きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.11 京都・泉湧寺にて



2006.7.25(火)

 午前中は銀行の担当者が来て投資信託の話。午後は量販店の配送センターからTVが来て、その取付け立会い。何となく一日がワサワサと過ぎていきました。投資信託にしろTVにしろ、俗と言えばこれ以上俗なことはありませんけど、ま、世俗に生きているんだからしょうがないやと思っています。20代の頃のように箱根外輪山の開拓部落に住んで、仙人のような生活は肉体的にももう無理でしょうね。この上は世俗にまみれて生きるのみ(^^;



文芸誌『ノア』10号
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2006.8.31 千葉県山武郡大網白里町
ノア出版・伊藤ふみ氏発行 500円

<目次>

人さらひ/筧 槇二 2
スーの病気/右近 稜 3
ぼくだって/田中眞由美 6
きりん・ぞう他/伊藤ふみ 7
薄雲のながれる午後に/池尾邦子 8
春の雪/森下久枝 9
魔女の季節/小倉勢以 10
詩画/田村和子・武政 博 11
記憶の底/伊藤ふみ 12
凧/伊藤ふみ 14
エッセイ プレリードッグ/保坂登志子 16
詩 学童作品 18
エッセイ ザクロと玉ねぎ/馬場ゆき緒 19
小論 コレット/遊佐礼子 20
エッセイ 今年の花/菅野眞砂 26
エッセイ アート・ノート/望月和吉 27
随想 人生九十年/今井千代乃 28
童話 月へ行ったネコ/伊藤ふみ 29
エッセイ エシャレットとエシャロット/伊藤ふみ 30
詩 ノアの方舟/うこんりょう 31
編集後記 32



 記憶の底−南太田小学枚−/伊藤ふみ

電車が通過した
嘘がうしろを疾っていく
禁止された踏切を渡ったのは
わたしとヒデオちゃんとハルミちゃん
セーラー服の汗が驚喜していた
鬼子母神の階段を数えながら上がった
おおむらさきの躑躅の中から
赤ん妨の声が聞こえる
赤ん坊を喰い殺された母親の絶叫が
高商
(こうしょう)の山へこだまする
草笛をふき
トカゲに飛びのき
笹の芽で亀を編んだ
ヒデオちゃんとハルミちゃんとわたし
一年二組 磯野ひろ子先生
ちりちりパーマで赤い口紅くっきり
わたしは屋上で金網にしがみついていて立たされた
京浜急行の赤い電車が通過した
あの赤は先生のセーターの色 口紅の色
小さかったわたしの空は低くたれこめ
わたしは鬼子母神の子になりたかったのに
キリスト教の日曜学校に通い
きれいなカード集めをしていたんだ
学校の帰り道石を蹴って歩いた
ハルミちゃんとわたしとヒデオちゃん
三人とも自分の石をけとばし続けて
どこかへ行っちゃった

電車が通過した
わたしはもう絶対あそこにはいないのに
あの踏切を渡って
高商の夕陽に染まりたくなる
私たちの南太田小学枚
トッチャンも駒ちゃんもミッコもいた
まさえにユミオちゃん
みんな遠い時代にひっかかったまま降りてこない
木造スロープや廊下
先生と行き交うと目礼
確かにかすれた記憶の切れ目で
あの時代が成立している
みんな いなくなって
みんな いる
南太田小学枚はもうじき学校を卒業するらしい
われら団魂の世代もじき社会を卒業するらしい

 「南太田小学枚」は横浜市にある小学校だと思います。ちょっと古いものですが手元の地図では南区太田町に見ることができ、「高商」はその西隣りの市立横浜商業高校のことでしょう。「京浜急行の」南太田駅から300mほど、住宅地の小学校ですね。近くに婦人会館があって、私は30年も前にそこに出入りしていましたから、近くの風景が蘇ります。今は亡き井手文雄先生を囲む会でした。
 「みんな遠い時代にひっかかったまま降りてこない」、「みんな いなくなって/みんな いる」というフレーズが佳いですね。横浜の地図を広げながら拝読していて、このフレーズで普遍性が出てきたと思いました。私にとっての「みんな」も「記憶の底」から浮かび上がってきました。



詩誌『蠻』145 終刊号
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2007.7.31 埼玉県所沢市
蠻詩社・秦健一郎氏発行 非売品

<目次>
【詩作品】
別れの街/佐藤 尚 2
時間の容器/山浦正嗣 4
エフェソスの遺跡にて/藤倉一郎 6
死をこわがるあなたへ/藤倉一郎 8
二羽のからすの対話/藤倉一郎 11
【俳 句『首夏の虹』五句/川端 実 14
《エッセイ》
消えゆく蠻に/川端 実   14
「轡」終にあたって/佐藤 尚 15
蠻と生きて/近村沙耶 17
【短歌日記】穂高夕子 19
《エッセイ》正岡子規4 子規とカリエスと短詩文学/川端 実 22
《小説》人の心の花にぞありける/中谷 周 42
《小説》沈黙の太陽(6)−聡太郎の山荘日記−/秦健一郎 54
[受贈御礼] 70
[同人住所録] 71
【詩作品】
夢の中へ/近村沙耶 72
さくら/穂高夕子 75
月見草/穂高夕子 76
別離/井上勝子 78
また いつか ふたたび‥…/いわたにあきら 80
【編集後記】おじぎ草 82
〈表紙題字〉故難波淳郎画伯 〈装幀〉佐藤 尚



 また いつか ふたたび…/いわたに あきら

最後の季節の
さいごの 日に
無防備な街の灯のまたたきが
かなしく笑いかけている

灯のむこうに横たわる地平線との間には
耳のない兎が聞きみみをたてているだろうか
眼のない魚が後戻りの橋を探しているのだろうか
樹々はリズムのない音を奏でているのだろうか

こころの痛みをこらえて
夕月が いま 野晒しのなかに沈もうとする
街のなかに散逸してしまった詩
(うた)たちは
街灯が弔葬のうたをうたう擬態のなかで
ふとった魂の復活を待って
憮然と横たわっている

傷ついた夕日の燃えがらは
鴻巣の街並みの果てる先の
漆黒の闇のなかで惰眠を貪るのだろうか
地底のマグマに同化してしまうのだろうか

さよなら 蠻
夕日まみれの 蠻
また いつか ふたたび
あの あさひになって帰って来い!

 封筒を開けると表紙が見え、おなじみの「蠻」の題字。その下に「蠻145終刊号」。終刊号? えっ、嘘でしょ! と思わず叫んでしまいました。中には終刊の挨拶状があり、すぐに編集後記の「おじぎ草」を読むと、そこにも秦主宰の終刊の挨拶がありました。間違いではないのだなと自分を納得させました。
 多くの全国の詩誌を拝読していて『蠻』誌は毎号楽しみに待っている同人誌のひとつです。秦健一郎氏より頂戴した『地果つる処まで 油屋熊八物語』に刺激されて湯布院まで旅行したのも、元はと言えば『蠻』とのご縁です。残念です。前主宰早川琢氏より『蠻』を頂戴してから拝読するようになり、その早川氏が亡くなったときもショックでしたが、早川氏のあとを引き継いで8年も続いたあとの終刊ですから、今回の方が衝撃は大きいかもしれません。

 いろいろ事情もおありのようですから、これ以上関係のない者がとやかく言う筋合いはありません。身銭を切って発行し続けた同人の皆様に、長い間拝読させていただいたことを感謝します。この上は紹介した作品のように「また いつか ふたたび/あの あさひになって帰って来」てくださいと願うばかりです。ありがとうございました。力量のある皆様が今後それぞれの処でご活躍なさいますことを祈念しております。




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