きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.6.30 東京・新宿 |
2006.8.19(土)
ここのところ高校野球にハマッテいます。私自身は野球をやらないんですが、強打者だけが打つのではなく打撃力の弱い打者も打たねばならないというルールがおもしろいですね。会社や他の組織でも秀でた者もいればそうでない者もいる。それぞれの能力に応じて対戦する、また、その能力を高めることも要求されるという点で組織の縮図のように見ています。そんなことはさて措いても、少年たちの一途な行動を見ているのは楽しいです。程度の差こそあり、俺にもあんな一途さがかつてはあったなぁ、などと感情移入しながら見られます。
さて決勝はおおかたの予想通り駒大苫小牧と早稲田実業。どんな試合を見せてくれるか明日の決勝が待ち遠しいです。
ここからはしょうもない宣伝です。拙小説「風の鳥瞰」が日本ペンクラブ電子文藝館に掲載されました。よろしかったらご覧ください。
恥ずかしながら25年ほど前は同人誌で小説らしきものを書いていました。ほとんど30枚ぐらいでしたが、あるとき、今は亡き主幹が「100枚書け。良かった芥川賞に推薦する」と言ってくれて、その気になって書いたものです。100枚に届かず80枚ほどでしたが、約束通り芥川賞には推薦してもらえました。もちろん落選ですけどね(^^; でも、日本初のハンググライダー小説ということで多少の話題にはなったようです。1985年の初出です。
そんな青春の思い出を電子文藝館に提出しました。電子文藝館委員会の副委員長でありながら詩を1件しか出していないのはけしからん、他の委員は2件目を出しているではないか、という数年来の叱責にも応えなければいけないと考えていましたが、肝心の同人誌を紛失(^^; 最近になってようやく借りることができ、スキャナーで取り込んで電子化できたというていたらくです。いま読み直してみると人間に対する詰めの甘さが多くて赤面ものですけど、空を飛ぶ感覚は楽しんでもらえるかもしれません。お読み捨ていただければ幸いです。
○斎藤恵子氏詩集『夕区』 |
2006.7.20 東京都新宿区 思潮社刊 2200+税 |
<目次>
海響 8 海鳴りの町 11
警報器 16 明るい家 20
さ緑 24 春の岬 28
麦秋 32 さくらの花の下で 38
春の夜 42 西日 44
薄暑 48 おろかな日日 52
夕区 56 夏至 60
薔薇 64 春分の日には 70
富士 74 六月の不安 78
予祝 82 島 86
立冬 90 弔いの家 94
牛は 98 光る木 102
淵より 106
あとがき 110 装幀=思潮社装幀室
夕区
あたりは薄暗くなってきた
目をこらしても道の先が見えない
わたしは独り歩いている
あぶないけれど
じっとしていては
もっと危険な気がする
前へすすむ
薄闇は横じまになって濃くなり迫る
犬が何匹か走ってきた
黒い猟犬だ
赤い舌をだし
細い脚をかくかく曲げ追ってくる
鉄条網に囲まれた空き地があった
わたしは素手で押し上げた
思ったほど手は痛くなかった
空き地に入ってしゃがみじっとしていた
犬は向こうにいった
犬でなかったかもしれないと思う
わたしは鉄条網から出た
明かりのない夜だった
道の先で
青い少女がスカートをひるがえしていた
階上にいるときのように
かなたを見る目をしていた
海が近くにあるのだと思った
やがて
わたしは
海への坂をのぼるのだ
紹介したのはタイトルポエムです。「夕区」という題は造語と思いますが、この詩にはよく合っていると云えるでしょう。「夕」はもちろん夕暮れ、「区」は千代田区などの区と同じで、ある限られた範囲と解釈しました。この作品の主題は夕暮れを喩とする現代の不安のようなものだろうと思いますけど、それは「区」という枠組みに起因しているのではないかと考えられます。その枠組みを外して「かなたを見」、「海への坂をのぼる」ことが求められているという読みをしています。
そんな社会的な観点は不要で、「あぶないけれど/じっとしていては/もっと危険な気がする」という著者の精神面だけを鑑賞すればよいという視座もあるでしょう。実はその両者を合わせ持っているのがこの作品だとも云えます。2004年に続く第2詩集とのことで、おもしろい感性の佳い詩人が現れたなと思った詩集です。
○武西良和氏詩集『きのかわ』 |
2006.8.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000+税 |
<目次>
序章 河口
河口の不安 8 漂う舟 11
第一章 下流より中流へ
青い小舟 14 川舟 17
自転車の春 21 カラスの朝 25
走る水音 27 魚道 30
鷺 33 紀ノ川堰 36
通夜 39 花火 42
夕焼け 44 のら犬 47
半月のしわざ 49 冬の月 51
冬の川原 53
第二章 中流より上流へ
春先の畑 56 水田 58
蛍 60 ラムネの瓶 62
川の子ども 64 川と子ども 66
砕けた月 69 瀬 72
秋の蝶 75
第三章 上流から山あいへ
棚田 80 金の網 82
露の径 84 貴志川の秋 86
月の物語 89 山の駅 92
村の入口 95 水車 97
風の夢 100. 猟師 101
山畑 104. 秋の鳥 107
メジロ 108. 雑木林 110
あとがき 114
扉絵 野志明加 装幀 司 修
棚田
一編の詩を
男が読んでいる
畦に座って
泥だらけの足を投げ出して
たどたどしい読み声は田に
入らず
畦草で迷っている
読み声のなかを
猫がこちらをちらっと見てから
足音を忍ばせて横切っていく
なぜ猫はあんなにも
軽やかに
移動
できるのか
子どもが歓声を上げて川の方へ
走っていく
声は
石垣や土手に跳ね返り山々に
響いていく
子どもの声はなぜあんなにも
伸びやかなのか
山田の土は粘っこく
苗を植えるにはよいが
踏み込んだ
足は
なかなか抜けない
声は泥まみれだ
詩集に「きのかわ」という作品はありませんが、目次でも判りますように「下流より中流へ」「中流より上流へ」「上流から山あいへ」と、1冊の詩集で「きのかわ」全体を現しています。こういう詩集は珍しいと云えるでしょう。
紹介した作品は「上流から山あいへ」遡る途中の「棚田」という設定です。第1連の「一編の詩を/男が読んでいる」というフレーズにまず惹きつけられました。それも巧い読み方ではなく「たどたどしい読み声」。映画の1シーンを観ているようです。しかも最後は「声は泥まみれ」になっています。「詩」は本来そういうものであるのかもしれません。「泥だらけの足を投げ出」すこともなく磨き上げられた靴で闊歩する都会、そこに本当の「詩」はないのだと言われているようにも思います。良質な詩精神に支えられた詩集だと感じています。
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