きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.6.11 京都・泉湧寺にて |
2006.7.13(木)
小田急線経堂駅近くの「Mame de Cafe」という店に行ってきました。画家・尾崎尚寿さんが明日からイタリアへ行くというので、その壮行会という位置づけです。集まったのは親しい人たち5人ほど。19時半から23時という遅い時間だったせいか、ほとんど貸切状態で、良い雰囲気でした。
写真は尾崎さんの絵が飾られた壁を背景に演奏するお二人。左は歩いて日本列島を縦断したという大友さん。三鷹で自然食品のお店を経営しているそうです。右はこの春大学を卒業したばかりという方。大友さんのギターに合わせてベースを弾いてくれました。
この店も自然食品指向で、豆腐料理がたくさん出てきて、私好みでしたね。ビールも「よなよなエール」というのが出てきました。コクのあってラガーとは一味違っていました。日本酒は福島県の「田村」。これは初めてでしたが日本酒らしい日本酒でした。赤ワインも美味しかったです。
で、帰宅は午前1時ちょっと前。無職というのは良いものだとつくづく思いましたね(^^;
○詩誌『軸』86号 |
2006.7.10
大阪市鶴見区 山本英子氏方事務局・大阪詩人会議発行 600円 |
<目次>
詩
詩(じんせい) 佐相 憲一 1 はまち 椛島 恭子 2
扉を開いて 迫田 智代 2 誤射 竹島 修 3
戦艦大和 脇 彬樹 3
新会員作品
同じ空気 幽間 無夢 4 争い事 幽間 無夢 4
かくれんぼ みくもさちこ 5 逃げへん 臼杵かぼす 6
詩と写真
フェスティバルゲート 原 圭治 8
詩
窓 松本千鶴子 9 夜叉ケ池 和 比 古 10
信号灯 佐古 祐二 10 手 おれんじゆう 11
進軍ラッパがなりだした 山本しげひろ 12 産まれる 木村 勝美 13
投稿作品
飛行機雲 白井 竜未 14
詩
米を研ぐ 玉置 恭介 14 おほさか暮色−栗栖川 玉置 恭介 15
おほさか暮色−栗栖川より 月 玉置 恭介 16
裂かないでおくれ 必守 行男 17 夜鳴きそばの八ミリ 必守 行男 17
春に歩めば 清沢桂太郎 18 些細なことなのだろうが清沢桂太郎 19
エッセイ
得手・不得手 松本千鶴子 20
詩
乾杯 やまそみつお 21 JR片町線の駅から 高倉 英二 22
悲しき伝書鳩 畑中暁来雄 23 夢幻 しかやまぶん 24
インターネット しかやまぶん 24 足湯 脇 彬樹 25
報告エッセイ 九条の会詩人の輪 関西のつどい満員の大盛会 位相 憲一 26
受贈詩誌紹介 受贈詩誌・詩集等 30
お知らせ 軸87号原稿募集 32 『詩人会議』を読みませんか 32
編集のおと
表紙絵 山中たけし
信号灯/佐古祐二
蛇行しつつ遠くとおく消えてゆく鉄路
霙(みぞれ)のじびじびとしたうそ寒さ
たたずむ転轍機
灰色の風景のその中にあって
信号灯のにじんだ赤だけが
この世界をぼくのこころになじませる
わが人生にとって
それはまるで
朝の食卓に置かれた
ひとつのもぎたてのトマトだ
「じびじび」という擬態語がよく効いていますね。確かに「霙」にはそんな雰囲気があります。ジメジメでもベトベトでもない「じびじび」。作者の言語感覚の冴えを感じました。
「信号灯のにじんだ赤」は「わが人生にとって」「朝の食卓に置かれた/ひとつのもぎたてのトマトだ」という感覚も素晴らしいと思います。逆境を撥ね返す力を感じます。短詩ですが作者の持ち味が十分に出ている作品と云えましょう。
○中四国詩人文庫1『岡隆夫詩集』 |
2006.6.30 岡山県岡山市 和光出版刊 1000円+税 |
<目次>
自選詩
峠 1970・8
バラの花をかぞえはじめて 1981・12
髭 1981・14
刺殺祭 1990・17
皿廻し 1993・20
たとえば梅の木 1997・24
イキイキ・ゴンボ 1999・26
麦をまく 2004・28
詩
〔第10詩集〜第15詩集より 1990〜2005〕
咲きほこり咲ききって 2004・34
わたるで踏切 2004・36
火の鳥 加楼羅 1999・38
ワインのつぶやき 2005・38
源 1999・39
草庵をあむ 2004・40
サボテン 1999・42
とうもろこし 1999・43
じゃがいもの芽 1997・44
石蕗 1997・45
ひょいひょいと石段を 1997・45
ねじれたキュウリ 1997・46
叢の細長いやつに咬まれ 2004・48
突堤の淵 1997・49
いたち 1997・50
ご祈祷の札 1999・51
耕さん 1993・51
沈丁花 1993・53
火を焚く女 1993・54
車輪の横 1999・56
立春の蛙たち 1997・57
いちじく 1997・58
サヨナラ 1997・59
ユキばあさん 1999・60
斜め小路 1993・62
老女 1999・64
ぐうたらとガムシャラ 1999・65
焦げめのついたさつま芋 1999・66
〔第6詩集〜第9詩集より 1978〜1987〕
景子のほほ笑み 1981・67
玉 1987・68
川 1978・69
小鳥と杭 1981・71
桜島 1978・71
死につづける 1984・72
まんねんろうの花 1978・72
娘のための祈り 1981・74
人参ばあさん 1984・74
レンコンの歌 1981・75
隣りの部屋にだれかが 1984・76
九十度に腰を折り 1987・78
窯を毀す 1981・80
列車 1978・82
車中にころがるコカコーラ 1978・83
多美子へのもう一行 1981・85
男と女が重いカバンを 1981・88
Family Reunion 1984・88
娘が塩鮭を 1981・89
老父の末期 1981・90
鬼ヤンマのように 1987・91
引き潮 1981・92
花たちの社会 1978・93
スアード 1978・94
ひとたびバラのトンネルをぬけると 1978・95
蕾のままの山茶花 1987・96
絵美子の頬笑み 1987・97
夢売商人 1978・98
口と唇 1983・99
〔第1詩集〜第5詩集より 1965〜1975〕
六条院 1975・100
けし 1975・101
水島 1965・101
波 1968・105
母 1965・105
経をとなえ 1975・107
棟上げ 1975・108
死海 1975・110
玄関 1975・111
となりのばあちゃん 1975・112
連結 1961・113
老残 1975・114
解説・115
峠(たむけ)はるかなり 蒼わたる
年譜・121
詩集
第一詩集『詩情への訣別』三宅忠明発行、1961.
第二詩集『山の爪』岡山、火片発行所、1965.
第三詩集『銀葉アカシア』火片発行所、1968.
第四詩集『アンチ・デモクラシー』岡山、詩脈社、1970.
第五詩集『追う』詩脈社、1975.
第六詩集『病める水仙』詩脈社、1978.
第七詩集『バラの花を数えはじめて』岡山、手帖舎、1983.
第八詩集『蒸気と化し雲と化して』手帖舎、1984.
第九詩集『アマシをくらう』手帖舎、1987.
第十詩集『岡隆夫詩集』東京、表現社、1990.
第十一詩集『岡隆夫の資産』岡山、ブロス、1993.
第十二詩集『身づくろい』東京、思潮社、1996.
第十三詩集『ひそやかにしゃがみ』東京、沖積舎、1999.
第十四詩集『麦をまく』東京、青樹社、2004.
第十五詩集『ぶどう園崩落』青樹社、2005.
水島
昭和二十年の冬のある朝
僕はB二九爆撃機を見上げながら
一目散に家をめざして下校していた
その時小石に蹟づいてクレヨンを道にバラまいた
小学一年だった
学童たちの走る中
恐怖をかみしめ堪えながら
僕はクレヨンを一本ずつ拾って箱に並べた
近所の六年の真ちゃんが
バカな奴そんなものは放ったらかして
早く家へ帰れ!
と言わんばかりの皮肉な眼差を向けて先へ急いだ
右手山麓の高射砲がスドーンと鳴った
水島の飛行場を守るための高射砲だ
夢の中で恐ろしい悪魔に追いかけられても一向に
逃げられないような切迫した恐怖感に襲われ
家を目指して走りつづけた
うしろから突き倒そうとするほど押す者がいた
兄だった
前に立った兄は僕がつまずきそうになるほど
僕を引張った
スドーンと高射砲がまた鳴った
数秒後に高梁川の堤の方へ
黒煙を引いて飛行機が落ちて行った
狼狽し切った母が二人の息子を見て
抱き込み二つの頭を頬で強く押え
前庭の防空壕の中へ引張り込んだ
防空壕の中には水溜りがあり
その縁に薄氷がはっていた
その水溜りにチラッと光るものがあった
飛行機の影だ
「水島がやられた
工場も飛行場も全滅だ」
水島へ砂や砂利を運ぶ運転手の朝鮮人がいった
僕らの家に投宿していた労働者たち――
何にも分らない僕にも朧気(おぼろげ)ながら
日本は負けだという気がして
母の前掛けに顔をうめて涙ぐんだ
子供心に水島は要衝だと思っていた
僕らが防空壕に入っている時も
父は厚い藁蒲団の上に横たわって家の中にいた
空襲警報のサイレンと爆音と
高射砲の音を耳にしつつも
どうすることも出来ず呻いていただろう
あるいは半ば諦らめきって
その春父はついに過労と栄養失調と
肋膜炎のために亡くなつた
蒔いた種を世話することも
取り入れることもできず
総て中途半端のまま
ガランとした家に 母と
小学五年の兄と一年の僕と三歳の妹と
母のおなかに赤ん坊に残し
その夏の初め
焼夷弾が雨露のように岡山市に降らされた
真赤に焼ける市街
三十キロの遠方からでもはっきり見えた
地獄の絵巻物だった
それから十数年後
福田村から水島鉄道を横切ると
区別のつかぬ一様の多くの舎宅に出る
三菱工場の舎宅だ
そこを通り抜けると二階建ての古ぼけた
兵舎が立ち並んでいる
それをさらに西に抜けると
凸凹だらけの大通り
以前の軍用道路だ
自衛隊のジープの行き交う挨だらけの
この道路を僕らはたびたび
夏草の生臭いにおいを嗅ぎながら
港に向ってペダルを踏んだ
道の右側にガラス張りの飛行場の鉄骨のみが
戦後十数年経っているというのに
ガラスの破片をつけたまま
無残にもその遺物をさらしている
真夏の酷しい光がその破片に反射し
その周辺は見渡すかぎりの荒野だ
水島は日本の「西部」
そして国内の植民地
水島港の左岸の堤防を南東に下ると
海水浴場がある
泳いでは浜にかえり
浜にかえっては砂を掘ってあさりを拾い
蟹を追い蛤を探った
干潮時を目がけて遠くまで引き潮と共に沖に出て
タコをとりメバルをすくった
それから数年後
荒莫たる葦の沼地に杭が打たれ
鉄条網が張りめぐらされた
今までガランとした水島が
水島臨海工業地帯に生れ変る
最初の杭打ちだった
目次でも判りますように1965年から2005年までの40年間の主要な作品の抄録です。岡隆夫という詩人の全体像を掴む絶好の詩集だと思います。紹介した詩は1965年とありましたから著者27歳頃の、最も初期に近い作品と考えられます。著者の原点とも云えるでしょう。戦争の恐怖を「小学一年」の眼で見ています。「夢の中で恐ろしい悪魔に追いかけられても一向に/逃げられないような切迫した恐怖感」、「狼狽し切った母が二人の息子を見て/抱き込み二つの頭を頬で強く押え/前庭の防空壕の中へ引張り込んだ」などのフレーズに体験者の証言の強さを感じます。また、中学校の社会科で習った「水島臨海工業地帯」の成り立ちも興味深いものでした。お薦めの一冊です。
○山佐木進氏詩集『ひぐらし三重奏』 |
2006.6.25
茨城県龍ヶ崎市 ワニ・プロダクション刊 1500円+税 |
<目次>
T 坂道
奏 10 納得 12
礼 14 目白 16
三年坂 20 かがやき 22
U 風来
旅立ち 26 昼物語 30
春 34 ほろよい鳥の歌 36
まだら夢 40
V 幼年
しゅわきましえり 44 背中 46
げえろっぱぜ 50 お祭り 54
い 58 風景 60
ひそひそばなし 62
あとがき 64
納得
梯子坂を おりてのぼって
抜弁天
暑さでゆだっている夏の大通りで
風鈴がなっている
ちゃっこい酒屋に立ち寄る
ここで眠っている
べらんめえ詩人のNさんの墓に
鬼ころし を供えて手を合わす
お供えしながら
ちびりとコップ酒をたしなむ
詩が刃物であり 花であることを
最もわきまえていた詩人の墓前で
自分の口元を清めさせてもらう
荒縄のように
ねじれていく日本列島を背負わされ
むなしく沈んでいった人たち
死 と呼ぶに値しない殺されかたを
させられていった人たち
そういう他者の生を
あなたは生きようとしたのかもしれない
その 納得できない叫びを
あなたは叫ぼうとしたのかもしれない
詩集タイトルについて「あとがき」で「人生のたそがれ時に、たそがれ三部作というものをイメージしながら書いてきた。しかし今、たそがれという言葉は少し手垢がつきすぎた感があるので、〈ひぐらし三重奏〉とした。ひぐらし、その日ぐらしの意味も含めて」と書いています。このことからも判りますが潔さが感じられる詩集です。
紹介した作品の「べらんめえ詩人のNさん」は鳴海英吉さんで間違いないでしょう。鳴海さんを「詩が刃物であり 花であることを/最もわきまえていた詩人」と捉えたのは見事です。「そういう他者の生を」「生きようとしたのかもしれない」鳴海さんへの鎮魂歌であるばかりでなく、山佐木進という詩人の眼の確かさを表出させた作品だとも思います。一読をお薦めしたい詩集です。
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