きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.6.11 京都・泉湧寺にて |
2006.7.17(月)
海の日で世間は休日。毎日が休日の私には関係ありませんけど、それでも娘がゴロゴロと家に居たりしますから、あぁ世の中は休みなんだなと感じます。退職して2カ月半、まだ慣れていない部分はありますけど、仕事のことはすっかり忘れていますね。順応性が高いと云うか、薄情と云うか、生まれてこの方、ずっとこんな生活をしているような錯覚に陥っています。わが世の春(^^;
○詩誌『孔雀船』68号 |
2006.7.15 東京都国分寺市 孔雀船詩社・望月苑巳氏発行 700円 |
<目次>
特別寄稿
*エッセイ 韓国を代表する映画監督、詩人河 韓成禮 6
*エッセイ ブルース・リー世代に捧げる 河詩人 10
*詩 蒲田駅前地下道/望月昶孝 16
櫻餅/岩佐なを 19
子葉声韻/高貝弘也 22
空地考/川上明日夫 24
からくり人形/大塚欽一 26
不動通りで/小林あき 28
消失する意識/文屋順 32
ある夏の日に/堀内統義 34
青空/洋子 38
*連載 絵に住む日々《第十四回》みやまがらす…リチャード・グッド拾遺 小柳玲子 40
*試写室 紙屋悦子の青春/狩人と犬 最後の旅/花田少年史 幽霊と秘密のトンネル/深海/マッチポイント/ユナイテッド93/記憶の棘/愛と死の間で 赤神信&桜町耀・選+国弘よう子 44
*孔雀船画廊(17) 岩佐なを 48
*リスニング・ルーム/竹内貴久雄 50
*吃水線・孔雀船書架/竹内貴久雄 52
*連載エッセイ 眠れぬ夜の百歌仙夢語り《第五十四夜》 望月苑巳 54
*詩 対数螺旋の進行/新倉葉音 61
羽虫/谷元益男 64
老い/間瀬義春 66
追う/間瀬義春 68
はるのやよいの/福間明子 69
マリーの鸚鵡/尾世川正明 72
プレパラートな夜に/望月苑巳 74
キリコの迷宮/望月苑巳 76
バースデイ・キャット/松井久子 78
気象台/藤田晴央 81
さくら 手筒花火/紫圭子 84
ロプノールの湖畔にせきあえて/朝倉四郎 87
卯の花腐し/脇川都也 90
*エッセイ インプレーザ 田中弘宣
*連載 アパシュナータPARTU(32) 辻征夫の詩について〜リアリズムとリリシズム 藤田晴央 100
*航海ランプ 110 *執筆者住所録 109
気象台/藤田晴央
中学校の白く塗られた気象台の屋上には
ロビンソン風力計があって
小さなお椀がくるくる回っている
羽根がついた風向計は
いつだって風に向かって飛んでいくようだ
十三歳の少年は ある日
気象台前の小さな林で
友達と取っ組み合いをした
息をはずませて離れた後
少年は二度と取っ組み合いをしなくなった
相手にも自分にも
意外な体力がついていることを計測したからだ
気象を観測するように
自分を観測する日々
あの白い液体のほとばしるものも……
玄関前の百葉箱の白い格子は
秘密めいていたが
中には自記温度計と湿度計があるばかり
白いガーゼを濡らすように
少年は
胸の百葉箱にも水をたらす
高気庄と低気圧が押しあって
前線の片側はいつも濡れていた
十三歳の少年は
詩に興味がなかった
スカートの内側にも興味がなかった
ただもやもやとする白い雲の発生する
そのわけを不思議に思っていた
夜になれば
ラジオの気象通報を聞き取り気象図を書く
「ポロナイスクでは北東の風、風力5
くもり、13ヘクトパスカル、氷点下11度」
少年の知らないポロナイスク
「ウルルン島では東の風、風力3
晴れ、18ヘクトパスカル、7度」
少年の知らないウルルン島
「南鳥島では天気不明、20度」
気温はわかるのに天気不明
「ザワーグからは入電なし」
眠っているのだろうか
十三歳の少年は
等圧線をつなぎながら
内部に大きくのびている前線を
越えていく
しなやかに
いや
くもの巣を破るように
「ラジオの気象通報を聞き取り気象図を書く」とは懐かしいですね。私の子供の頃は「ヘクトパスカル」でなくミリバールでしたが、今でも「ラジオの気象通報」というのはやっているんでしょうね。それにしても「高気庄と低気圧が押しあって/前線の片側はいつも濡れていた」というのは佳いフレーズです。ここでは「白いガーゼを濡らすように/少年は/胸の百葉箱にも水をたらす」から来ているのですが、実際の前線を想像してしまい、そのスケールの大きさを思ってしまいます。
作品は少年期の「自分を観測する日々」を描いた佳品で、「相手にも自分にも/意外な体力がついていることを計測したからだ」という具体性が生きていると思います。私自身の少年時代も回想しながら、ちょっと哀愁も感じながら拝読しました。
○詩誌『エウメニデス』28号 |
2006.7.12 長野県佐久市 小島きみ子氏発行 300円 |
<目次> 表紙写真・「ベンチの孤独」
詩論
多人称による物語き口説の眩暈のなかへ/小島きみ子 2
海埜今日子詩集「隣睦」(2005・7・思潮社刊)
詩
森のなかで/平林敏彦 10
あるいは花弁の塵の漂泊/松尾真由美 12
マリ・オン・ザ・ブリッジ/八島賢太 16
((mama))4 小島きみ子 20
マリ・オン・ザ・ブリッジ/八島賢太
一九〇七年パリ。二十七歳のギョーム・アポリネールは、マリ・ローランサ
ンに会うために橋を渡っている。彼が「小さな太陽」と呼ぶ、いくぶん浅黒く
茶目っ気のある、陽気な画家の卵だ。気のいいギョームには女友達は大勢いる
ものの、なぜか恋人に恵まれない。今度の恋も……不吉な予感を振り払うよう
に足を速める。マリが向こう岸からやって来る。歌のような詩の一節が浮かぶ。
手に手を取り 見つめ合おうよ
二人の
腕の橋の下の
疲れ果てた 永遠(とわ)の波よ……
阿倍野橋はミラボー橋ではないので下にセーヌは流れていない。永遠の波の
代わりに谷底を流れるのは、行き交う列車に乗り込んだ大勢の人波だ。腕時計
を見る。午後十一時半。平日のこの時刻、疲れ果てた波であることにちがいは
ない。金網越しにテールランプを眺めているうちに、近くの信号が青に変わる。
タクシーを止めなくちゃ。車道側に向かおうとして炊飯器に(?)つまずく。
ここはミラボー 忘れ得ぬ
二人の
恋を映すセーヌ
きみの姿 もう見えぬ……
一九一二年パリ。マリに捨てられたギョームは、いつになく感傷的な詩を書
かずにいられない気分でミラボー橋にやって来た。遠くに見えるエッフェル塔
がマリの姿に重なる。――八頭身だしな。五年前につくった詩の続きを考えて
いる。――詩というより歌だな。これが一番で、昔つくったのが二番。で、リ
フレインは――
鐘よ鳴れ 日々は
過ぎ去り ぼくひとり
かすかにブレーキを鳴らして車が止まる。「小さな太陽」の痩せた背を押し
てタクシーに乗り込ませる。マリは行き先を告げてからぼくの方を振り返る。
――気をつけて。運転手の人相をバックミラーで確かめて少し安心する。こん
なことが今まで何度あっただろう。そろそろなんとかしなくちゃ。軽く手を振
って車から離れる。発車する。もう振り返らない。阿倍野橋の下を列車が流れ
続けている。人波もまた。最近訳したばかりの歌を口遊む。
流れる恋も 水になって
流れる
人生気怠くて
望みだけが 烈しくて……
一九一三年ノルマンディ地方。友人の尽力でギョームはマリに再会する。和
解のために? そもそも諍いなどなかった。諍いがなければ和解もないだろう。
「やさしいゼウス」などと呼ばれていい気になっていた自分がなさけない。な
ぜか自分は愛されない男なのだ。この再会も無駄に終わるだろう。海岸沿いの
遊歩道。荒れた波を前にして、例の歌の最後を口遊む。
日々は過ぎて 戻り得ぬ
二人の
恋が消えたセーヌ
ここはミラボー 忘れ得ぬ……
なぜか今夜は人波が荒れているような……週末だから? 遠くに見える通天
閣がマリの姿に重なる。――五頭身だしな。炊飯器は、今日は、ない。阿倍野
橋を渡りきると巨大な陸橋だ。七箇所から集まる群衆を別々の駅へと振り分け
ている。最終列車に間に合うことをケイタイの画面で確かめる。陸橋の下の阿
倍野橋の更に下を、相変わらず列車の波が流れている。つくったばかりの替え
歌を口遊む。
……二人の
恋が消えた線路
ここは阿倍野 忘れ得ぬ……
替え歌も訳詩も歌ではない。――自分の歌をつくらないとな……。深夜の陸
橋を渡って駅へと足を速める。ミラボー橋も阿倍野橋もなくなりはしない。た
とえ無数の出会いと別れがあったとしても。もう振り返らない。歌をつくるた
めには、まず、生還しなければならない。駅はすぐそこだ。
*「ミラボー橋」の引用は「詩学」二〇〇三年十月号掲載の山田兼士訳による。
有名なアポリネールの「ミラボー橋」が「阿倍野橋」と重なるとは考えもしませんでした。おもしろいですね。「ローランサン」と「自分」の「小さな太陽」、「エッフェル塔」の「八頭身」と「通天閣」の「五頭身」、それぞれの対比もユニークです。「炊飯器」が出てくるところは大阪らしいし、最終連の「歌をつくるためには、まず、生還しなければならない」というフレーズも佳いですね。本歌取りにもこういう手法があるのかと感心した作品です。
○個人誌『風都市』15号 |
2006夏 岡山県倉敷市 瀬崎祐氏発行 非売品 |
□目次
生きがい/瀬崎 祐
ペダル /河邉由紀恵
ぬかどこ/河邉由紀恵
風信 /瀬崎 祐
□寄稿者 河邉由紀恵「ドッグマン・スープ」同人
□写真・装丁 磯村宇根瀬
ペダル/河邉由紀恵
夕暮れになるとおじいさんは自転車をこいで桃の湯に行く
カタカタカタとペダルの音をひびかせて区民センターの裏
を通りぬけるおじいさんはもうなにもかももとめるのに疲
れているおじいさんのかすんでゆく視力にしわがれる喉お
じいさんのうすれる記憶にかわいた体それでも湯気にあた
るとかわいた毛穴はわらわらとひらき汗がふきだしぬるめ
のお湯がしみてくればかわいた体はゆらゆらゆれていい気
持ちになるおじいさんはカタカタカタとペダルの音をひび
かせて桃の湯を出て誓願寺の黒板塀にそって自転車をこぐ
こいでこいでどこまでいってもつきない塀をすぎたと思っ
たら道が曲がりくらやみ坂をおりてさらに道を曲がって神
無辺の小路にきてしまった闇がギンネムの木立をぞろりと
おおっていたおじいさんはここにくるといつもあまいよう
なゆるんだようなへんな気持ちになるおじいさんのかわい
た体はねっとりとした闇によってしめってくる本当におじ
いさんの体はしんのしんまでしめってくる桃の湯はしずか
に思い出させてくれるところなのよしんぞうさあんしめっ
たこの場所で姉さんのようなおんなのひとはつぶやいた姉
さんのようなおんなのひとはいつも湯冷めしない足や腰で
体をあたためてくれたふっくらとした手のひらで背中をさ
すってくれたゆうらりゆらり姉さんのようなおんなのひと
の赤い蛇の目の傘がおじいさんのそばでゆれてまわってい
たとおいものまづゆれてつぎつぎにゆれてゆれくるものに
ゆられながらおじいさんはじぶんの体がもうどこにもみあ
たらないくらいいい気持ちになるおじいさんは自転車をま
たこぎはじめるカタカタカタとペダルの音をひびかせてお
く山の川のそばをこいでゆく
句読点がなく、ちょっと読み難いかと思ったのですが、どんどん読めてしまいました。不思議な作品です。「おじいさん」も「姉さんのようなおんなのひと」も不思議なら文体も不思議。「とおいものまづゆれてつぎつぎにゆれてゆれくるものに/ゆられながら」なんてフレーズは、読んでいてこちらも「ゆれて」くるような気分になりました。「ペダル」というタイトルも佳いですね。詩でしか表現できないものを書いている作品だと思います。
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