きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.6.30 東京・新宿 |
2006.8.12(土)
夕方から御殿場に出かけて、高校の同窓会に顔を出して来ました。クラス会はここのところ毎年のようにやっていますが、学年全体では久しぶりです。前回は司会者が「俺たちも不惑を迎えて…」と言ったように記憶していますから15〜6年ぶりかもしれません。みんな立派なオヤヂ・おばさんになっていました(私もそうですけどネ(^^;)。
第3期卒業生約350人のうち80人ほどが集まりました。写真は校歌斉唱。そういえば高校野球の勝利校の校歌がTVで流れていて、注意して作詞者を見ると、日本詩人クラブの先達詩人が多いことに最近気づいています。例えば西條八十や神保光太郎、三木露風などです。では我が母校は?と歌詞カードを見ると「作詞:御殿場南高等学校」。そういえばそうだったなぁ、創立当時の先生方が寄ってたかって作ったと聞いた気がするなぁ。まあ、有名詩人に拘る必要はありません。それはそれで立派なことだと、私もちゃんと歌いました。
一次会では変わらず品の良い昔の恋人にも会えたし、文芸部仲間もまた書きたいと言ってくれたし、思わぬ収穫がありました。二次会にも出席して最終の御殿場線で23時には帰宅しました。御殿場線の最寄駅まで30分です。新宿、池袋、銀座、神楽坂と出歩いていますので、近いというのはいかに楽かと改めて感じました。
収穫といえば小学生時代からの同級生に意外なことを言われました。「お前のHPを見ていると太宰と同じような危険な匂いを感じる」。ん?? でも、分かるような気がします。崩れているからなぁ(^^; 太宰ほどひどくはないけど…。
彼は完璧な理系で、尊敬している男です。30年も前に私とアマチュア無線で交信できた唯一の同級生です。客観的なモノの見方が必要な彼にそう言われたのでは隠しようがありません。ブンガクでは崩すけど、もう若くないのだから実生活では一呼吸おきます。そう言ってもらえて有難かったですね。釘を刺された思いです。
○詩誌『WHO'S』103号 |
2006.7.25 東京都八王子市 樫村高氏方・WHO'Sの会発行 500円 |
<目次>
詩
音楽葬…2 中村不二夫
宿題…5 高橋英司
幻影…8 高橋優子
桃と罪…10 水谷 清
野の花咲く…12 森やすこ
疲れている(他1篇)…14 小池輝子
挽歌…17 藤崎南海男
ろくろ(他1篇)…20 市川 愛
動詞百態…25 樫村 高
翻訳 驚き…28 クロード・ロワ〈訳〉水谷 清
エッセイ ある「死刑囚」のこと…32 樫村 高
あとがき
表紙 福田都基子
目次カット 網島蛍子
音楽葬/中村不二夫
病院に運ばれて二日目 叔父が息を引き取った
スマイリー小原の腰を振る真似が得意だった
ヒッパレー ヒッパレー みんなのヒット……
まだ小学生だったぼくは一度だけ叔父に
横浜山手の小原邸に連れていかれたことがある
本物のスマイリー小原は とても物静かな人だった
イギリス式庭園は色とりどりの草花に覆われていた
ヒッパレー ヒッパレー みんなのヒット……
丘の上には緑の雲が湧き みんな夢の中に生きていた
港湾地区 まだ小賢しい商人たちの影は見えず
叔父は建設の下請け 運送と事業を興しては潰した
そのたび親戚中に景気のいいことを吹聴した
いつしか その夢に耳を貸すものはいなくなった
還暦を過ぎ 最後の勤めはタクシー会社の内勤係
夜明け前 無線連絡中に硬膜下出血で倒れたという
通夜の席 たくさんのタクシー仲間がかけつけた
「あんなに天真爛漫で明るい人はいなかった」
ヒッパレー ヒッパレー みんなのヒット……
思えば あれが叔父の全盛期だったのかもしれない
深夜 伊勢佐木町裏のクラブ ツイストを踊り
女性をこわきにかかえての朝帰り
もうそこで叔父の夢は終わっていたのかもしれない
俺たちは浜っ子 せっかくここに集まったのだから
今夜はみんなで 朝まで踊り明かそうぜ
紀本ヨシオ「大脱走のマーチ」の行進
(その後 アメリカのベトナム介入は泥沼化した)
飯田久彦「ルイジアナ・ママ」「悲しき街角」
(本当に だれもやってこなくなった街角)
尾藤イサオ「悲しき願い」…………。
(それはだれのためにどんな願いだったのか)
みんな経済の高度成長の闇に一人ずつ姿を消した
ヒッパレー ヒッパレー みんなヒット……
そうして叔父は 朝の光の中に消えた
夜明けの路を行く 小柄な新聞少年の後ろ姿
雨の日も風の日も一軒一軒新聞を配っている
少年は 手元に一部を残して一日の仕事を終える
ヒッパレー ヒッパレー みんなヒット……
享年六三歳 膝の上で叔父の骨がカタカタ鳴った
それは痛みというより 時の軽さへの思いだった
叔父の亡骸は 久保山葬儀場からかつての青春の街
黄金町 真金町を通り 上大岡の自宅へと帰った
ヒッパレー ヒッパレー みんなのヒット……
関内駅側「わかな」最後にみんなでうなぎを食べた
「今度はお前と一緒に海に鯨を釣りに行こうや」
ビールの泡の中 死んだ叔父がまだいるようだった
「死んだ叔父」の人間像が良く描かれた作品だと思います。「親戚中」の眼、「タクシー仲間」の言葉、「女性をこわきにかかえての朝帰り」、そして最終連の「今度はお前と一緒に海に鯨を釣りに行こうや」という言葉の中に「時の軽さ」重さを抱えた「叔父」の姿が彷彿と現れてきます。それは「叔父」のみならずその時代の男たちの姿であり、ことによったら私たちの姿に通じているのかもしれません。
作品中の歌は私の年代以上の人なら誰でも知っていると思います。それも効果的ですし、なによりタイトルの「音楽葬」が佳いですね。最近の中村不二夫詩の中では珍しい素材でしょう。「経済の高度成長の闇に一人ずつ姿を消した」者たちへの鎮魂歌として拝読しました。
○荒船健次氏詩集『うぐいす』 |
2006.8.10 東京都小金井市 木偶詩社刊 1000円 |
<目次>
T
かくれんぼ 8
洗濯機 11
うぐいす 14
かぼちゃの扉が開いて 17
ひと匙 またひと匙 20
支度をして 23
八月の終わりに 26
靴修理の雰囲気 29
電話ボックス 34
U
花を咲かせるとは 38
ゴールデンウイークにひまわりの種を蒔いた 41
彼岸日和 44
老人稼業 48
めざし 52
手術 54
朝に向かう 57
飛脚 61
知覧 65
顔 67
開けてはいけない 69
ゲームの赤ん坊 72
二人の老人 75
スニーカー 78
象が波打ち際に 82
夏の窓辺 85
空とからだ 90
枯葉 93
V
詩集ドライブ 96
ボンボン時計 99
こおろぎ 102
海 106
右肩上がり 109
リュックサック 112
裸の言葉 115
あとがき 120
装画 とどろき ちづこ
うぐいす
明け方 不意に
うぐいすの声を聞いた
初夏 梢の青葉に朝ごと訪れるうぐいす
明るい日差しの居間で
老いた義母(はは)を囲みコーヒーを飲み
うぐいすの声に聞き惚れた
初夏はまたたく間に過ぎ
うぐいすは梢を去った
人目を憚るように木陰に山吹が咲いた
梅雨空 梅雨寒
義母はつれづれのあわいに
山吹を手折り部屋にこもる
うぐいすが啼く
部屋を開ける
義母の姿が見えない
うす闇の部屋に咲き乱れる山吹
目を凝らすと襖の奥に小道があって
その小道は先立った夫の住む
うぐいすの里へ通じている
義母は雨にぬれた枝を払い
うぐいすの里へ行った
里から戻った義母は若々しく華やいでいた
義母は頻繁に部屋にこもり
うぐいすの里へ通い続ける
秋立つ日
義母はお許しが出たと荷物をまとめた
それからうぐいすの使者と白い煙になって
うぐいすの里へ行った
きょう不意に枕辺でうぐいすが啼く
うす闇の部屋で義母は白い髪を整え
口にうっすら紅をひき
ちょうど良かった
新しいモカの豆を買ってきました
この豆を挽いて春のコーヒーを入れましょう
紹介した作品はタイトルポエムです。「白い煙になって」とありますから「義母」は亡くなったと読んでよいでしょう。それを「お許しが出た」と表現するところに新鮮さを感じます。「襖の奥に小道があ」ることや黄泉のくにを「うぐいすの里」とするところも斬新です。「うぐいすの里へ通い続ける」とは死線をさまようことと解釈できます。人間の生死を扱いながら暗さは感じられませんが、「不意に枕辺でうぐいすが啼」き「うす闇の部屋で義母は白い髪を整え」いるところに作者の深い思いを知ることができます。荒船健次詩の新しい展開も感じさせる作品であり詩集だと思いました。
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