きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.11 京都・泉湧寺にて



2006.7.5(水)

 銀座の「地球堂ギャラリー」に行ってきました。日本詩人クラブの詩書画展が7月31日から始まりますが、その下調べです。通りに出す看板の大きさ、ガラスケースの有無を確認しました。看板は大きさを測れば良いだけですから、これはすぐに終わり。問題はガラスケースです。高村光太郎直筆の手紙を表装したものを会員が持っていて、それを展示してくれるとのことですが、貴重品ですからね、ガラスケースに入れないとマズイと思っています。しかしギャラリーには無し。うーん、困った。借りてくるか諦めるか…。出品者とも相談してみますけど、光太郎は創設会員ですからね、なんとか展示したいものだと思っています。



川端 進氏詩集『日々是好日』
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2006.6.15 東京都調布市
ふらんす堂刊 2286円+税

<目次>
 T
えにし 8
花  10
水槽の水を取り替えていると 14
世相 18
現世お盆事情 24
礼服 28
春蘭 32
万両 36
脱け殻 42
 U
初夢 48
たとえ釣果はなくても 52
命名 56
人生行路 60
終戦まぢかの夏のある日のこと 64
気晴らしに車を走らせていると 68
ぼくはたびたび釣られそうになった 74
フィッシャーマンズ ストーリー 78
川で拾った流木から 84



 ぼくはたびたび釣られそうになった

思い返せば
ぼくはたびたび
釣られそうになったことがある
流れにあわせ餌を落とし込み
たくみに誘いをかけ
流してくる
ぼくは
流れてくる餌を
騙されはしないぞ
騙されはしないぞと
見破りしては見送っていたのだ
見送っていたのだが
なかには
巧妙なのがあったりして
いかにも美味しそうなのだ
そんなのが流れてきたりすると
思わず飛びつきそうになったりするのだ
ぼくの炯眼をもってしても
こうなのだからね
まわりにいたぼくの仲間たちが
こともなく釣られていったのもわかる気がする
釣られていったが釣られていったまま
戻ってきた者は誰もいなかった
キャッチ・アンド・リリース
なんて言葉があるが
あれは偽善で
残酷極まりない
釣り上げられては放され
放されてはまた釣り上げられ
釣り上げられては御用済みとばかりに
放り出されるのだ
ごらん
ハローワークで
右往左往している姿
あの姿
ことによったら
ぼくだったかもしれないのだ
人生いろいろだなんて
言ってられないね
ぼくらは
<あれ ぼくら
人間だったかしら>
そして
釣り人はいつも
高いところにいるのだ
鬼かさごの顔をして
左団扇でね

 著者は詩人仲間では有名な釣り人で、釣三昧の日々を好日とうたった詩集です。ここでは釣られる側に立った作品を紹介してみました。この視点は面白いと思います。そして釣られる側を「ハローワークで/右往左往している姿/あの姿/ことによったら/ぼくだったかもしれないのだ」としたところはまさに「炯眼」。会社という「釣り人」に釣られて、いずれは「御用済みとばかりに/放り出される」私たちにそっくりですね。そんなところは抑えた怒りで表現している作品も多いのですが、それも超えて「
日々是好日」。人生を達観した姿勢に魅了された詩集です。



館報『詩歌の森』47号
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2006.7.5 岩手県北上市
日本現代詩歌文学館発行 非売品

<目次>
郷土(パトリ)について 岡井 隆
文学館活動時評13 隔ての海を 高良 勉
詩との出会い14 川柳と五十年 猿田寒坊
連載 現代のこどもの俳句3 小島千架子
連載 現代短歌展望2 英語化という仮定 佐藤通雅
資料状況
詩歌関係の文学賞
第21回詩歌文学館賞贈呈式
日本詩歌文学館振興会評議員会報告・他
日録 後記



 英語化という仮定/佐藤通雅

 「恐らく短歌が、ジャンルとして役立たない時期がやつてくるでせう。それについては私は以前より悲観的でありますが、露骨に言へば私の生きてゐるうちだけでも此の詩型が続いてくれれば、それで充分なつもりなのです。」
 宮柊二が「〈短歌美〉を内側より支へるもの」で、このようにいったのは一九五四年のこと。それを久しぶりによんで、短歌滅亡論のことがしきりに去来した。敗戦後、否定論、滅亡論が他分野からの論者からも噴出した。結局短歌は滅亡しなかったし、宮柊二亡き後も一見繁栄している。なぜ、短歌が生きつづけることができたか。その大前提として、日本語が廃棄されなかったことがある。否定論も滅亡論も、大前提のもとになされたにすぎない。こういういいかたをすると、突飛な感じもするが、占領政策のとき天皇制廃止が論議された。そして日本語を廃棄して英語にすることもちょっとではあるが話題になった。母国語を強制的に廃棄するなんて――と、いまの私たちなら思う。が、わが国には、他国に日本語化を強制した歴史がある。結局、天皇制も日本語も存続したが、あの一九四五年を境に英語化を強制される可能性はゼロではなかった。いまでは「仮に」の話になるが、もし仮に母国語が廃棄されていたなら、短歌は生きのこることができただろうか。五七五七七の形式、韻律、その他積み上げられてきた多くの技法は、どうなっただろうか。
 この仮定を折にふれて反芻していたが、「仮に」ではどうにもならないと引っ込めてきた。ところが近年、もしかして若手を中心とした作品傾向は、戦後六十年かけて、わがほうから英語化を実行してきた、その結果ではないかという気持ちがつのってくる。
 つまり、こういうことだ。母国語が使用禁止となっても、短歌が遺伝子化している日本人は英語を使いながらも、定型にちかい短詩を作るだろう。もっとも、韻律の微妙なところはとうてい表現できない、できないが、やはり作らずにいられない。それをとりあえず英短詩といっておく。日本語をすてがたい人が、ひそかに英短詩を日本語訳にしたとする。すると、現在の若手の作品の様相を帯びてあらわれるにちがいない。
 べつの面から傍証することもできる。この数年、短歌の英語訳化がかなりなされている。結城文の『DROPS OF DEW』、川村ハツエの『国際化した日本の短詩』(共著)『白い手紙』(斎藤史原作)などがその一例。両者とも歌人だから、なんとかして定型の綾を英語化しようと苦労している。それにもかかわらず、たとえば斎藤史の英訳から原作がうかんでくるかといえば、否である。原作を知らない人が日本語訳をこころみたなら、かなりの別物になってしまう。その別物と、短歌の遺伝子を脱落させ、形式だけを守っている新傾向とかなり符合するのである。このことを逆にいえば、威儀をただした歌人の歌よりも、新傾向のほうが翻訳しやすいということになる。
 現在、日本語がなおざりにされ、英語がもてはやされているのは、もちろん占領政策のためではない。アメリカの世界制覇の目論見が、グローバル化の美辞麗句によって隠蔽されていると、後世の史家は判定するかもしれないが、当面はあからさまな強制によるのではない。しかし、世界化、グローバル化をめざして疾走しているのは誰の目にもあきらかだ。私は長年高校で国語教師だったからよくわかるが、文化の最先端をゆくがごとく自信たっぷりなのは英語教師であり、国語教師は片隅でいじけているのを常とした。英語化、言語のグローバル化に、戦後六十年かけていそしんできた結果、堰を切ったように新傾向が出現したのである。
 現在、あちこちで世界遺産登録を競っている。私は、なにはさておいても登録すべき日本の遺産は短歌だと考えてきた。それが危機に瀕している。
 が、もしかしたら定型が命脈をたもつかぎり、新たな歌の再生する可能性はあるのではないか、その望みだけは、すてないでいる。(さとう・みちまさ 歌人)

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 「連載 現代短歌展望2」として載っていた論考で、重要な指摘が多いので全文を転載させていただきました。本文は18字詰めになっていますが、ここではベタとさせていただきました。
 「日本語を廃棄して英語にすること」も「わが国には、他国に日本語化を強制した歴史がある」ことも事実です。それを踏まえた上での「若手を中心とした作品傾向」は、短歌には門外漢の私にも納得できるものがありました。「アメリカの世界制覇の目論見が、グローバル化の美辞麗句によって隠蔽されていると、後世の史家は判定するかもしれない」という指摘も的を射ていると思います。定型の短歌だからこそ顕在化した「英語化」かもしれませんが、この視点は詩にも必要なのではないかと感じた次第です。




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