きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.6.30 東京・新宿



2006.8.23(水)

 終日いただいた本を読んで過ごしました。夕方、豪雨がありました。その豪雨の中を1機のヘリが旋回していました。たぶん神奈川県警でしょう。先日、うちのそばを流れる酒匂川で、急に水嵩が増して釣り人が死亡するという事故があり、その反省から警戒しているのだろうと思います。釣り人の皆さん、魚の命を奪う前に自分の命を失わないようにしてください。
 ヘリは30分ほど旋回して行ってしまいました。静かになって、また本を読み始めています。



一人誌『粋青』46号
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2006.8 大阪府岸和田市
粋青舎・後山光行氏発行 非売品

<目次>

ひさしぶりの夕暮れ 9
小葉の三葉躑躅 10
たんぽぽ 11
知らない人のことだけれど 12
掃除は大変だけど 14
漂流する朝・3 18
スケッチ 8 17
創作 あかとんぼ幻景 4
エッセイ
絵筆の洗い水【22】 16
舞台になった石見【36】江の川 村尾靖子作 20
表紙絵:岸和田にて 2005年8月



 知らない人のことだけれど

ながく電車通勤をしていると
知らず知らずのうちに
プラットフォームの同じ場所から
同じ電車の位置に乗るようになる
気分転換したい時には
いつもと違う場所に乗ると
流れる風景も変わって
気分も爽やかになる
見慣れた顔を見ながら
会話を交わすことも
挨拶をすることも無く
運ばれている毎日
突然ある日から
年老いた人が乗り合わせていないと
何故か気になる
としごろの娘さんの場合は
お嫁さんにでも行ったのだろうかと考えるが
一日くらいならいいけれど
やがて長期になって
すこし心配をしていると
やがて私も忘れてしまう
知らない人のことだけれど
私に他人の事で心配する余裕など無いけれど
通勤電車に乗っていて
知らないうちに
私自身も老いている

 私には「電車通勤」の「見慣れた顔を見ながら/会話を交わすことも/挨拶をすることも無く/運ばれている毎日」という経験はほとんどないんですが、それでも少しはこの感覚が判るような気がします。たぶん「すこし心配をして」「やがて私も忘れてしまう」のでしょうね。「知らない人のことだけれど」それでも「すこし心配をして」しまう。それが都会の詩人の生活なんだなと思います。そこに作者のあたたかい眼差しを感じさせる佳品と云えましょう。



個人詩誌『玉鬘』37号
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2006.8.9 愛知県知多郡東浦町
横尾湖衣氏発行 非売品

<目次>
◆詩
「野草」
「暗黙のルール」
「常滑焼」
「働く貧困」
◆御礼*御寄贈誌・図書一覧
◆あとがき



 常滑焼

水をたっぷり張ると
水たまりのように見えた
花も生き生きとして
のびのびとしている

気のせいかしら

鉄分を多く含んだ
朱泥の常滑焼の肌は
すべすべとしているが
この武骨な器は
ざらりとした手触りがある
懐かしさと温もり
土ものの名残を感じる
土を高温でかたく焼いた
焼締の器
釉薬をかけていない
土の色

焼締に必要なのは火

今は観光化し
観賞用となってしまっている窯
かつてはあの窯の中で
炎の色を身に刻みながら
土から器へと成っていった焼物が
たくさんあったことでしょう

赤銅色の焼締は
火の色を抱え強く締められている
土の記憶と火の記憶

そうだわ
窓を開けましょう
ここに風を呼び込みたいから

 最終連が生きていますね。「焼締に必要なのは火」なのでしょうが、当然酸素も必要なはずです。最終連の「風を呼び込みたい」というのは、その酸素を呼び込みたいと採れて、作中人物の「土から器へと成ってい」く意識のように感じられます。
 「すべすべとしているが」「ざらりとした手触りがある」という一見矛盾した表現もおもしろいです。私は焼物について無知ですのでよくは判らないのですが、おそらく「土ものの名残」としてはそうなのだろうと思います。「常滑焼」をよく見、作中人物に添わせた佳品だと思いました。



詩誌『青い階段』81号
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2006.8.20 横浜市西区
浅野章子氏発行 500円

<目次>
ひとり/森口祥子 2
駅/坂多瑩子 4
ありがとう/福井すみ代 6
哲学の道で/小沢千恵 8
虹/廣野弘子 10
夏の会話/野村玉江 12
片付けなければ/浅野章子 14
私有財産/鈴木どるかす 16
足袋と下駄/荒船健次 18
ピロティ 福井すみ代・鈴木どるかす・小沢千恵
編集後記
表紙 水橋 晋



 虹/廣野弘子

バスを待っていた
雷雲が去った後で 電車は遅れ
バスの停留所には長い列ができていた
――このあたりも どしゃ降りだったのかしら
私のうしろで女性の声がした
――だったらぼくたち 虹の中にいるね
得意気な男の子の声が聞こえ 親子連れのようだ
――どうして虹の中なの?
――虹の中にいるよね ぼくたち
――雨が降ったから 虹の中にいるよね
虹のなか?
やわらかな発想に情景を想像しかけた時だった
――雨が降っただけじゃ 虹はできないの
――降った後で 太陽が射さなきゃ駄目なの
強い口調が足元に向って響いた
男の子の連れは 母親ではなく
理科の先生だったのかしら
まちがいをただされて しょげたのか
男の子は黙ってしまった
私の想像も急速にしぼんだ

雨上がりの空に
虹は見当たらないけれど
私のまわりの空気にはまだ水滴がとどまっていて
西の空で太陽が輝いている

みずみずしい心から摘み取ったものの重さを
若い母親は どこで気付くのだろう
多分 ずっと後にちがいない

あッ バスが来た

 こうやって「みずみずしい心から摘み取ったもの」が私にもあったのだろうなと考えさせられました。今は「ずっと後」という年齢になったかもしれませんが、たぶんその「重さを」まだ「気付」いていないと我ながら思います。
 最終連が佳いですね。この連があって詩が引き締まり、救われた思いもします。日常を何気なく切り取りながら深く考えさせる佳品です。




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