きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.30 東京・新宿



2006.8.4(金)

 日本詩人クラブ詩書画展の5日目。私の呼びかけで本日来ていただいた方は嵯峨さん、林さん。それに7月の日本ペンクラブ例会の二次会でお会いした銀座・風月堂の社長さん。ある会員に銀座5丁目のクラブに連れて行ってもらい、そこで社長さんとお会いしました。酔っ払った勢いで名刺代わりに案内状を差し上げましたけど、本当にいらっしゃるとは思いませんでした。風月堂は6丁目ですから近いと言えば近いのでしょうが、お忙しい社長業の合間においでくださったようで感謝です。
 嵯峨さんからは2000年に刊行した詩集2冊をいただきました。林さんとは初めてお会いして、1時間ほどお話させていただきました。お三人とも、ありがとうございました。

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 写真は一休みしている受付のお二人と森先生。看板の絵も描いてくれた森先生は、受付のお二人にあげるのだと絵を描いているところです。本日の来場者は40名。今までで一番少ない人数ですが、それでも毎日40名を超えたことになり、たいしたもんだなと思いましたね。おいでいただいた皆さま、ありがとうございました。
 18時で画廊を後にして、5丁目の「魚(とと)や」という店に行って夕食を摂りました。もちろんお酒つき(^^; 定番の「〆張鶴」と「浦霞」。何処ででも呑めるお酒ですが、なぜか美味い。一仕事終わった解放感と、銀座という土地の味かもしれません。新宿や池袋とはちょっと違った味わいでしたね。



嵯峨恵子氏詩集
『愛すべき人びと』
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2000.2.8 東京都新宿区
思潮社刊 2200円+税

<目次>
愛について 8    花の在りか 11
鳥のもとにて春 14  A12 17
頭にスがはいる 20  墓場とカラス 23
もっと自由に 26   父のカレー 29
熱烈歓迎 32     男というものは 35
新人 38       誘拐事件 41
通行人 44      倹約のすすめ 47
他人のふんどし 50  しなやかに強かに 53
金をドブに捨てるようなもの 56
忘れ去られる者 59  飛行訓練コース 62
それなりのこと 65  冬の朝顔 68
ひらひら 71     誰のための 74
煙草の害について 77 衣食足りて 80
川は流れる 83    コロネ 89
お茶の入れ方 92   山吹のなぎなた一本 95
青空 98       お茶の心得 101
マーキング 104
.   地上より 107
 あとがき 110    装幀 山田武



 マーキング

クロとは散歩にいって
まっすぐに歩いたためしがなかった
電信柱をはじめ
要所 要所に
マーキングという
オシッコかけをしてまわる
ためにジグザグに歩かされる
最初は盛大に出たしるしが
最後の方では一滴くらいのしみとなる
そうなっても足だけは上げるのである
習性とは恐ろしい
縄張りとか勢力範囲にこだわるのは
オスの特権だろうか
人間の男も
うろうろと落ち着きがなく
若いのも年寄りも
俺が 俺がといいたがる
女は「存在」だが男は「現象」に過ぎない*
とは
男の遺伝学者がいみじくも述べた言葉
女の中にはすでに男が含まれているから
女は不安がる必要がない
男は拠り所を求めて
役職や勲章を欲しがり
実物より大きく見せたがる輩が多い
酒場などで女たちを前に
知ったかぶりの講義を男が始めるたび
私は思い出す
上げた足を下ろし
上目づかいにこちらをチロッと見やりながらも
さっさと別の電信柱へと歩きだす
あのクロの後姿を

 *多田富雄著『生命の意味論』より

 あとがきに「気がつけば、前の詩集から八年近くの歳月が過ぎていた」とありますから久々の出版だったようです。タイトルの「愛すべき人びと」という作品はありません。作品のひとつ一つが「愛すべき人びと」というキーワードで書かれていると云っても良いでしょう。その典型のように思えて「マーキング」を紹介してみました。「多田富雄」の言葉も良いし「実物より大きく見せたがる輩」も良いと思います。さしずめ私などは「酒場などで女たちを前に/知ったかぶりの講義を」「始める」「男」の見本でしょう(^^; 身につまされますけど、まぁ、「愛すべき人びと」の一員と数えてもらえば良しとするか、と勝手な解釈をしています。



嵯峨恵子氏詩集『おかえり』
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2000.2.23 東京都新宿区
アートランド刊 2000円

<目次>
Tシャツの夏 7   走って走って 13
お墓まで 17     父のカレー 21
警察に火事を通報する 25
反響 29       LIKE A ROLLING STONE 33
夢では 37      誤算 41
日々はしづかに発酵し…… 45
三つ子の魂 49    山吹のなぎなた一本 53
お別れ会 57     置物 61
単純な世界 65    もう 69
おばあちゃんのところ 73
シネマのように 77  時満ちて 81
着物姿の母 85    毒を食らわば 89
盆休み 93      おかえり 97
 あとがき 103    装幀 山田武



 おかえり

母が帰ってきた
一年九カ月ぶりに
一壺の骨となって

あんなにも家に戻りたがっていた母は
あの日家にたどりつき
安心してあの世にいった

母を最後に見送ったのは
寒い雨の降る日だった
棺桶が家に入らなかったから
遺体は白い布にくるみ
母に添わせて
茶筅と茶さじを持たせた
それも解剖された後
いっしょに焼かれたはずだ

母は帰ってきた
もう一度 別れるために

(まち)はずれのお墓で
順子ちゃんと
お舅さんとお姑さんともいっしょになる
田舎のおばあちゃんのお墓にも
一部は撒いてもらうことになっているからね

おかえり
骨だけになって
おかえり
お母ちゃん

 71歳で亡くなった「お母ちゃん」への鎮魂詩集です。詩集の最後に置かれたタイトルポエムを紹介してみました。献体した母上が「一年九カ月ぶりに」「帰ってきた」のは「もう一度 別れるため」なのだと見るところに詩人としての姿勢を感じます。「市はずれのお墓で」「いっしょになる」「順子ちゃん」とは夭逝した妹さんのようです。私も産みの母と育ての母を亡くした経験があり、他人事とは思えずに拝読した詩集です。



ひるまかずなり氏風韻詩
『風船玉』
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2003.12.8 東京都練馬区
比留間一成氏発行 非売品

 目次
<題名>        <賛助出演>順不同
風船玉−銀座漫歩 1頁 朱淑眞 王翰 崔國輔
枝豆−向晩意不適 5頁 李商隠 李白
燗のつくまの間奏曲
.9頁
  血糖検査報告
診断−宣告    13頁 李商隠 干武陵 オマル・ハイヤム
養生−蜆汁    19頁 陶淵明,杜甫
夜沈沈      25頁 藤田東湖,李白
  瓢箪ぽっくりこ
幻想亭−REIKO
.  29頁 蘇軾



 夜沈沈−瓢箪ぽっくりこ

酒のみの医者あり
病状悪しきときも
日日一合の飲酒は百薬の長と

幕末の詩人藤田東湖 瓢箪と酒を詠じて絶妙
当代の詩人風羅 少々酒をなめて
眠れぬままに似て非なる
瓢箪ぽっくりこ をつくる

ふらふらとゆれるようでも ひょうたんは
お酒が入るとしんとたつ
ふらふらとゆれるは同じこの私
眠れぬ夜は瓢箪の
肌を愛でつつ独り酌む

一杯一杯復一杯
昨日という日は流れさり
今日という日は悩みの極み
盃をあげて愁を消せば
愁は沈沈 深まるばかり
汲めどもつきぬ瓢箪よと
たのみの底をたたいてみるが
ふらふらと危ふくすわる瓢箪が
倒れるころは私奴も
ごろりと横に手枕の

酒の入らぬ瓢箪は
愁をつめてすてましょか
いやいやそれはなりませぬ
愁は胸にじっと抱き

 「風韻」とは辞書によると趣き、雅致、風趣のこと。「風韻詩」とは雅趣のある詩と解釈してよさそうです。紹介した作品は詩書画展に出品されていたもので、最終連が色紙に墨書され本物の「瓢箪」が添えられていました。全行を初めて拝読しましたけど、さすがに趣きがありますね。「ふらふらとゆれるようでも ひょうたんは/お酒が入るとしんとたつ」は、瓢箪にお酒を入れて呑むなど風雅なことをやったことのない私には初耳でしたが、お酒が重りになるはずで納得できます。「ふらふらと危ふくすわる瓢箪が/倒れるころは私奴も/ごろりと横に手枕の」も佳いですね。酒呑みには嬉しくなる作品です。



季刊詩誌『新怪魚』100号
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2006.7.1 和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏代表・新怪魚の会発行 500円

<目次>
  山田 博(2)衣替
 曽我部昭美(3)奥つ城
  南村長治(4)最後っ屁をひとつ
佐々木佳容子(6)君の海
藤原よしきよ(8)不確実についての20行の思考
  桑原広弥(10)ストロベリーのための4つの小さな詩
  水間敦隆(12)祭り
  石橋美紀(14)空の果て
  林 一晶(16)芝焼き
  井本正彦(18)呼吸
  福島寛子(20)ペテ0はリストラでマグタラのマリアがキリストの後継者に抜擢だってさ
  寺中ゆり(22)ランボーの詩
(うた)
    沙羅(23)或日の心
  前河正子(24)証明
  有田順子(26)夕暮れ
  桃谷延子(27)介護日記
 五十嵐節子(28)夜のフーガ
  武西良和(30)清の絵
   〃  (32)ピカソ展
   〃  (34)展覧会
   〃  (36)智内兄助最
 中川たつ子(38)‥‥ふりやまず
  岡本光明(40)謎の時間
  上田 清(42)営為(四十三)
 岩城万里子(44)どこか遠くへ
くりすたきじ(46)北の亡者U
 表紙イラスト/さかもとともみ



 最後っ屁をひとつ/南村長治

息をする
次に
くるのは詩だ
飯は食わなくても
少々のことでは絶命しないが
詩を書かなかったら
ぼくは
死ぬ

なんて
大仰な身振りは本来無縁だった
はずのぼくが
「新怪魚」一〇〇号記念号のために
詩を捻り出そうとしている
詩を書いていることも
詩人と呼ばれることも
あんなに気恥ずかしかったぼくが
目をつぶって
あえて詩みたいなものを書こうというんだから

近頃の気温は乱高下は
よっぽどはげしいとみえる
ときの心境を行分けして書き殴ったら
いいって
もんじゃないから
気張ってみたものの
碌な滓が残ってやしないと
ぼやきながら
長いつゆ空に一滴の目薬
じゃなかった
これ

少々
お下劣だが
最後っ屁をひとつ

 100号です。おめでとうございます。100号記念で何かイベントをやるのだったら和歌山に行きたいと思っていたのですが、編集後記でそれはなく通常の合評会のみであることを知りました。残念。
 紹介した作品は「一〇〇号記念号」に触れています。散文では「100号に寄せて」という特集もあり、同人の皆さまの意気軒昂を知ることができました。作品の「詩を書かなかったら/ぼくは/死ぬ」という言葉は決して「大仰な身振り」ではないと思います。「長いつゆ空に一滴の目薬」の意気が必要なのではないでしょうか。もちろん作者もそこは判っていて、読者の私も感化された思いをしました。
 『新怪魚』のますますのご発展、ご活躍を祈念しています。




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