きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.11 京都・泉湧寺にて



2006.7.27(木)

 たぶん10年ぶりぐらいだろうと思いますが漫画の単行本を読み始めたら止まらなくなりました(^^; 娘推薦の『DEATH NOTE』。11巻まで一気に読みましたけど、まあまあかな。発想は面白いです。死神からもらった死のノートに相手の名前を書くと、その相手は書かれた通りに死んでしまうというもの。面白かったんですが7巻、8巻あたりは結構間延びしていました。小説を書いていた時期がありますので、その辺の作者の心境はよく判ります。映画にもなっていたようですから観た人もいらっしゃるかもしれませんね。
 しかし、それにしても親娘の共通の書が漫画とは情けない。しばらく前は同年代で芥川賞をとった金原ひとみなどが共通の話題になりましたけど、今は漫画だからなぁ。まあ、そうやって推薦してくれることだけでも可としましょう。



薬師川虹一氏他訳
シェイマス・ヒーニー詩集『電燈』
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2006.6.30 東京都豊島区
国文社刊 2300円+税

<目次>
第一部
トゥームブリッジにて 12
スズキ 13
ルピナス 14
鞄から 15
バーン渓谷の牧歌 23
モンタナ 27
馬房 29
ターピンの歌 35
国境作戦 37
馴染みの世界 39
アストゥリアス小讃歌 47
バリナヒンチ湖 50
洗濯物の社 52
赤 自 青 54
 1 赤 54
 2 白 55
 3 青 57
ウェルギリウス「牧歌」九 60
グランモア牧歌 66
古代ギリシャからのソネット 71
 1 アルカディアへ 71
 2 トチの実遊び 72
 3 ピエロスの町 73
 4 アウゲイアース王の畜舎 74
 5 カスタリアの神泉 75
 6 デスフィーナ 76
ゲールタハト 77
実名 79
書架 90
ウィトルウィウス風 94
十の註解 96
 1 オレンジ党員の行進の季節 96
 2 教義問答 96
 3 橋 96
 4 一着のスーツ 97
 5 パーティー 98
 6 W・H・オーデン、一九〇七−七三 98
 7 いい勉強 99
 8 モーリングの註解 99
 9 煤 100
 10 ノルマン人の直喩 100
断片 101
第二部
ヒューズの一冊の詩集 104
オーデン風 109
ズビグニュフ・ヘルベルトの霊に 114
「生きていて欲しかったのに」 115
夜もふけて 119
アリオン 121
肉体と霊魂 123
 1 来世 123
 2 一九五七年 晩祷の後いつも 123
 3 遺族たち 124
クロンマニからアハスクローへ 125
川の流れ 128
病者を看取る 131
電燈 133
訳註 137
あとがき 187


 電燈

蝋燭の蝋が固まり 芯の煤で黒く筋が入って・・・
あの老いてすっかり変形した
親指のつぶれた爪は襞の入った真珠

襞がよった石英 まるでゴミが散乱したクーマイ
(1)の町
僕が初めて電燈を見た祖母の家で 祖母は毛皮の裏地が
ついたフェルトのスリッパのチャックをはずしたまま

来る年も 来る年も 同じ椅子に腰をおろし
大声を出しても囁き声にしかならない声で囁いていた
寝室で電燈がつけっぱなしにされた明かりのもとで

僕はお泊まりするようにと預けられ 布団をかぶって
泣きじゃくっていたあの晩 祖母も僕も 二人とも 必死だった
「どうしたの お前 どうしたの どうして欲しいの」

遠い昔の「どうしたの」とせっつくような歯擦音
船架台をピチャピチャと洗う怖い洞窟の海水のような音
祖母が途方にくれても僕はお構いなしだった

 *

ピチャピチャ チャプチャプ 祖母の予言めいたあの英語の渦巻き
まるで船と波止場の間でザブンザブンとはねる波の音
やがて この音に「うぶな」僕は夢中になるのだ

それはフェリーが波をかきたて 向きを変え ベルファスト湾
(2)
下って 朝の列車で 額を窓ガラスに押し当てての
旅立ちの時のこと「どこにいるのかね ほら 見つけた」

これこそ詩そのもの
飛ぶように過ぎていくイングランドの鉄道から見える
祖母の家の裏庭のような庭また庭 食肉収納器 手回し脱水機

貸し農園の叩いて固めた畝の中に立つ一本の案山子
それから町はずれのサッカー場 遠くに見える谷間
金襴平原
(3)のような穀物畑

僕は地下鉄から太陽の光の中に
(4)出て
テムズ川の「異郷の岸辺」
(5)で モヨラ川(6)の息吹を感じながら
サザーク
(7)にもやってきた

 *

僕が馬蹄型の背をした椅子の上に立つと 電燈のスイッチに
手が届いた 祖母の家のみんなが僕のやりたいようにさせ
僕を見ていた 小さなスイッチにちょっと触れると 魔法が働いた

ラジオのつまみ
(8)を一度まわすと ダイヤルのところに
明かりがついた みんなは僕がやりたいようにさせ
僕が世界のあちこちのラジオ局をさまようのを見ていた

突然 どの局も消え ビッグベンもニュースも終わった
ラジオのスイッチが切られた
家の中は灯火管制で カチカチと鳴る編み棒の音

暖炉の煙突の風の音 それ以外はまったくの静寂
祖母は毛皮の裏地のついたフェルトのスリッパのチャックを
はずしたまま座っていた 電燈が僕たちの上に輝いていた

僕は祖母の土の筋がついたフリント石のような爪と割れ目が怖かった
今でもやはりあの爪は デリーの土の中でロザリオと脊椎骨の間で
弦楽器の爪のように硬くピカピカのままにちがいない


訳註
1 クーマイ ウェルギリウスの「アエネーイス」に出るクーマイ(イタリア南部、カンパニア州北部、ナポリ県西部の古代ギリシャの植民都市)の巫女(シビル)のこと。彼女は常にアイネアースの傍に座して予言をなし、彼がシチリアからイタリアに向かう途中、カルタゴに漂流、女王ダイドーとの恋の後、冥界に下るのはこの巫女に導かれてのことである。
2 ベルファスト湾 北アイルランドの中心都市ベルファストが隣接する細長い湾。ベルファストにはブリテン島のグラスゴーヘ渡る船便もあり、国際空港もある。
3 金襴平原 カレー近郊ピカルディの平原で一五二〇年六月に、ヘンリー八世とフランス王のフランソワ一世の会見が行われた所。フランソワ王は皇帝カール五世に対抗し、イングランドのヘンリー八世の支持を得ようと、臨時の宮廷を建て、馬上試合、舞踏をし、黄金の布を敷いてもてなしたことからこの表現が生れている。
4 僕は地下鉄から太陽の光の中に 「地下鉄」(「ステーション島』三八九頁)で描かれたシェイマスと妻マリーの新婚旅行を重ねることが出来る。その時はロイヤル・アルバートホールでのプロムナードコンサートに出かけるためであった。これはサザークに行った時と同じ時期と想定される。
5 「異郷の岸辺」 G・チョーサーの『カンタベリー物語』プロローグ一三行参照。
6 モヨラ川 スペリン山脈に端を発する川。マニーニの北を流れ、トーバーモアの北でA29号線を横切り、ヒーニーの生まれ故郷モスボーンに一番近いカースルドーソン駅より少し北のモヨ
ラ・パークを抜け、カースルドーソンの町を貫流し、デリーガーヴとアナホリッシュの間を抜けて、やがてネエ湖に入る。ヒーニーの故郷を象徴する風物の一つ。第三詩集『冬を生きぬく』、「雨の贈り物」二二一六−四二頁)や第五詩集『自然観察』の「グランモア・ソネット(6)(三四八頁)でも歌われる。
モヨラ川 「実名」の註17参照。
7 サザーク ロンドン中部の地区。テムズ川右岸に位置する。ローマ時代の陣営地で、ロンドン市街で最も古い地域の一つ。多くの古い劇場があり、シェイクスピアの戯曲はこの地にあったグローブ座で上演された。またチョーサーの『カンタベリー物語』が始まる場所でもある。
8 ラジオのつまみ ノーベル賞受賞の際の講演『詩の功績』(Crediting Poetry)(九−二頁)で言及。また「四〇年代のソファ」(『水準器』二三頁)でも言及。

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 1995年にノーベル文学賞を受賞した英国領北アイルランド生まれのアイルランド詩人・
シェイマス・ヒーニーの第11詩集の全訳のようです。ヒーニーは1939年生まれですから現在66歳ほどでしょうか。本詩集の訳者は薬師川虹一氏の他に村田辰夫、坂本完春、杉野徹の各氏。いずれも同志社大学大学院で英文学を専攻した同窓の研究者の皆さんです。
 ここでは詩集の最後も飾るタイトルポエムを紹介してみました。作品「電燈」は2000年6月19日号の『ニューヨーカー』に発表したものとのこと。まだランプ生活をしていたヒーニーが「電燈」の「小さなスイッチにちょっと触れると 魔法が働いた」嬉しさを初々しく描いていると思います。第二次大戦を「突然 どの局も消え ビッグベンもニュースも終わった/ラジオのスイッチが切られた/家の中は灯火管制で カチカチと鳴る編み棒の音」と描いた連などは素晴らしいですね。イギリス、アイルランドの地図を見ながら鑑賞しましたがヒーニー研究には欠かせない1冊だと思いました。



二人詩紙『青金新聞』4号
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2006.7.15 群馬県高崎市
金井裕美子氏発行 非売品

<目次>
今月のお題 占い
 王の出現/青木幹枝 1
 豊作の祈りを込めた占いがいい/金井裕美子 1
古文書をめぐる顛末(1)/青木幹枝 2
詩 深い 深い 夏草の底で/金井裕美子 2
読者の広場 3



 深い 深い 夏草の底で/金井裕美子

名も知らない草々の中に
名も知らないおんなが抱かれている
名も知らないおとこの腕
(かいな)
深い 深い 夏草の底だ
古い石の道祖神だ

乳房にあてた手は
ほころんで
指先が欠けている
熔けてしまったのかもしれない
石になっても
おんなは熱いのかもしれない

見ているうちに
頬が赤らんでくる
おんなどうしは相通じて
誰にも見せたことのない恋する想いが
しぜんしぜんに洩れてしまう

夏草 真草 だまっていて
おとこのお顔にあの人を重ねて
おんなとおとこ
と わたし
だまって微笑んでいる

 女の「古い石の道祖神」が「深い 深い 夏草の底」に倒れていたという作品ですが、「おんなどうしは相通じ」るものなんですね。「石になっても/おんなは熱いのかもしれない」というこの感性はおそらく「おとこ」には無いでしょう。どうも即物的すぎるようです。私だけかもしれませんが…。
 最終連の「だまって微笑んでいる」というフレーズがこの作品を明るくしていると思います。蒸せるような「深い 深い 夏草」の匂いを吹き飛ばすさわやかさを感じました。




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