくる

 「一九八六年四月」の「ソ連・チェルノブイリ原発事故」から20年。「再録」という形で当時の作品を載せています。「1」〜「3」の章立てですが、ここでは「1」を紹介してみました。目次でも判りますように本誌では「危うさの中の六ヶ所再処理工場」という論考も載せられており、それとリンクした作品と読むこともできます。「広島の原爆直後の」「衝撃と絶望感を 持ったまま生きている」作者が20年前の「絶望感」を再録した意味は大きいと云えましょう。



個人詩誌『思い川』20号
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2006.10.1 埼玉県鳩ヶ谷市
桜庭英子氏発行 非売品

 目次
<詩>
小舟に揺られて………………………桜庭英子 2
花椿……………………………………高島清子 4
ルリ色の土瓶…………………………桜庭英子 6
<寄稿詩>
娘が成人になったとき………………中上哲夫 8
<詩論/私論>
抒情の彼方 −詩の真髄への旅−…三田 洋 10
<詩の汀>
秋の日の午後三時/黒田三郎………<H・S>12
<瀬音>
忘れ得ぬ恋歌考(2)…………………桜庭英子 14
<詩>
ヒマラヤ杉から………………………桜庭英子 16
待つ……………………………………木全功子 18
ピエロの午後…………………………桜庭英子 20
ボタン…………………………………深津朝雄 22
挨拶……………………………………桜庭英子 24
<エッセイ>
白いワンピース………………………桜庭英子 26
<既刊号一覧>………………<創刊号〜20号>28
<今号執筆者プロフィール>………<H・S>29
<編集後記>………………………<桜庭英子>30



 小舟に揺られて/桜庭英子

川面を覗けば
さっき釣り落とした魚影もみえない
どこにも気配すらなく
いったいどこへ流されていったのだろう

ゆらり ゆらりと

この辺りで
もう岸辺に上がろうか
すっかり小舟も傷だらけ
夢の続きに棹さして
さされた後ろ指は
切り捨てる

あの日のさわやかな風の匂いや
川辺の草花の瑞々しさも
昔々のものがたりとなってしまった

ひとはみな
かくのごとく哀しいもの

くらい川底から
苔むした小石を潜りぬけて
今夜もまた
わたしの拙い比喩のごとく
取り戻せないことばかりが
枯葉となって流されてゆく

 20号の記念号と銘打っていますが、後記によると「ひとまず今日までの歳月で疲労した筆を一旦濯ぎたいと思う。再びお目に掛かれる日を楽しみにしている」とありますから、しばらく休刊するようです。紹介した作品はそんな心境を現していると思います。個人詩誌の発行を「小舟」に見立てていると思いますけど「すっかり小舟も傷だらけ」というフレーズには並大抵ではないご苦労が忍ばれます。そうやって日本の詩は支えられているのだと改めて感じた作品です。




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