きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.30 東京・新宿



2006.8.17(木)

 今日は珍しく親孝行の日でした。実家の父親のところに介護認定に来るというので立会いました。現職時代は妹に全て任せていましたけど、今後は私がやることにしました。妹の亭主が底抜けにいい奴で、今日のために休暇を取ってくれていましたが、それを断って私が立会うことにしたものです。義弟は現職、こちらは無職の上に長男ですからね、私が出ていかない方がオカシイ。
 父親は要介護と言っても最低ランクです。調査員の前ではあれも出来るこれも出来ると頑張っていましたから、内心ハラハラしていましたけど、認定が取り消されてもしょうがないと思っています。嘘をついてまで認定を得ようとは思っていません。基準に合致しなければそれだけ元気だということ。むしろ褒めてやろうとさえ考えています。さて、どうなることやら…。



隔月刊紙『新・原詩人』7号
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2006.8 東京都多摩市
江原茂雄氏方事務局 200円

<目次>
この詩X 郷愁/詩・日本語訳…陳千武、紹介・解説…江素瑛 1
読者の声 2

てるちゃん/江原茂雄 2
川のほとりで/神 信子 3
中有/小林忠明 3
高原/井之川けいこ 3
川柳 井上信子・剣鶴坊・乱鬼龍 3
特集『いのちの籠』第3号より
岸壁の子/柳生じゅん子 4
靖国/伊藤眞司 4
身重の坂/甲田四郎 4
豆腐往来/佐川亜紀 5
あるうちゅうじんのてがみ/佐相憲一 5

前事不忘 后事之師――又は南京虐殺記念館/まつうらまさお 5
紙/Tくん(小六) 5
波打際1/羽生槙子 6
労務者/大橋晴夫 6
事務局より 6



 労務者/大橋晴夫

敗戦後は目的を失ってしまった
むかしは銃後で人を殺すなど
天皇陛下に申しわけなくて
労災を減らすのに一所懸命だったけれど
そんなつぶやきをきいたことがある
事実は数字のうえからもみることができる
関門トンネルは戦時中ほられ
殉職者二十名
関門自動車トンネルは
戦後開通し殉職者五十五名
うち四十四名が戦後の死者である

一般に
工事誌における宿舎や医療のとりあつかいは
時代とともにかるくなり
近頃では
労災や対策を記していない工事誌もある
インドネシア語でロームシャとは
強制連行され労働させられた者を意味する
むろん日本軍によってである
我が国でも
労務者はときたま作業員とよばれるが
決して労働者とはよばれない

   (「大きな栗の木のしたで」より)

 この詩には教えられるところが多々あります。「むかしは銃後で人を殺すなど/天皇陛下に申しわけなくて/労災を減らすのに一所懸命だったけれど」というフレーズには、戦争の是非は別にして、なぜ人殺しが出来ないかの一側面を見ました。「うち四十四名が戦後の死者である」とは戦後の人命軽視の現われでしょう。「一般に/工事誌における宿舎や医療のとりあつかいは/時代とともにかるくなり/近頃では/労災や対策を記していない工事誌もある」という指摘は言われるまで判りませんでした。最後の「労務者はときたま作業員とよばれるが/決して労働者とはよばれない」というフレーズも重要ですね。法律には「労働者」という言葉があるのに意図的に使われていない匂いを感じます。考えさせられた作品です。



詩誌Griffon19号
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2006.7.15 広島県呉市
川野圭子氏他発行 300円

<目次>
夜のドア/横山 昭 1
亡くしたものを/吉田隶平 2
顔替え屋/川野圭子 3
後記 5



 夜のドア/横山 昭

日ごろなるべく目を逸らし
どうにか忘れてもいる
生きるという底なしの儚さに
だしぬけに胸を衝かれ 私たちは
内側を覗けば吐き気がするような
自分も 他人も受けいれられそうな
柔らかい気持ちになることがある
――それは
夜の小さな駅で 電車のドアが
乗り降りがないのにガラガラ開いて
ガラガラ閉まるのに似ている
――けれど
動物誕生の時から何億年も
私たち一人一人が持ち歩く闇のなかで
血まみれの振子時計
宙吊りの心臓が
開けっぱなしの弁を震わせているうちに
私たちは 遠い地平の
草茫々のなかの
用済みの水車小屋のように
日々少しずつ
朽ちていく

 無用の長と謂うのでしょうか、「乗り降りがないのにガラガラ開いて/ガラガラ閉まるのに似て」「柔らかい気持ちになることがある」という視点に感激します。「――けれど」「日々少しずつ/朽ちていく」運命。この二律背反をうまく表現した佳品だと思います。「夜のドア」という題も佳いですね。「私たち一人一人が持ち歩く闇」を開け、また閉める象徴として読みました。




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