きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.30 東京・新宿



2006.8.1(火)

 日本詩人クラブ詩書画展で銀座「地球堂ギャラリー」に詰めていました。本日の来場者は41名。私の呼びかけに応じて日本ペンクラブ電子文藝館委員長の城塚さん、日本詩人クラブ元会員の幸治さんもおいでくださいました。城塚委員長とは今後の文藝館委員会のあり方などを話し合って、ミニ委員会という雰囲気でしたね。幸治さんは詩を書けなくなったから日本詩人クラブをお辞めになったそうですが、会場の作品を観て考えるところがあったようです。書けなくても辞める必要はないのではないかとお話させていただきました。そんなことを言ったら、私なんか何度も辞めなくてはいけなかったことになります(^^;

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 写真は後日のものですが会場入口の看板です。制作は絵も含めて森会員。派手な色遣いが多い銀座の中では、モノクロが逆に目立っていたかなと思います。ま、身贔屓でしょう(^^; 今日も大勢おいでいただき、ありがとうございました。



隔月刊詩誌『鰐組』217号
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2006.8.1 茨城県龍ヶ崎市 仲山清氏編集
ワニ・プロダクション発行 非売品

<目次>
論考 高橋馨/詩か、エクリチュールか 30
連載エッセイ 村嶋正治/詩集『風景詩抄』は何だったのか。11
連載時評 愛敬浩一/最近の同人誌から 19

村嶋正浩/早春賦 18
山佐木 進/牡丹町 4
吉田義昭/私の慣性 2
福原恒雄/もったいない時 12
白井恵子/花うつわ 6
利岡正人/氾濫 10
平田好輝/写真 8
小林尹夫/棲息25 24
佐藤真里子/夢の内と外 20
相生葉留実/戸締りをして さようなら 14
坂多瑩子/ヤギ 16
弓田弓子/人形 22
難波保明/南京 26
山中従子/死体をさげて一一〇 25
仲山 清 すはだに木綿のきみが 27

詩集評 愛敬浩一/鳳来、山佐木進とヤクザの竜二
執筆者住所録/原稿募集 44



 もったいない時/福原恒雄

きれいなことばできれいな野菜をそれなりにきざんでみせた
調理を
まずいまずいと
大仰に叫びあう番組が
つけっぱなし放置のテレビからぶきっちょにこぼれる
こやしとくすりで磨いたうつくしい畑からの
ありがたい食卓で
番組への献身を演出する頬はみんなふくらんだままで

(電源オフにすればいいのに)絵に釣られた半開きの唇を
慌てて閉じる
見せたくないよだれ
聞かせられるだけで口の端から乾いていった坊主頭のころの
食べるものが見えなかった空
いまもきれいなだけの街の頭上の絵(電源オフにしなくてもね)

食べようと寄ると皿から消えるのは
こうして眠って見る夢だからとわかっていながら
食べたい憧れを
六十年もまえに撥ねた箸がまだ指から離せない

場面
(シーン)
きれい好きのひとに囲まれて
卓のアンティークふうクロースのうえに
名まえを知らない料理がしなやかに並んで発光する
もうふるい舌は脱皮したという歓談が
しゃにむに忘却を煽る
ああいいきもちよねえと膝も開きそうにのりだして
すくない日照りに晒してきたふとんも忘れて

おれのフロアから合図をおくっても光る手で
払い退けられ
形状豊かな口の実りに
もったいないことかななんて洩れてしまう
夢見気分のふりするのは やはりなあ もったいない

 私は食べるということにあまり興味がなく、従って料理番組はほとんど見たことがないのですが、それでも「つけっぱなし放置のテレビからぶきっちょにこぼれる」料理番組を垣間見ることがあります。私にとってはバカをやっているなと思う程度ですけど「六十年もまえに」「食べようと寄ると皿から消える」経験をしている作者にとっては耐えられないものだろうと想像できます。それは「しゃにむに忘却を煽」られるものなのだろうと思います。この作品の「もったいない」は料理だけでなく、そんな人間の精神の「忘却」へも向けられていると感じました。



詩誌Void10号
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2006.7.31 東京都八王子市
松方俊氏発行 500円

<目次>
『詩』
みんな残らず食べちゃった/中田昭太郎 2
過ぎ去るのは季節ではない/小島昭男 6
松村彦次郎君を悼む/松方 俊 11
松村彦次郎・詩を演じる¥繪焔L録 13
砂嘴の浜辺で/森田タカ子 14
二人三脚は足の引っぱりあい/中田昭太郎 18
空蝉橋(うつせみばし)/浦田フミ子 24
日常V 蔵王/松方 俊 26
後記 30



 空蝉橋(うつせみばし)/浦田フミ子

夕ベ灯りつく 影絵の町
川を埋め立てて 橋がのこる
じゅうにさいの みつもりяセ
(しゅうた)
くりぬかれた 双
(ふた)つの目にも
蜜柑いろの あかりが灯る
地面の下 暗渠のなかを
海へ流れる谷端
(やはた)

      〇

六〇年まえの 午前四時 爆撃機の去ったあ
 とに
旧式の四尺旋盤を二列に並べた 海軍軍管工
場は火を噴
(ふ)いた。少年工 石戸甚一は逃亡し

たった二人きりの肉親 おさない弟のいる家
 の方へ
六〇年まえの焼跡のまちを
六〇年たって あるいている
くるまのゆききも途絶えた 暁
(あ)け方の
ひっそりとした都会が
うろおぼえの かすかな記憶のうえに かぶ
さるように ひろがっている
見知らぬ大通りの 交差点の名は
空蝉橋。
    (06・6・26)

 「川を埋め立てて」「地面の下 暗渠のなかを/海へ流れる谷端川」の「のこ」った「橋」の名が「空蝉橋」であり、「六〇年まえの焼跡のまちを/六〇年たって あるいている」その「見知らぬ大通りの 交差点の名」も「空蝉橋」であるのだろうと思います。同一の橋に流れる「六〇年」という時間を感じさせる作品です。「じゅうにさいの みつもりяセの/くりぬかれた 双つの目にも/蜜柑いろの あかりが灯る」というのは橋の欄干の蝋燭立てのようなものでしょうか、ここも巧いですね。詩的な橋の名前を上手く遣った作品だと思いました。



個人詩誌『犯』29号
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2006.8 さいたま市浦和区
山岡遊氏発行 非売品

<目次>
第一回『ヴィクトリアマイル』に捧ぐ
切断
夢遊病者のレクイエム
見えない熊
あとがき



 見えない熊

熊はいつ侵入し
いつ
去っていったか

フィルムに映った
胃の底には
くっきりと
熊が暴れた証拠である
爪痕が三本
残っていた

みえないものをみる
という行為は
詩人の特権のように囁かれているが
さて
その正体は」何であろう

囚われものの鳥への死姦幻想
残酷な祈祷
それとも
聖なる捏造ウィルスか

瞬間である
その侵入
時には強引でもある
粘膜を傷つけず
角度を変えながら対象物に迫り
彷復い 苦しみ
ついには標的を
温かい血とともに
光と肉感脳膜の
スキャンに映す

さすれば
熊は
美しい女医の声を聴くでしょう

 「熊が暴れた証拠である/爪痕が三本」とは胃潰瘍の痕跡のことのようです。「その侵入/時には強引でもある/粘膜を傷つけず/角度を変えながら対象物に迫り」というフレーズは内視鏡のことでしょうね。従って最終連の「熊は/美しい女医の声を聴くでしょう」というのは医師による治療と考えられます。
 「みえないものをみる/という行為は/詩人の特権のように囁かれている」というフレーズも佳いですね。医学は我々に見えないものを見えるようにしてくれましたが、しかし「詩人の特権」は決して崩れないと思います。詩学は医学では解剖できない、そんなことも考えさせられた作品です。




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